テラーノベル
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【注意】
センシティブ作品です。
小スカ表現あり。赤ちゃんみたいになってます。
それでも大丈夫な方は続きをどうぞ。
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「わかい」
その声は泣いているようかのように脆かった。
収録終わり。楽屋でそれぞれ好きなことをして、過ごしていた。涼ちゃんは出演者の人と話すために部屋から出ていき、俺はぼーっとスマホでSNSをチェックしたり、LINEの返信をしたりしていた。
だから、一瞬気のせいかと思った。幻聴なのかと思うくらい、そのくらい元貴の声は小さくて震えていた。
「わか、っ、…」
二度目で確信を持って振り向くと、涙が溢れそうな元貴がそこに突っ立っていた。ぎゅっと服を握って手は震えている。
「どうしたの」
明らかに様子がおかしいことに気づき、慌てて立ち上がり駆け寄る。すると漂ってきた独特の匂いに気づいた。サッと元貴の足元を見るとじんわりと水溜まりができている。ズボンから靴にかけてびっしょり濡れていた。少し動くだけで波紋ができるほどだった。
「ごめん、なさい」
ハッとして顔を上げ元貴を見る。耳まで真っ赤になって大粒の涙がぽろぽろと溢れ出していた。
一瞬だけ思考が止まる。
でも、すぐに我に返った。
「…着替え持ってくる。タオルは…これ使って」
とりあえず、誰か他の人が入ってくる前にどうにかしなきゃいけない。俺は急いで自分のタオルを引っ掴んで、はい、と差し出した。
しかし元貴は受け取らない。床の惨状を見つめながら固まっている。足をきゅっとくっつけ、もじついているのが分かった。
もしかして。そう思った時には遅かった。
しょわ…。しょわしょわ…。
水溜まりが一回り大きく広がっていく。
「ぁ、あ、」
必死でズボンを握りしめて止めようとしているその指先が、白くなるほど震えている。
自分の意思が全く追いついていない状況に、元貴自身が一番動揺しているのが分かった。
「ぅ、ぁ、ひぐっ、ごめ、ごめんな、さ」
ボロボロとこぼれ落ちる大粒の涙が、赤く染まった頬を伝って床へと落ちる。
「いいよ、大丈夫大丈夫。全部出しちゃいな。拭けばいいだけだから。大丈夫」
努めて穏やかな声でそう伝えた。驚きがないと言えば嘘になる。けれど、自分のしたことに一番驚いているのは元貴だ。そう思うと、すぐ世話焼きモードに切り替わった。
ショックで固まっている彼を現実へと引き戻すように、安心させられるようにゆったりとした声を出す。
「元貴、靴脱いでこっちおいで」
そう言って汚れていない清潔なタオルを数枚重ねて、床に広げた。そうすれば床の掃除が出来る上に濡れている感覚が服だけになるから、気持ち的にも軽くなるはず。
元貴はまだグズグズと泣き続けていたけれど、その言葉に従うように、嗚咽を漏らしながら、
おぼつかない足取りで靴を脱ぎ、促されるままタオルの上へと移動する。
その一歩一歩がひどく頼りなくて、横で見守りながら、いつでも支えられるよう腕を伸ばした。
「ん、ありがと。よし、じゃあ床は後で拭くとして…服…予備あるかな…」
その時、ガチャっとドアの開く音がした。
静まり返った楽屋にその音はあまりに鋭く響いて、心臓が跳ね上がるのを抑えられず勢いよく振り向いた。
視界の端で、元貴がビクッと肩を震わせ、俺の背中に隠れるようにして小さくなるのがわかる。
「あれ、なにしてんの」
戻ってきた涼ちゃんが、不思議そうな顔でこちらを見ている。そっちからは角度的に見えないはず。涼ちゃんが口を開こうとする前に、俺の中の防衛本能が働いた。
「すぐドア閉めて鍵かけて。早く」
自分でも驚くほど硬い声が出た。
涼ちゃんは一瞬、その剣幕に圧倒されたように動きを止めたけれど、事の重大さを察したのか、疑問を口にするのを堪えて素直に指示に従ってくれた。
パタン、とドアが閉まる音がして、再び楽屋は静寂に包まれる。
「…どうしたのよ」
「……ちょっと、元貴が体調悪いみたいで」
「え!?大丈夫!?」
言いづらそうにそう告げると、涼ちゃんはサッと血の気が引いた表情になり、足早にこちらに向かってくる。
「ぁ、ちょっ……」
制止の声をかけるのと、彼がこの状況に気づくのは、ほぼ同時だった。涼ちゃんの足が、ピタリと止まる。
「……あー……」
全てを察したその声は、驚きよりも、事態の深刻さを理解した納得感を含んでいた。部屋のなかに、耳が痛くなるような沈黙が降りる。聞こえるのは、ただ元貴が喉を震わせる幼いしゃくりあげる声だけ。後ろを振り向くと、元貴は体を丸めて膝を抱え、殻に閉じこもるようにして震えていた。
(元貴、ごめん……)
彼のプライドを守りきれなかった申し訳なさで胸がいっぱいになった。俺でさえも嫌だろうに、涼ちゃんにも見られたそのショックを想像すると、胸を掻きむしられるような思いだった。
「……えっと……服どうしようって思ってたとこでさ」
この耐え難い静寂を少しでも和らげたくて、わざと事務的なトーンで口を開いた。変に気を遣っている素振りを示すと、もっと元貴が傷ついてしまう気がした。すると、涼ちゃんはハッとしたように顔を上げ、何かを思い出したように表情を輝かせた。
