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#ファンタジー
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#ファンタジー/SF
雨の高架道路の下。
コンクリートを叩く雨音が、古い都市の鼓動みたいに低く響いている。
街灯は何本か死んでいて、残った明かりだけが濡れた路面を鈍く照らしていた。
その暗がりの中に、今ではほとんど見かけなくなった旧型のセダンが停まっている。
エンジンはかけっぱなし。
マフラーから漏れる白い排気が、冷えた空気の中でゆっくり崩れていく。
ワイパーだけが、一定のリズムで動いている。
ギッ。 ギッ。 ギッ。
運転席では、レオンが煙草を咥えたまま壊れたライターを何度も擦っていた。
ようやく火がついたところで小さく舌打ちし、ライターをダッシュボードへ放る。
助手席では、ジンクが腕を組んだまま寝ている。 微動だにしない。
足元には、さっきコンビニで買った缶コーヒーの袋が転がっていた。
後部座席、運転席の後ろでは、リオが雑誌を読んでいる。 さっきジンクの買い物にこっそり混ぜて会計させたものだ。
リオ
「このアイドル、前と顔違くない?」
誰も返事をしないが、 リオは気にせずページをめくる。
カーラジオからは、ノイズ混じりの古いジャズが流れている。
雨音。 エンジン音。 遠いトランペット。
それだけの時間。
その時、 レオンの携帯電話が震えた。
安っぽい着信音が車内に響く。
レオンは嫌そうな顔で端末を取り出す。
画面には、 “MIRA” の文字。
レオン
「⋯はい。」
ミラ
「仕事。いつもの場所で。」
そこで通話が切れる。
レオン
「おい、待て! 詳細は——」
無機質な電子音だけが返ってくる。
レオンは数秒、携帯を睨みつけたまま黙る。
そして深く息を吐いた。
レオン
「⋯ったく。仕事だ。」
その声で、ジンクが薄く目を開ける。
リオは雑誌を閉じもせず聞いた。
リオ
「また面倒な依頼?」
レオン
「さぁな。あいつ、説明しねぇから。」
まだ火をつけたばかりの煙草を口から外し、 少しだけ眺めて、窓を開けて雨の外へ投げ捨てた。
煙草は濡れたアスファルトに落ち、 排水溝へ流れていく。
レオンはキーを軽く捻る。
古いエンジンが低く唸った。
ジャズが続く。
セダンはゆっくりと雨の街へ走り出す。
いつものミラとの集合場所。
地下ジャズバー「Blue Monk」。
古びた雑居ビルの地下にあるその店は、表のネオン街とは別の時間で動いている。
階段を降りるたび、湿った煙草の匂いと古い酒の香りが強くなる。
扉の奥からは、掠れたサックスの音。
レオンたちが店へ入った時、ミラはステージの上で歌っていた。
青いスポットライトが煙の層をぼんやり照らしている。
低く、気怠い歌声。
客たちはグラスを傾けながら聞いていたが、
本当に歌を聞いている人間は少ない。
ここに来る客は、政治家、企業ブローカー、情報屋、密売人、チンピラ。まともな人間は殆どいない。皆、脛に傷を持っている。
店の奥では、スーツ姿の男が誰かに札束を渡していた。
別の席では、顔に傷のある女が拳銃のスライドを机の下で確認している。
それでも誰も騒がない。
ここでは、それが普通だった。
レオンたちはカウンターから少し離れたボックス席へ座る。
ジンクはソファに深く沈み込み、 露骨に嫌そうな顔で周囲を眺めた。
ジンク
「相変わらず空気悪ぃ店。」
リオはメニューを開く。
リオ
「こういう店のオレンジジュースって妙に高いんだよね。」
レオンは何も言わず、
ステージのミラを見ていた。
彼女はここの歌手だ。
だが、それ以外のことを知る人間は ほとんどいない。
本名も、どこから来たのかも、何者なのかも。
歌だけが、この店での彼女の正体だった。
曲が終わる。
拍手はまばら。
ミラは軽く会釈すると、ステージを降りてレオンたちの席へ向かってくる。
席に着くなり、机の上へ小さなケースを置いた。 中にはUSBメモリが一本。
ミラ
「これを港で待ってる人間に届けて。」
レオン
「中身は?」
ミラ
「今は詳しく言えない。」
レオンはケースを手に取り、軽く振る。
ただのデータにしては、妙に重たい空気があった。
助手席で寝ていた時と違い、 ジンクは完全に目が覚めている。
