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長い黒髪の美女は、セラの目の前で止まった。
艶やかに背中へと流れていく黒髪。
人形めいた整った顔立ちは美女と呼ぶに不足はないが、どこか肉食獣を思わす獰猛さを感じさせる。
やや吊り目がちな目のせいだろうか。その目の色は綺麗な翡翠色。
身長は女性としては高い。
セラも彼女に見下ろされる形だ。……ケイタよりやや高いだろうか?
フリルのたくさんついたその黒いドレスは妖艶の一言。
胸元が開いており、豊かなバストとその谷間がくっきり。
腰元は折れてしまいそうなほど細く絞られ、逆にスカート部分はふわりと広がっている。
「ごきげんよう、セラフィナ・アルゲナム」
彼女は真っ赤な唇から、セラの名前を呼んだ。
アーミラは途端に眉間にしわを寄せ、セラに身を寄せると声をひそめた。
「セラフィナ姉様、知り合いの方ですか?」
「え、いえ――」
知らない女性だ。このような強烈な『強さ』を感じさせる女性など、一度会えば忘れるはずがない。
セラの答えに、アーミラは怖い顔で長身の美女を見上げた。
「どこのどなたか存じ上げませんが、失礼ではございませんこと? セラフィナ姉様はアルゲナムの王女なのですよ。それを呼び捨てにするなんて――」
あ――セラはそこでようやく自分が呼び捨てにされたことに気づいた。
一応はアルゲナムの元姫であるわけで、この会場にいたリッケンシルト国の人たちは、『姫』と呼んでいたのだ。
「これは失礼を。……セラ姫様」
セラ姫――アーミラはなおも機嫌を悪くしたが、黒髪の美女は膝を曲げ、十三歳の若い姫に淑女の一礼をした。
「ご挨拶が遅れました、アーミラ姫殿下。わたくしは、スプーシオ王国の王家の一族、サターナ・シェード・スプーシオと申します」
「スプーシオ、王国の王家……」
アーミラはその単語を聞き、すぐにドレスの裾をつまんで礼を返した。
「こちらこそ、失礼しました、サターナ・シェード様。はじめまして、アーミラです。以後お見知りおきを」
まさかの王族だった。しかも他国の。ここで礼を逸すれば、リッケンシルトの姫は挨拶もできないと悪評になりかねない。
「これはご丁寧に。可愛いお姫様」
クスリ、とサターナ姫は微笑んだ。
周囲を圧倒する雰囲気とは一転して、慈悲に満ちた笑顔に、アーミラ姫は無意識のうちに止めていた息をついて安堵した。
「……アーミラ姫、誠に恐縮なのですが、少しセラ姫とお話してもよろしいかしら?」
「あ、はい」
若き姫は、年長と思しきサターナ姫の言葉に萎縮しているようだった。セラに小さく頷いた後、その場を離れる。行き先は……リーベル王子のもとへ。
一方で、サターナ姫は給仕の運ぶワインのグラスを取ると、セラの隣に立った。
純白と漆黒、二人の姫の姿を、遠巻きからの視線が注がれる。
「何か言いたそうね、セラ」
サターナ姫は悪戯っ子のように笑う。セラはその青い瞳を隣の美女へと向ける。
「私は、あなたと会ったことがありません」
「馴れ馴れしい、とでも?」
「スプーシオ王国で、サターナという姫に会ったことがないのですが」
セラが無言の威圧を向ける。
黒髪の美姫は天を仰ぐように顔を上げつつ、その翡翠色の瞳を向ける。
「王族だからと言って、あなたはそのすべての人物と面会したことがあるのかしら?」
「……」
そう言われるしまうと、自信が揺らぐ。だがセラは首を横に振った。
「そうかもしれません。ではもう一つ。スプーシオ王国は一年前にレリエンディールの侵攻で滅びたはずですが」
「ええ、つまりあなたと同じ境遇」
サターナ姫は動じた様子はない。
「一年前に滅びた国の『自称』姫が、何故今さらここにいるのか……まあ、そうね。でもその手の追及をかわす手はきちんと考えてきたわ」
そう言うと、サターナ姫は唇に指を当て「内緒ね」と片目をつぶって見せた。
「本当のことを言うから驚かないでね、セラ。……私よ私」
誰ですか――という正直な疑問が浮かぶ。
「慧太、よ」
「……は?」
セラは意味が分からなかった。ケイタ――どうして、この自称姫はケイタの名前を知っているのだろう。
「ケイタのお知り合いですか?」
「お知り合い? あっはっはっ!」
サターナ姫は、お姫様らしからぬ笑い声を上げた。
心底楽しそうな反応だが、周囲は驚きをもってそれを見ている。セラは憮然とする。
「そんなにおかしいですか?」
「おかしいわよ。だって、ここまで一緒に旅をしてきたのに――まあ、この姿じゃ、わからないのも無理ないか」
周囲に対し背を向け、サターナ姫――慧太は声を落とした。
「アルフォンソがシェイプシフターだって話は覚えてるでしょ? あれの身体の一部を使って身体に塗ると、あら不思議。男が女に化けることだってできるのよ……こんな風にね」
「!?」
驚くと同時に、セラはサターナが慧太であることを理解した。
アルフォンソがシェイプシフター――その事実を知る者など、旅を共にしている慧太とその仲間たちしか知らないのだ。
シェイプシフターが化ける怪物だと知っている以上、慧太が美女に化けていても不可能ではないのでは、と思うのである。
……もっとも本当のことを言えば、アルフォンソを使わずとも、慧太自身で化けられるのだが。セラは慧太がシェイプシフターである事実を知らない。
「本当に、ケイタ……なのね?」
しぃー、と美姫に化けた彼は口に指を当てるのである。
「ここではサターナと呼んで、セラ」
「え、ええ。わかりました、サターナ……」
慣れないセラは頷いた。サターナは再び振り返り、視線を集める周囲を見下したような目を向ける。
「注目の的ね。……まあ、セラが美人だから仕方ないか。そのドレス、よく似合ってるわよ」
「……!」
セラは途端に顔が赤くなるのを感じた。
これまで繕っていたお姫様の表情を保てなかった。
ケイタが来てくれる――それまで不安だったところに、突然彼が現れたのだ。その安心感は尋常ではない。
「いえ、この場合、あなたも相当だと思いますよ、サターナ」
じー、と変装ケイタ、その豊かな胸へと視線が向く。――わ、私より大きい。
作り物には見えない本物感。シェイプシフターの一部を借りての変装と聞いても、偽物には見えないその身体。
「結構、悩んだのよねえ。一応、他にも使い慣れた女の子の姿はあるんだけど……こういう場に臨むには貧相っていうか――それなりに貫禄というか」
サターナが顎に手を当て考える仕草を見せる。……本当、そうしていると別人にしか見えないとセラは思った。女性に化けたら女性らしい所作で動く――中身がケイタだと知っていればこそ、呆れもするし感心もした。
「一応、アスモディアに化ける、という手もあったのよ。……あれでもレリエンディールでは貴族だし、見栄えでは負けていない。だけど――」
「彼女でなくて正解ですね」
セラは感情のこもらない声で言うのである。サターナは苦笑する。
「でしょ? 本物と見分けつかないのは、セラ的にはどうかなって思ったわけ」
無邪気な笑顔。彼は、サターナという架空の女性を演じている。……本当、底が知れない人。
「それで、あなたがここに来たのは――」
「もちろん、セラの目的を助けるため」
サターナは嫌味な笑みを浮かべた。リッケンシルトの王子が近づいてくるのが見えたのだ。
「いえ、彼の化けの皮を剥がすため……かしらね」