テラーノベル
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第195話 戻った駅、残った学園
【現実世界・駅周辺対応点/規制区域内・朝】
駅は、戻った。
けれど、それは何もかもが元通りになったという意味ではなかった。
ロータリー中央にあった異世界の石塔は、もうない。
石畳の影も消えている。
駅舎の柱は、現実の柱として立っている。
白線も、バス停も、案内板も、そこにある。
ただし、壊れていた。
バス停の屋根は崩れ、案内板は倒れ、駅舎の庇の一部は落ちたままだ。
ラストの錆が食った痕跡は、赤茶けた粉と変形した金属として残っている。
異世界のものではなくなった。
黒い影も消えた。
だが、傷は現実のものとして残った。
木崎は、その駅前をカメラに収めていた。
戻った駅。
壊れた駅。
それでも、確かに現実の駅。
「中央部、安定確認」
対策班の声が飛ぶ。
「石塔反応なし」
「黒影反応なし」
「新規腐食なし」
「駅舎外縁、現実構造として固定」
その報告を聞いて、規制線の外にいた人々がざわめいた。
戻った人々も、医療スペースの方から駅を見ている。
まだ近づくことは許されない。
けれど、もう見えているものは異世界の塔ではない。
壊れた現実の駅だった。
子どもが、小さな声で言った。
「駅、こわれてる」
母親がその子を抱きしめる。
「うん」
「でも、戻ったんだよ」
子どもは少し考えてから、頷いた。
「じゃあ、直せる?」
母親は涙を浮かべて言った。
「直せるよ」
「現実なら、きっと直せる」
木崎は、その言葉を聞いていた。
そうだ。
現実なら、直せる。
壊れたものは、修理できる。
倒れた看板は起こせる。
崩れた屋根は作り直せる。
錆びた金属は交換できる。
けれど、異世界に残ったままなら、それすらできない。
木崎は、封鎖された一角へ目を向けた。
そこには、ラストが残した警官の制服がある。
誰かのものだった服。
誰かが守るために着ていたはずの服。
木崎は低く言った。
「終わってないな」
近くにいた警官が答える。
「でも、一つ戻りました」
木崎は頷いた。
「ああ、一つ戻した」
その違いは、大きかった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/資材ヤード・朝】
日下部は、画面の表示を何度も確認していた。
《STATION AREA / RETURNED》
《STONE TOWER OVERLAP / CLEARED》
《ROLE SHADOW / CLEARED》
《RUST SPREAD / STOPPED》
《SCHOOL AREA / UNRETURNED》
《REA / NOT DETECTED》
駅周辺は戻った。
だが、その下に残る二つの表示が、重かった。
学園、未帰還。
レア、検出不能。
佐伯が記録をまとめる。
「駅周辺完全復元、成功」
「ラスト反応、消失」
「腐食拡大、停止」
「学園帰還は未達」
村瀬が小さく息を吐いた。
「成功なのに、安心しきれないですね」
日下部は頷く。
「成功です。でも、終わりではありません」
城ヶ峰は画面を見ながら言った。
「駅周辺を戻した意味は大きい」
日下部が顔を上げる。
「はい」
「匠さんが言っていた“次の足場”になります」
城ヶ峰は短く頷いた。
「駅が戻れば、現実側から学園への基準点ができる」
「救出導線も作りやすくなる」
「次は学園だ」
その言葉に、資材ヤードの空気が引き締まる。
駅を戻した。だが、学園はまだ異世界にある。
そこにはハレルたちがいる。
生徒たちがいる。
教師たちがいる。
レアが逃げた痕跡もある。
日下部は画面に新しい枠を作る。
《NEXT TARGET / SCHOOL RETURN》
その文字を見て、佐伯が静かに言った。
「学園を戻すには、レアの問題も避けられませんよね」
「はい」
日下部は答えた。
「レアがどこにいるか分からないまま学園全体を動かすのは危険です」
「もし学園のどこかに潜んでいるなら、一緒に戻る可能性もある」
「逆に、別の層へ入り込んでいるなら、学園帰還の時に穴になるかもしれない」
村瀬が顔をこわばらせる。
「じゃあ、先に探す必要がある?」
