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|紀杏《のあ》さんからスマホを押し付けられてしまった。
今、|一野瀬《いちのせ》部長のスマホが私の手の中にある。
きっと困ってる。
早く返しにいかなくては!
――しかし、このスマホ……
チラッとスマホを眺めた。
もし……、もしもよ?
待ち受け画面が葉山君だったらどうする?
見たい、見たいよ。
せめて待ち受け画面だけでも。
駄目!
人としてそれはできない!
「早く返さないと、誘惑に負けてしまう……!」
もうすぐ昼休みの時間だと気づき、浜田さんを探しに行く時間がなくなってしまった。
むしろ、今から一野瀬部長を探さなくては。
とりあえず、総務部に戻ろうと思いながら、角を曲がったところでドンッと誰かとぶつかった。
「きゃっ!」
「ご、ごめんなさい!」
二人同時に尻餅をついた。
「いたた……」
頭をさすりながら、目を開け、ぶつかった相手を見る。
「ん!?」
目に飛び込んできたのは廊下の床に散らばった『魔法少女☆ルン』の下絵とネタ帳らしきノート……
『ライバルの社長令嬢がしかける! 一野瀬部長との恋はどうなるの? 社員旅行の企画係で私たちの仲は急接近したはずなのに――次回に続く』
なに、この煽り文句。
しかも作品にする気まんたんで、ネタ帳らしきノートにコマ割してあるんですけど。
男女の恋愛マンガ?
それも私がヒロインで、相手は一野瀬部長。
なんですか、これは?
ぶつかった相手を確認すると、顔面蒼白の浜田さんが私を見ていた。
「あ、あのー、浜田さん?」
あの冷静で何事にも動じることのない浜田さん。
そんな浜田さんが気まずそうに、私から目をそらした。
昼休みのチャイムがタイミングよく鳴った。
「ランチ、おごるから一緒にきて。新織さん」
「えっ!?」
私の腕を強い力でつかむと、浜田さんは社内の外へ私を連れ出した。
引きずられるままに、会社近くのビルの中にある隠れ家的なカフェへ入った。
そのカフェの窓から、社内の様子が見える。
二階席からだと、営業部が丸見えだ。
まさか……この人……越えてはいけない一線を越えてしまった人?
こほん、と浜田さんは咳払いをした。
そして、店員さんにハンバーグドリア二つとクリームモカパフェというメニューを二つを頼んだ。
「ここのハンバーグドリアとコーヒーゼリーのパフェは本当においしいの」
「はあ……」
おしゃれな青色のガラスコップに入った水が私の前に置かれる。
メニューを開きもしないで選んだということは常連さんだと思って間違いないだろう。
「新織さん。実は私、『魔法少女☆ルン』の漫画家、|浜田結衣《きい》なのよ」
ブフッと水を吐きそうになったのをサッとおしぼりでガードした。
あ、あぶな……
え……ほ、本名……?
「まさか、浜田さんがあの日曜日の朝にやってる魔法少女アニメの原作者ですか?」
たしか、現代が舞台で普通の女子高校生達が魔法少女に変身し、魔族に支配された都市を人間の手に取り戻す愛と友情物語。
可愛い女の子たちはもちろんなんだけど、恋愛要素もバッチリ入っている。
魔族の王とは知らずに、ルンが恋してしまうという少し切ない話も入っていて、大きいお友たち(大人)にも楽しめるのが特徴だ。
なお、私もしっかり録画してある。
新たな可能性を秘めた存在(カップリング)をチェックするためにね。
「笑っていいわ……。私のような可愛げのない女が、あんな魔法少女を描いてるなんて、おかしいでしょ……」
浜田さんの両手をガシッと握った。
「いえ。魔法少女は確かに素敵ですが、私が注目しているのは、魔王と将軍たちの関係性です。魔王がルンにひかれていくのを複雑な思いで将軍クラスの魔族が眺めている……」
そう!
将軍クラスはイケメンぞろい。
カップリングは自由自在の多種多様。
魔王×将軍の主従関係ものか、その逆もありで将軍からの下克上もオイシイ!
