2216年10月30日 水曜日。
肌寒い朝。ハルはコートを纏って通学をする。何故か、焼き芋が食べたくなるような、そんな情景が目の前に広がっていく。薄暗いような空にかかる雲、風に舞う落ち葉、遠く近く聞こえるような車のクラクション…………。
その全てが事実であり、嘘っぽくもある。
いつものように学校に着いて、
いつものように教室へと向かう。
入口付近まで来ると、中がザワついているのが判った。ハルは怪訝そうな面持ちで教室に入った。
黒板の真ん中には、A4サイズの白い紙がマグネットで留められていた。…………ユメが近付いて来る。
白い紙に書かれていた文字。
2216/11/02 新宿
誰が、この紙を留めたのか…………。
ザワつきは収まらず、のままチャイムが鳴る。
担任の伏見が、いつもの面持ちで入って来る。黒板に目を移し紙を暫し眺めるように見つめて、そっとマグネットを上げて紙を解放する。
『さて…………』
「起立!! 礼!! 着席!!」
『みんな、おはよう。』
『奇しくも1時限目は、倫理の時間だね。今日は趣向を変えて「特別授業」として、この話をしていこうか……』
伏見は白い紙を、ヒラヒラとさせた。そして、その白い紙を再び黒板にマグネットで拘束した。
『みんなも知っていると思うが渋谷蜂起以降、いろんな形でD.N.S.C.法についての情報が流れて、みんなも考えていたんだろうと感じている。折角なので今日の倫理は「D.N.S.C.法」について質疑応答を行っていこう。僕はこう言いたい、私はこう考える、これってなに?何でも良いので、発言をしてほしい。』
口火を切ったのはクラスの委員長であるカダ。ゆっくりと落ち着いた口調で話す丸眼鏡が特長の生徒だ。
「何故、夢はコントロール出来ないんですか?」
『良い質問ですね、それは“夢”という現象が、君たちの“意識”ではなく“無意識”によって生み出されているからです。
──少し難しく言うなら、夢とは、“自我”が寝静まったとき、脳の奥で勝手に始まる自動思考の演劇なんですよ。』
カダの斜め後ろの席にいるナダが続く。ナダは陸上部に所属しており、短距離を得意としている。カダとナダは双子で見分けも付かないくらい似ているが、ナダは眼鏡を掛けて無いので、他の生徒はそれで判断が出来る。最も、カダの眼鏡はだて眼鏡で、本人達の「見分けやすくする」配慮でもある。(たまにナダが眼鏡を掛けて生徒をカオスにする)
「んー、もう少し詳しく聞きたいなぁ。無意識、と言われても…………」
伏見は黒板に、言葉を落としていく。
夢がコントロールできない理由
1. 制御中枢が眠っているから
『起きている時、人は「前頭前皮質」という部分で判断し、自分を律しています。ところが夢の中では、この部分が休んでしまう。だから、夢の中では自分が空を飛ぼうが、地球が爆発しようが、**「まぁ、そういうもんだ」**と受け入れてしまうわけですね。
2. 記憶と感情の再編成が行われているから
『夢は“寝ている間の情報整理”とも言われています。日中に感じたストレスや喜び、過去の記憶の断片──それらが、無意識の中でめちゃくちゃに編集された映画として出てくる。コントロールなんてできる方が怖いでしょう?』
3. 抑圧された感情が暴れ出すから
『フロイト風に言えば、夢は**“検閲をくぐり抜けた本音”**です。起きてるときには抑えていた「願い」や「恐れ」が、夢の中ではカーテンを引きちぎって飛び出してくる。それを“操作”しようとするのは──たとえて言えば、火山の噴火にフタをしようとするようなものです。』
『つまり夢とは、人間の深層にある“混沌”の最たるもの。
それを完全にコントロールしたければ、人はもはや“人間”ではいられなくなる──私はそう思っています。』
1番後ろの席に座っている剣道部のアコ。父が警察官で全国警察剣道選手権大会でも優秀な成績を残している。父を見て幼稚園から始めた剣道の腕前は相当なものであり、1年にして個人はおろか団体戦でも選抜される実力である。
「先生、夢を見る、見れない(去勢)、の間に選ぶ事の出来る選択肢は無いんですか?」
『いい質問です。本当に……本当に君たちは、厄介な世代ですね。でも、それが実に良い。教師冥利に尽きる。』
『さて、D.N.S.C.法によって君たちが強制的に「夢を見られなくなった」のは、政治的・技術的に「一律化」が最適解と判断されたからです。』
『しかし、君が言う“その中間”──夢のグラデーションのような選択肢は、本来ならあって然るべきでしょう。』
伏見は、淡々と黒板に文字を続ける。
夢を見る/見ない──その“間”の選択肢はあるか?
