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#ワンナイトラブ
「何かさー最近ヤバくない?」
いつも元気な神崎さん
最近はめっきり覇気がない
「あーストレス溜まるわー」
「あの新社長、イケメン振りかざしてやりたい放題し過ぎじゃない?」
女の移り気は早い
あれだけ嬉々としてはしゃいでいたのに
一度秤が負に振れると
一瞬でそれは悪に変わる
平日日課のランチ女子会は
新社長の愚痴で持ち切り
それが最近のトレンド
「うちの部署なんてさ、全部一から作り直しだよ」
「ほんとあり得ないから」
「成果求める以前に効率とか生産性とか考えてないんだよ」
これはこれで
溜まるストレスを排出する
正気を保つ為の生存戦略
***
一瞬で過ぎ去るランチタイム
苦手だった同期女子社員との昼食も今では
一時の憩いの時間
これまでになかった業務に追われ
ストレスの排出が追い付かない
ピコン♪
神崎さんから届く一斉送信のメール
全員参加必須の
法務部のコンプライアンス研修
強制的に押さえられるスケジュール
強制的に削られる実務時間
時間に
社員に
日に日に追い詰められてゆく——
***
「えー、まずは法令順守とコンプライアンスの徹底です。常識的な事なので特別な事ではありませんが、今後全社員が規則や基準をより明確に認知し、共通認識として徹底して——」
研修講師を務めたのは神崎さん
大量の資料を配布し
大量の手元資料を抱え
慣れない業務に奔走する
「え?今回で終わりじゃないんですか?またやるの?」
「はい、法律やルールは変わり行くものなので定期的に行います」
「今後は理解の徹底に向けた小テストも導入予定です。履修は個人の評価対象でもあるので……その辺り詳しくは人事部にご確認下さい」
「まじか……」
「えー、では次にD&Iについて。人種や性別、性的少数者、宗教や障害などの全ての属性が公平に尊重され——」
つい先ほどまで愚痴っていたそれを
講師として社員に説く
室内に響き渡る神崎さんの声と
せわしないキーボードの打音
研修を聞かずに
自分の業務に勤しむ輩がいるのだろう
会社の改革は抜本的に行われた
新規システム導入
データ統合
評価制度
監査の拡充——
これまでの基盤が
ほぼ全面的に見直された
実務以外に割かれる時間
新たなスタンダードへの適応
誰もが時間と適応に追われていた
人は日常の変化にストレスを覚える
日に日に高まる新体制への不満
必死に取り組む者
退社を検討しだす者
そして
不満を垂れ流すだけの傍観者
社内は混沌の様相を呈し
次第に二極化されて行く
新たな基準に希望を見出す者
新たな基準で淘汰され出す者
しかし
その急激な変化に伴う仕事量の増大と
求められる結果のシビアさに
総じて新社長への不満は蔓延した
***
「はぁ~疲れた……やっと今日も一日終わった」
残業は申告制になり
上の許可なく自由に出来なくなった
業務時間も労働基準厳守
その分
業務時間は総じて短くなったものの
業務時間の密度が一気に濃くなり
これまでにない精神的な疲労を覚えた
退社し
帰宅し
戻るこれまでと変わらぬ色彩なき日常
夕飯も作り終えた
今日も食べて貰えぬ食費に充てる薄給
捧げる調理という名の時間と労働
帰宅しても夫はおらず
帰宅したとて私の夕飯は食べないだろう
愚痴をこぼす話し相手もいない
夫がいたとて、私には
愚痴をこぼす話し相手はいない
ランチタイム女子会でさえ
愛想笑いで相槌を打つだけ
そもそも私には
親身になって話のできる相手はいない
今も
今までも
ヴヴヴ♪
「……」
ここのところ母親から頻繁にラインが来る
病院へ行く費用がないらしい
いつも理由は様々
とどのつまり金の無心
振り込むと満足してしばらく連絡は止まる
対応が遅れると
死にたい病を発症する
愛情と脅迫は紙一重
ともすれば同義語
私には違いが曖昧だ
血縁関係ってなんだろう
家族ってなんだろう
家族愛って
母子って
私は一体何なのだろう
母親にとって
夫にとって
会社にとって
私は一体何者なんだろう
「……」
(あぁ……またこれだ……)
多忙にかまけて
一時忘れていただけ
またここに戻ってきてしまった
これが私の現実
これが私の日常
もしも運命があるのなら
これが私の運命なのだろう
***
一方会社では
冷徹でストイックな社長の悪評が
急速に広まりだす事になる
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