「素晴らしい可能性を秘めた作品だと私は思います」
「もしかして、新織さんはBL作家の新藤鈴々なの?」
「ど、どうしてそれをっ!?」
「安心して。気づいているのは私だけだから。作中にでてくる|貴瀬《きせ》部長と部下の|葵葉《あおば》のモデルが、営業部の二人にあまりに似ていたから、もしかしたらって疑っていたのよ」
「さすが、浜田結衣先生ですね」
「ふっ。当然よ。私もあの二人には注目していたの。私はね、このカフェから、ずっと営業部を眺めて妄想を膨らませていたのよ」
私より浜田さんのほうが罪深く感じるのは気のせいだろうか。
ハンバーグドリアが運ばれてきた。
大きなハンバーグの上には熱々のデミグラスソースととろりととけたチーズ。
そして、スプーンをいれると中から滑らかなホワイトソースが顔をだした。
ドリアのライスはカレーピラフで飽きのこないスパイシーな味。
「さすが常連。絶品ですねぇ。でも、営業部を覗いたり、これを食べるためだけに、このカフェにいたんじゃないですよね?」
「ええ。ここはリラックスできるから、気に入ってるの。会社にも近いし、夜遅くまで開いてるからおすすめよ」
「それはいいですね」
私も今度、帰りに寄ろうと決めた。
「実は今、次回作の構想を練っていて、よくここに来てるのよ。土日もね」
「あ……。土曜に旅行の打ち合わせしていたのをここから覗いていたんですか?」
ほんの少し前、私と一野瀬部長が営業部で打ち合わせしていた。
「覗いていたなんて、人聞きが悪いね。偶然見えただけよ」
毅然とした態度で、浜田さんは否定したけど、さっき一野瀬部長と葉山君をここから見てたと言っていたから、間違いなく覗き見である。
さすがに私という本人を目の前にして、『ネタをありがとう』とは言えないらしい。
「新作の依頼をされた雑誌が、大人向けの雑誌だから、大人のラブストーリーを考えているの」
「それで、ネタ帳にスケッチをしていたわけですか」
「総務部でもよ」
もうバレてしまったからか、浜田さんは正々堂々とした態度で言った。
開き直りとも言う。
とはいえ、私も一野瀬部長と葉山君をネタにしていたから、同じ穴のムジナ。
「そういうわけだから、新織さん。この秘密は会社にバレないよう、お互いうまくやっていきましょうね」
私たちは一蓮托生、秘密をバラしたら、どうなるかわかるわね?という空気を浜田さんから感じる。
なんて威圧感。
しかも、お昼までバッチリ奢られ、すでに食べてしまっている身としては逆らえない。
「わかりました。でも、最近の私は、二人を見ても気持ちが乗らなくて困っているんです……」
はぁっとため息をついた。
「あら? そうなの? 甘い夜から先の更新がないと思っていたのよ」
最新話までしっかり読んでるし……
もぐっとハンバーグを頬張った。
デミグラスソースがおいしい。
「もしかして、書けなくなったのは一野瀬部長と付き合ったから?」
「そうみたいなんですよね」
自分でもよくわからない。
でも、きっとそうなんだと思う。
これで私は腐女子を卒業して、一般人としての道を歩む――
「甘い!」
ダダンッと浜田さんはテーブルを叩き、一喝した。
仕事の時より厳しい声だった。
「あ、甘い……? どうしてですか!?」
「それはね、自分を完全にモブ化しきれてないからよ。いい? 私達はモブ! それ以上の存在になってはいけない!」
「モブ……!」
浜田さんは乙女ポーズで営業部を窓越しから除く。
恋する乙女のようにも見えるけど、私には犯罪ギリギリにしか見えない。
うっとりした口調で、浜田さんは言った。
「一野瀬部長は創作意欲を掻き立てられる逸材よ。ここから、映画を観るように私は眺めていたわ。もちろん、あなたのこともよ!?」
覗き見を『映画を観るように』なんて、言い換えてきた。
完全に正当化し、私につっこむ隙を与えない。
浜田さんは完全に私よりイッちゃってる人だよ。
けれど、説得力はあった。
「ほら、ご覧なさい。一野瀬部長と葉山君を。親しげに話す二人、無邪気な笑顔。二人の会話を想像するのよ」
確かに音のない映画を見ているようだった。
一野瀬部長が葉山君となにか言い争っている。
内容は仕事のことだろうけど、これを『俺を激しく愛してくれよ!』のセリフを入れてみる。
『葉山ならできると俺は信じている』
『信頼してくれるのは嬉しいです。でも、俺はっ……仕事だけじゃなくてプライベートの信頼も欲しいんだ!』
カッと私は目を見開いた。
「開眼しました」
今、私は新たな悟りを開いた――その時。
『おめでとうございますぅ~!』
寺の小坊主のようなお坊さんスタイルでミニ鈴子達が現れ、ゴーンと鐘をついた。
『あなたは階段を一つのぼることができましたー!』
『これでまた一歩、立派な腐女子として歩みを進めましたねっ』
はたして、その道は進んでいい道だったのだろうか。
『お昼休みに戯れる二人は気づいていない……』
『自分達の幸せを壊そうとする人間が近づいていることを!』
『偶然、話を聞いた女子社員が、二人の関係を怪しみ出す。それが崩壊の始まりだった……』
『二人は恋人だと社内の噂になり、近づくことすらできない』
『そして、お互いの幸せのために下す決断! 俺たち。別れなきゃいけないよな?』
なにそれ、せつない!
涙がこぼれちゃう!
おしぼりを手にして目尻をぬぐった。
「ふっ! どうやら、新しいネタが浮かんだようね」
「ありがとうございます。浜田さん! 私、ふっきれました!」
なにか書けそうな気がしてきた……!
「そう。こちらこそ、ありがとう。これからもお願いね」
え? これからも?
浜田さんのメモには『一野瀬部長と葉山君を見て嫉妬する新織さん。一人涙する』なんてメモがあった。
誰が嫉妬したよ。
これが妄想上級者ですか。
自分がまだまだ甘い人間だということを知った。
ミニ鈴子たちが後ろで『修行!』を連呼していた。
「私のことは師匠と呼んでもいいわよ?」
「師匠!」
盛り上がる私と浜田さん。
今日、とても素敵な仲間ができた。
けれど、私はテンションが上がりすぎて、大事なことを忘れていた。
一野瀬部長にスマホを返すのをすっかり忘れてしまっていたのだった――