ケースを見た瞬間、露骨に眉をひそめた。
ジンク
「嫌な匂いしかしねえな。運ぶだけなら俺達は必要ないよな?」
ミラ
「念の為。保険みたいなもの。」
リオは横からUSBを覗き込む。
リオ
「映画だったらこれ、絶対ヤバいやつ入ってるよね。」
ミラ
「映画なら、もう誰か死んでるんじゃない?」
一瞬の沈黙。
レオンは椅子に深く座り直し、
煙草を咥える。
今度はライターに火がついた。
小さな火が、
彼の目だけを一瞬鋭く照らす。
レオン
「⋯届けるだけ、だな?」
ミラは少しだけ間を置く。
ミラ
「ええ。」
ジャズが流れる。
サックスの音が、
地下の薄暗い空間にゆっくり沈んでいった。
Blue Monkを出て港に向かう。
今回はミラも同行する。
雨の高速道路。
無数のテールランプが、
濡れた路面に赤く滲んでいる。
レオンの旧型セダンは、 エンジンを低く唸らせながら夜の都市を走っていた。
カーラジオからは相変わらず古いジャズ。
ワイパーが忙しなく動く。
助手席ではミラが窓の外を見ている。
街のネオンが、
流れる水滴越しにぼやけていた。
後部座席ではリオがUSBケースを指先で弄んでいる。
小さく振ったり、 耳元でカタカタ鳴らしたりしている。
それを見たジンクが眉をしかめた。
ジンク
「触んな。爆発したらどうすんだ。」
リオ
「爆発なんかしないよ! バカ!」
ジンク
「する時はする。」
リオ
「USBだよ!? 何入ってんの!?」
レオン
「うるせえ! とにかく触んな!」
リオは不満そうにケースをシートへ置くが、リオの軽口で重かった車内の空気は少しだけ軽くなった。
だが、その空気の中で、 ミラだけが妙に静かだった。
レオンは 煙草を咥えたまま、低く言う。
レオン
「……なんかまだ隠してるだろ。」
ミラは答えない。 窓の外を見たまま。
その沈黙が、 逆に肯定みたいだった。
その時だった。
後方からヘッドライトが急接近する。
黒いSUVが 雨を切り裂きながら、
異様な速度で向かってくる
ジンクが小さく舌打ちする。
ジンク
「やっぱヤバい仕事じゃねぇか。」
レオン
「……来たぞ。」
次の瞬間。 SUVの窓が開く。
閃光と 銃声。
フロントガラスが割れる。
リオ
「うわぁぁっ!?」
レオン
「伏せろ!!」
レオンはハンドルを切り、 セダンを強引に反対側に回り込ませながら、拳銃の引き金を引く。
ミラも即座に助手席の下から拳銃を引き抜く。
迷いがない。
窓を半分だけ下げ、 前方へ向けて発砲。
乾いた銃声がジャズを掻き消す。
SUVの真横につけたところでジンクも後部座席の窓を開け、 ショットガンを構えた。
ジンク
「頭下げてろ!」
発砲。 轟音。
敵車両が一瞬蛇行する。 だが離れない。
さらに別のSUVが後方から現れる。
リオ
「増えた!? 嘘だろ!?」
レオン
「ミラァ!! “運ぶだけ”じゃなかったのかよ!」
ミラ
「……予定ではね。」
銃弾が側面を掠める。
リオは座席下からノート端末を引っ張り出した。 画面に自作ドローンの起動ログが流れる。
リオ
「お願いお願いお願い……!」
車の後部ハッチが僅かに開き、
小型ドローンが雨の中へ飛び出す。
プロペラ音。
ドローンはSUV上空へ回り込み、
強引に通信帯域へ干渉をかける。
ノイズ。
SUVのヘッドライトが一瞬明滅した。
車体が左右へ揺れる。
ジンク
「効いてる!」
リオ
「今だ!!」
レオンはアクセルを踏み込む。
エンジンが悲鳴みたいな音を上げた。
前方には 工事途中の高架下への細い侵入口。
普通なら絶対に入らない幅。
レオン
「掴まってろ!!」
セダンが急旋回。
タイヤが滑る。
車体を擦りながら、
ギリギリで高架下へ突っ込む。
後方のSUVは減速できない。
一台が中央分離帯へ激突。
もう一台は入口で引っかかり、
鉄骨へ派手にぶつかる。
レオンたちの車だけが、
暗い高架下の一本道へ滑り込んでいく。
しばらく誰も喋らない。
荒い息。
ワイパーの音。
焦げ臭い火薬の匂い。
そしてリオが、 震える声で呟いた。
リオ
「……全然“運ぶだけ”じゃないじゃん。」
高速を降りた先、
再開発が止まった区画。
窓ガラスの割れたビル群が、
雨の中で黒く立ち並んでいる。
レオンたちのセダンは、
その一角にある廃ビルの地下搬入口へ滑り込んだ。
エンジン停止。
静寂。
さっきまで鳴り響いていた銃声が嘘みたいだった。