「あ!俺、帰りランニングする予定で来てて、それ用の服持ってるから貸すよ」
そう言い終わるか早いか、自分のバッグをひっくり返す勢いで上下の服を取り出した。
「しかも新品!!」
涼ちゃんの、努めて明るいその調子に救われた気がした。抱え込んでいた緊張の糸が、ほんの少しだけ緩んでいく。
「ありがと。……元貴、聞こえた? 涼ちゃんが服貸してくれるって。これに着替えて、さっぱりしちゃおう。な?」
元貴の背中を優しくポンポンと叩く。
「立ち上がれる?」
自分もしゃがみこみ、顔を覗き込んで促すと、元貴はゆっくりと立ち上がった。その足取りはどこか危うくて、今にも倒れそうだった。至近距離で見る元貴の顔は、あまりに痛々しい。綺麗な目元は真っ赤に腫れ上がり、頬には涙の跡が幾筋も残っていて、鼻水も相まってぐしょぐしょになっていた。
「……ん。大丈夫、ゆっくりな」
片手で背中を撫でつつ、空いた手で近くのティッシュを何枚か抜き取った。優しく顔を拭ってやると、元貴はされるがままで短く鼻を鳴らす。その様子が、ますます幼さを醸し出していた。
「元貴、とりあえず下脱いじゃおう。冷えちゃうからさ」
涼ちゃんがそう促すと、元貴はこくりと頷いて濡れたズボンのウエストに手をかけた。けれど、その指先は何度も何度も空を切るように手が滑る。それはどこか投げやりな動作で、焦れば焦るほど、布地は指からこぼれ落ち、上手く引っかかってくれない。
「元貴、焦んないよ。大丈夫、ゆっくり」
涼ちゃんが優しくたしなめるように言ったけれど、元貴のなかではもう限界だったんだろう。子どもが自分の思うように着替えられなくて癇癪を起こすときみたいに、元貴の顔がみるみる歪んでいった。
「…んーっ、ぅ、んん、」
喉の奥から漏れるのは、怒っているかのような唸り声。だんだんと自分への苛立ちが募っていくようで、止まりかけていた涙が再び大粒になってこぼれ落ちる。俺はそれを見て、思わず目を見張った。自分で着替えられないことにも驚いたけれど、こんな、些細なことができない自分に腹を立てて泣く元貴なんて、今まで一度も見たことがなかったから。
涼ちゃんもそれは同じだったようで、服を抱えたまま、驚きで固まっている。
「…元貴、元貴、もういいよ、大丈夫。俺がやるから」
見ていられなくなって、思わず早口でそう言ってしまった。焦るように動いていた元貴の両手を優しく包み込む。
「ひくっ、ぅ、あ……」
言葉にならない、赤ちゃんのような泣き声が漏れる。視線を合わせないように配慮しながら、元貴の前に膝をつく。そのままゆっくりと濡れたズボンに手をかけ、足首まで引き下ろした。
目の前に現れた灰色のボクサーパンツは、股の部分が黒く変色していて、そこからまだ温かい湿り気が肌に伝わっているのがわかった。
足首までズボンを下げ、声をかける。
「右足あげて」
そう言うと、元貴は俺の肩にギュッと小さく指を食い込ませ、俺を支柱にするようにして重心を左へ預けた。たどたどしい動きだった。ゆっくりと持ち上げられた右足は、湿った布地が肌に吸い付いて重そうだったけれど、俺が裾を慎重に抜き取ると、解放された足先がタオルの上へパサリと降りた。
「次は左、頑張ろうな」
もう一度声をかけると、元貴はぼんやりとした様子で小さく頷いた。今度は右足に体重を乗せようとするが、バランスがうまく取れないのか、身体がグラリと大きく揺れる。俺は慌てて元貴の腰のあたりをしっかり抱え直した。元貴は俺の服の肩口を強く握りしめ、左足を持ち上げようと膝を曲げる。
やっとの思いで左足がズボンの筒から抜けると、緊張が解けたのか、ふぅーっと長く震える息を吐き出した。しかし両足が自由になっても、元貴は自分から次の動作に移ることができない。
「元貴、下着は脱げれる?」
何となく答えはわかっていながらも、元貴の顔を見上げて聞いた。ふいに目が合ったけれど、その瞳はどこを見ているのか分からず、ただ虚空を彷徨っている。
「できる?」
もう一度、今度は確信を持たせるように低く、優しく問いかける。すると元貴は、ゆっくりと左右に首を横に振った。
「できない、わかいやって…」
それは甘えたような口調ではなかった。ただ、自分の体の動かし方さえ忘れてしまったような、酷くぼんやりとしたトーン。意識の糸がどこか遠くへ繋がってしまっているような、そんな頼りなさだった。
一瞬、言葉を失う。
涼ちゃんが横で、息を呑む気配がした。俺たちはこれまで、公私ともに長い時間を共有してきたけれど、これほどまでにプライベートな境界線を越えることはなかった。
疲れて漏らしてしまっただけだと思っていたけれど、この受け答えの様子を見るにつけ、本当に大丈夫だろうかと胸のざわつきが止まらなくなった。
続く。
コメント
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今作もいいですね!スキです🫶 続き楽しみに待ってます☺️

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