「探したいです」
日下部は言った。
「でも、今は追跡できない」
城ヶ峰が低く言う。
「なら、探せる状態を作る」
「駅を戻したのは、そのための足場でもある」
日下部は頷いた。
「はい」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
校庭には、戦いの跡が残っていた。
土はえぐれ、黒い亀裂の痕跡が薄く地面に残っている。
校舎の壁には爪痕があり、体育館の屋根も一部が歪んでいた。
だが、ジャバはいない。
影獣も消えている。
ハレルは、主鍵を握ったまま立っていた。
身体は重い。
腕も痛む。
それでも、主鍵の熱は消えていなかった。
リオが隣に立つ。
「駅、戻ったらしいな」
「うん」
「よかった、でいいんだよな」
ハレルは少し黙った。
「いいと思う」
「でも、ここはまだ戻ってない」
リオは校舎を見た。
「そうだな」
二人の背後では、先生たちが生徒の確認を続けている。
校庭へ出てきた一部の生徒たちは、壊れた校舎を見て不安そうにしていた。
「駅が戻ったなら、次はここも戻るんですか」
生徒の一人が、教師に聞く。
教師はすぐには答えられなかった。
ハレルはその声を聞き、少しだけ顔を上げた。
「戻す」
リオが横目で見る。
ハレルは、もう一度言った。
「次は、学園を戻す」
その声は大きくない。
だが、近くにいた生徒たちには届いた。
不安そうな顔が、少しだけ変わる。
サキが体育館の入口から出てきた。
顔には疲れがある。
けれど、立っている。
「ハレル」
「サキ、大丈夫か」
「うん」
サキは頷いた。
「ダミエも、今は休ませてる。先生たちも、生徒の確認を続けてる」
「レアは」
サキは首を横に振った。
「分からない」
「ノノでも追えない」
ハレルは唇を噛む。
サキは続けた。
「でも、私は……レアは、完全に敵に戻ったわけじゃないと思う」
リオが眉をひそめる。
「根拠は」
「ない」
サキは正直に答えた。
「でも、最初に豪華客船で会った時とは違った」
「怖いのは同じ。危ないのも同じ。
でも、誰かに言われて笑ってるだけじゃなかった」
ハレルは、サキを見た。
「戻ってくると思うか」
サキは少しだけ迷い、それから答える。
「戻る場所があれば」
その言葉に、ハレルは黙った。
戻る場所。
それは、レアだけの話ではなかった。
学園も。
生徒たちも。
ハレルたちも。
戻る場所を取り戻さなければ、誰も帰れない。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・朝】
ノノは、駅周辺の完全復元データを保存した。
成功。
しかし、次へ進むための成功。
セラが横で言う。
「駅周辺の基準点は安定しています」
「これで、学園帰還の座標補正に使えます」
「うん」
ノノは頷いた。
「駅が戻ったことで、現実側から学園を見る足場ができた」
「でも、レアが見えないままなのが嫌すぎる」
セラも表情を曇らせる。
「観測から外れた存在を、どう探すか」
「そこだよね」
ノノは画面に、レアの空白を表示する。
《REA / NOT DETECTED》
そこだけ、何もない。
数字も線もない。
黒影反応すらない。
ノノは小さく言った。
「消えたんじゃなくて、外れた」
匠の言葉を思い出す。
『レアは、まだ消えたわけじゃない』
『観測から外れただけだ』
ノノは両手を組む。
「観測から外れたなら、普通の観測じゃ無理」
「じゃあ、レア自身が何かを選んだ瞬間を拾うしかない」
セラが聞く。
「選択の反応、ですか」
「たぶん」
ノノは画面を睨む。
「レアが誰かの命令じゃなく、自分で何かを選んだ時」
「その時だけ、揺れが出るかもしれない」
セラは静かに頷いた。
「サキさんとの会話が鍵になるかもしれません」
「うん」
ノノは言った。
「レアはサキには反応してた」
ノノは学園側へ通信を開く。
『サキ、聞こえる?』
少し遅れて、サキの声が返る。
『聞こえる』
『レアを探す手がかり、たぶんサキとの会話にある』
『あとで、レアが言ったことを全部教えて』
『言葉の順番も、できるだけそのまま』
サキは少し黙ってから答えた。
『分かった』
ノノは画面の空白を見つめた。
「レア、どこにいるの」