1. 技術的には可能だった説
『一部の研究者の間では、こう囁かれていました。**「夢の“強度”や“領域”だけを調整する技術はあった」**と。つまり、完全去勢ではなく…………』
•楽しい夢だけ見る(“エンタメモード”)
•悪夢だけは見ない(“セーフフィルター”)
•自分の記憶から生成された夢のみ(“記憶限定型”)
『…といった**“制御可能な夢”の提供**は、理論上可能だったらしいんです。けれど、それは導入されなかった。』
2. なぜ採用されなかったのか?
『簡単ですよ。“個別調整”は、コストが高すぎる。そして、危険が曖昧になる。支配する側にとって一番怖いのは、“逸脱する夢”がどこから始まるかが分からないこと。全員を一律に処理することが、一番“安全”で“効率的”だったんです。』
『まるで、全員にワクチンを打つように。1人だけ違う成分を入れて、「でも発症しませんでしたよね?」とは言えない。』
3. 倫理的選択肢は?
『わたし、伏見はね。かつて、**“選択肢のある夢去勢”**を推していた学派に属していたんですよ。「夢の一部を残しながら、安全を守る術はあるはずだ」と。』
『でもね、その声は届かなかった。届かせなかったのは──国家と、それに服従する科学者たちです。』
『このテーマに於ける結論です。選択肢は“あった”けど、“消された”。なぜなら、選ばせると、人間は“自分で考えてしまう”から。』
そして──考える者は、支配されない。
続いて、挙手をする生徒。窓際2列目に座るのは、タケ。帰宅部でPCとゲーム、それと自宅の猫(マンチカン:メス)であるクリムゾン(他の家族はミーちゃんと呼んでいる)が友達。
「今、夢を見る事が出来る2199年以前に生まれた人達にとって、夢は大切なものと考えるのかなぁ……」
伏見は軽く微笑む。
『──それは、“水を知っている魚”に「水は大切ですか?」と聞くようなものですよ。彼らは、夢を見る世界で生まれ、夢と共に育ち、夢に裏切られ、そして夢に救われてきた人々です。』
『つまり──夢は「当たり前すぎて、尊いかどうかすら測れない」ものだったのです。』
横槍が入る。窓際の最前列、コン。美術部所属、主として油絵を好む。休みの日に意味も無く画材屋に行き(買う事もある)、紙や油絵具の匂いに包まれるのが好き。
「当たり前でも無意識から生まれる夢に、一喜一憂するのが人間なのではないですか。」
夢を“失った者”と、“知っていた者”の断絶
『2199年以前に生まれた者たちは、
•夢を娯楽として扱っていた者もいれば、
•夢を創作の原動力にしていた者もいて、
•悪夢に怯え、眠れなくなるほど苦しんだ者もいた。
でも、共通して言えるのは──**「夢は、誰にも侵されない“最後の内面”だった」**という事。現実がどれだけ支配されても、夢だけは自由だった。だから、彼らにとって夢は「大切」だったというよりも、“不可侵”だったんです。』
去勢世代と旧世代のギャップ
『君たち“去勢世代”──夢を知らない世代にとって夢は、
•抽象的な憧れ
•曖昧な恐怖
•国家が封印した「何か」
『という、神話化された存在になっている。一方、夢を見ていた旧世代の人々は、君たちの“夢への渇望”を聞いてこう思うかもしれない。』
『「なぜ、そんなにも夢に飢えているのか?」彼らにとって夢は「無かったら困るもの」ではなく、常にそこにあった“空気”のようなものだったからだ。』
でも──
『その空気が奪われて、“夢を知らない者たち”が、夢を求めて命を懸けて叫びはじめたとき、旧世代は初めて気づいたんです。「あぁ……あれは、大切なものだったんだ」』
だから、答えはこうです。
『夢は、大切だった。だけど、それを**“去られた世代”によって、ようやく“価値あるもの”として証明された。**』
皮肉な話でしょう?