答えは返ってこなかった。
◆ ◆ ◆
【異世界・駅周辺跡地/臨時防衛線・朝】
そこにあった駅の輪郭は、消えていた。
少し前まで、石畳の上には現実のロータリーが重なっていた。
白線が浮かび、バス停の影が揺れ、見慣れない駅舎の柱が半透明に立っていた。
だが今は、ない。
現実側へ戻ったのだ。
残っているのは、王都側の石畳と、踏み荒らされた土と、光具の焦げ跡だけだった。
異世界の空気の中に、もう現実の駅前の匂いは混じっていない。
兵士たちは、しばらく誰も声を出さなかった。
戻った。
そう分かっている。
だが、目の前から巨大なものが抜け落ちたような空白に、誰もすぐには慣れなかった。
若い兵士が、ぼそりと言う。
「……本当に、戻ったんですね」
隣の術師が、光具を抱えたまま頷いた。
「ああ、こっちからは消えた。向こうへ戻ったんだ」
「じゃあ、あそこにいた人たちも」
「戻った者もいる。まだ残っている者もいる」
その言葉に、兵士は唇を結んだ。
全部ではない。
それでも、道は通った。
場所は戻った。
指揮兵が声を上げる。
「光具を確認しろ」
「壊れたものは分けて運べ」
「黒影の残りがないか、最後に一度だけ見る」
兵士たちは頷き、動き始めた。
疲れ切っている。
槍を握る手も震えている。
それでも、誰も崩れるようには座り込まなかった。
戻った場所を見届けた者として、最後の確認だけは済ませようとしていた。
その時、通信石にアデルの声が入った。
『駅周辺跡地の部隊、聞こえるか』
指揮兵が応じる。
「聞こえています」
『現場の状況は』
「現実側の駅構造は消失」
「石塔反応、黒影反応ともに確認できません」
「光具の一部に損傷。負傷者は軽傷を含め複数」
「防衛線は維持可能ですが、兵も術師もかなり消耗しています」
少しの間があった。
アデルの声は、いつも通り落ち着いていた。
『その場の維持はもう必要ない』
『光具を回収し、負傷者を優先してイルダへ戻れ』
『兵も術師も、一度休息を取らせる』
指揮兵は驚いたように顔を上げた。
「防衛線を解いてよろしいのですか」
『ああ』
『駅周辺は戻った』
『そこに残る理由はない』
その言葉で、周囲の兵士たちの表情が少し変わった。
残る理由はない。
それは、任務が終わったということだった。
アデルは続ける。
『ただし、帰還途中も二列を崩すな』
『黒影が完全に消えたとは限らない』
『疲れている時ほど、名前確認を怠るな』
「了解しました」
『イルダに戻ったら、交代部隊に引き継ぐ』
『お前たちは休め』
指揮兵は、少しだけ目を伏せた。
「……ありがとうございます」
通信が切れる。
指揮兵は、兵たちへ振り返った。
「撤収する」
「光具をまとめろ」
「負傷者を中央へ」
「互いの名前を確認しながら戻るぞ」
若い兵士が、隣の術師を見る。
「戻れるんですね」
術師は疲れた顔で笑った。
「今度は、俺たちがな」
兵士たちは、戻った駅の跡地から少しずつ離れていった。
そこにはもう、現実の駅はなかった。
だが、何も失われたわけではない。
あの場所は、向こう側へ戻ったのだ。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/北西区画・朝】
アデルは通信を切り、静かに息を吐いた。
北西区画も、まだ完全に安全ではない。
ジャバは引いたが、獣影の気配は奥に残っている。
それでも、今すぐ押し寄せる圧は消えていた。
ヴェルニが近くの石壁にもたれながら言う。
「駅側、戻したんだな」
「ああ」
「なら、あっちの連中は休ませて正解だ」
「ずっと張りっぱなしだったろ」
アデルは頷いた。
「休ませなければ、次に使えない」
イデールが横から言う。
「アデルもね」
アデルは少しだけ視線をそらす。
「私はまだ動ける」
「動けるかどうかじゃなくて、休むかどうかの話」
ヴェルニが笑う。
「先輩に言われたら終わりだな」
イデールはヴェルニを見る。
「あなたも休む」
「俺もかよ」
「当然」
ヴェルニは両手を上げた。
「はいはい。分かりましたよ」
アデルは北西の奥を見た。
駅は戻った。
だが、学園はまだ戻っていない。
レアの行方も分からない。
ジャバも、完全に消えたわけではない。
それでも、今は一度、兵を休ませる必要がある。