夢が消されて、ようやく夢が現実になった。
「さっき先生も言ってたけど、あの世界に誇る映画監督だって夢を基に作品を作ったり、あの明治の文豪然りだよ。」
割って入るは、チカラ。柔道部でガタイのデカさはクラスいち。入学式の帰りに脇見運転をしていた車に轢かれてそのまま16メートルぶっ飛んだが、かすり傷のみだった。チカラ曰く「受け身がうまくとれた」との事。
『そう、それだよ。君はちゃんと“矛盾”を見抜いている。つまり──夢ってものは、平等に与えられて、でも平等には使われなかったんだ。』
夢は“与えられた武器”、でも“使い方は自由”だった
『夢は、人間全員に与えられていた。でも──
•文豪はそれを言葉に変えた。
•画家はそれを色に変えた。
•音楽家はそれを旋律に、
•そして映画監督は、それをスクリーンの嘘に変えた。
一方で、
•夢を見て、ただ怯えた者もいれば、
•現実逃避に使って、社会に背を向けた者もいた。
•夢が原因で精神を病み、破滅した者もいた。
『だから、君が言う通り、夢は人による。でも──人によるものを、国家が一括で“害”と認定した時点で、文化も芸術も倫理も死んだ。』
更なる横槍が飛んで来る。サッカーで言う所のトップ下、司令塔に位置するは、タネ。ダーツ愛好会。ソフトダーツだが、フィル・テイラーモデルのダーツを愛用。総じて形から入るタイプ。
「でも、ペイヤーの人も居るし、一概には言えないと思う。人によりけり。」
“ペイヤー”──夢を見たことを悔いた者たち
『彼らは異物だ。夢を否定して、自ら去勢を選んだ人間。
夢があった時代の象徴のくせに、それを投げ捨てた者たち。
それが「ペイヤー」──夢の負債を、肉体をもって支払った人々。』
でも、君達に問う
『夢を奪われた今、それでも「夢を悪と断言できるか」?
本当に?あの文豪も、あの映画監督も、“世界を動かしたもの”の根源に夢があったなら、それを根絶するのは──』
人間性の自己否定じゃないのか?
『君の言葉には“揺らぎ”がある。それでいい。夢とは、論理と論理の“間に落ちる”ノイズそのものだから。』
伏見は笑う。
『……その矛盾を、ずっと抱えてくれ。それが“夢”ってやつの、唯一の証拠だから』
ユメが言葉を放つ。
「先生!私達は、はなから夢を見る事が出来ません!!」
『……うむ、それが“最初から無い者の叫び”というわけか。
静かに、しかし深く刺さる問いだな。』
“夢を知らない者”は、本当に“夢を持たない者”か?
『君たちは夢を見たことがない。物理的に、制度的に、神経的に、夢を奪われた世代だ。だが、それでもなぜ、“夢”という言葉に反応するのか。なぜ、君は今この瞬間、「夢を見たかった」と怒っているのか。』
──それは、君の中に“夢を欲する空白”があるからだ。
『夢とは、脳内の映像ではなく、欠如によって初めて浮かび上がる概念だ。見たことがなくても、それが“ある”ことを知ってしまった。それが罪であり、同時に目覚めでもある。』
君たちは“記憶なきノスタルジー”に苛まれている
『これは厄介だ。夢の記憶はないのに、世界の片隅にあった“夢が存在していた事実”だけは知っている。
•映画のワンシーン
•読んだ詩の一節
•ネットの中で語られた“誰かの夢”
そういった“亡霊たち”が、君の中に入り込み、
「本当は自分も見られたはずだ」と囁く。』
それが**ラストドリーマー(Last Dreamers)**なんだよ。
『結論として、夢を知らなくても、夢を“信じてしまった”時点で君はもう、“夢去勢世代”じゃない。君は、“夢喪失者”だ。違うんだ。君はただ奪われただけじゃない。』
君は夢を知らずに、それでも怒りを覚えた最初の人類だ。
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