アデルは近くの副官へ命じた。
「駅周辺跡地から戻る部隊を受け入れろ」
「負傷者は治療班へ」
「術師は光具を返却したら、すぐ休息」
「兵士も同じだ」
「次の命令があるまで、無理に前へ出すな」
副官が頷く。
「了解しました」
アデルは最後に、学園の方角を見た。
「次は、学園だ」
その声は小さかったが、そばにいたヴェルニとイデールには聞こえた。
ヴェルニは肩を回しながら言う。
「じゃあ、次の前に少し寝るか」
イデールが即座に言う。
「少しじゃなくて、ちゃんと」
アデルは、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……善処する」
「それは休まない返事」
イデールの言葉に、ヴェルニが笑う。
北西区画に、ほんの少しだけ日常の空気が戻った。
だが、その空気の奥で、次の戦いはもう待っていた。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/薄い演算空間】
パイソンは、駅周辺の白い固定域を見ていた。
そこは、もう黒くない。
石塔もない。
錆も広がっていない。
完全に、現実側へ戻された。
「駅を戻しましたか」
パイソンは静かに言った。
感心でも、怒りでもない。
ただ、確認だった。
ラストは消えた。
ジャバは戻した。
駅周辺は失った。
だが、学園はまだ残っている。
レアも観測から外れている。
そして、カシウスの深い層はまだ動いている。
パイソンは配置図の上で、学園の位置を見た。
白い線が、駅から学園へ伸びようとしている。
「次は学園」
その線の途中に、空白がある。
レアの反応が消えた場所。
パイソンは、その空白を見て目を細めた。
「君は、どちらにも映らない場所へ行きましたか」
少しだけ、沈黙。
「いいでしょう」
「なら、こちらも待ちます」
パイソンの指が、学園の周囲をなぞる。
黒い線は、すぐには動かない。
ただ、静かに囲むように配置されていく。
駅を奪い返された。
なら次は、学園で待つ。
それだけだった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺対応点/規制区域内・朝】
木崎は、戻った駅前を見ていた。
壊れている。
ひどく傷ついている。
でも、現実だ。
作業員が来れば、直せる。
警察が封鎖を解けば、いつか人が通れる。
電車が動くかどうかは分からない。
それでも、ここはもう異世界ではない。
イヤホンに日下部の声が入る。
『木崎さん』
『学園帰還の準備に入ります』
『駅周辺を基準点にします』
木崎は短く答えた。
「了解」
『そちらは休んでください』
木崎は壊れたバス停を見た。
「休めるならな」
『本気で言っています』
「分かってる」
木崎は少しだけ笑った。
しかし、その視線はすぐに封鎖区域へ戻る。
ラストの制服が残された場所。
赤茶けた粉がまだ薄く積もっている。
「日下部」
『はい』
「あの制服、誰のものか調べる」
少しの沈黙。
『……分かりました』
木崎はカメラを下ろした。
ラストは倒した。
だが、借りられた顔が誰のものだったのか。
そこを曖昧にしてはいけない。
役割を取り返すということは、そこまで含めてやることだ。
◆ ◆ ◆
駅周辺は戻った。
傷つき、壊れ、赤錆の跡を残しながらも、現実の場所として戻った。
それは、次の足場になった。
だが、学園はまだ異世界にある。
レアの行方は分からない。
ジャバは退き、パイソンはどこかで盤面を見ている。
ラストを倒したことで、駅は戻せた。
駅を戻したことで、次に学園を戻す道が見えた。
けれど、その道の途中には、空白がある。
観測から外れたレア。
残された学園。
そして、まだ奥にいるカシウス。
ハレルは学園の校庭で、現実へ戻った駅の報告を聞いた。
サキは空の箱を見つめ、レアの言葉を思い出した。
木崎は現実の駅前で、誰かのものだった制服を記録した。
戻った場所と、まだ戻らない場所。
その境目に立ちながら、彼らは次の目標を見た。
次は、学園を戻す。
第十三章 影錆と閃光編ーーー了
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