天井のどこかから雨漏りしている。
ポタ、
ポタ、
と水滴の音だけが響く。
車体には銃痕。
側面には弾が掠めた白い傷。
リオはまだ少し震えていた。
ジンクはショットガンを膝に置いたまま、
入口方向を警戒している。
ミラだけが妙に落ち着いていた。
その態度が、
逆にレオンを苛立たせる。
レオンは煙草を咥え、
乱暴に火をつけた。
今度は一発でつく。
紫煙を吐きながら、
低い声で言う。
レオン
「訳もわからないまま殺されたくはない。説明しろ。」
数秒。
ミラは黙ったままUSBケースを見つめる。
ようやく口を開いた。
ミラ
「そうね。USBの中身は“人ひとりの人格”。」
リオ
「……は?」
空気が止まる。
遠くで雷が鳴った。
ジンク
「どういうことだ?」
ミラ
「対象の人間の記憶は勿論、価値観、判断基準、性格、身につけた技術……そういったものすべてを記録してあるらしいの。」
リオ
「らしいって……。」
ミラ
「私も完全には把握してない。」
レオンは煙草を指に挟んだまま、
ミラを見る。
レオン
「そんなこと可能なのか?」
ミラ
「わからない。」
ミラはケースを手に取る。
薄暗い車内で、
その小さなUSBだけが異様に重たく見えた。
ミラ
「中身を見ても、本当にそこまで記録されているのか解読できなかった。ただ……対象の人物だけはわかった。」
一瞬、言葉を止める。
ミラ
「アルバート・ヴァレンタイン。国家財政戦略局長官よ。」
ジンク
「政府のお偉いさんじゃねぇか。」
リオが顔を上げる。
リオ
「その人って確か、半年前に一週間くらい行方不明になってた人だよね?」
「ひょっこり戻ってきて、結局うやむやになったやつ。」
ミラは静かに頷く。
レオンの表情が少し変わる。
暗い夜の海で、大きな渦に少しずつ飲み込まれていくような感覚。
レオン
「……手荒く襲ってまで回収する理由あんのか?」
「そもそもなんで俺たちの行動がバレてんだ?」
ミラ
「それもわからない。」
彼女は珍しく目を伏せる。
ミラ
「どこかから情報が漏れていたか……。」
小さく間を置く。
ミラ
「そもそも、罠だったか。」
その言葉で、
空気が一段冷える。
ジンクがゆっくり立ち上がり、
廃ビルの暗闇を睨む。
ジンク
「最悪だな。」
リオ
「それって港で待ってる人も危ないんじゃない?」
レオン
「……そうだな。」
レオンは煙草を床へ落とし、
靴で火を潰した。
レオン
「まだまだ聞きたいことは山程ある。」
「だがまずは、そっちを急ぐ。」
誰も反論しない。
外では雨が降り続いている。
まるで街全体が、
何かを隠そうとしているみたいに。
港。
深夜のコンテナ港。
雨は少し弱くなっていたが、
海風が冷たい。
巨大クレーンが闇の中でゆっくり動いている。
赤い警告灯だけが、
無数のコンテナを不気味に照らしていた。
レオンたちのセダンは、
人気のない搬入口から港へ入る。
タイヤが濡れた地面を擦る音だけが響く。
車が止まる。
全員が無言のまま周囲を見る。
静かすぎた。
港特有の作業音が殆どしない。
レオン
「……嫌な静けさだな。」
ミラは小さく頷く。
指定されたコンテナ番号を確認し、
歩き出す。
コンテナの谷間。
錆びた鉄の匂い。
遠くで波の音。
そして——
リオが足を止めた。
リオ
「……あ。」
コンテナに、
人影が寄りかかっている。
待ち合わせ相手だった。
胸を撃たれている。
血は既に乾き始めていた。
開いた目は、
もう何も見ていない。
ミラが静かに近づき、
脈を確認する。
ミラ
「……死んでる。」
レオンは周囲へ視線を走らせる。
直後。
コンテナの裏。
暗闇から、
黒服の男たちが現れる。
一人。
二人。
三人。
さらに上。
積み上がったコンテナの上にも影。
完全に包囲されていた。
全員同じ黒い装備。
無駄のない動き。
軍隊みたいに静かだ。
その胸元に、金の エンブレム。
ORPHEUS。
男の一人が前へ出る。
感情のない声。
「返してもらう。」
レオン
「断ったら?」
男は答えない。
代わりに、
銃口を上げる。
レオン
「だろうな。」
次の瞬間。
銃火。
戦闘が始まる。
⸻
レオンは即座に横へ飛び、
コンテナ陰へ滑り込む。
乾いた銃声。
反撃。
二発。
一人の肩を撃ち抜く。
レオン
「ミラ!」
ミラは既に動いていた。
コンテナの隙間から、
冷静に敵を狙撃する。
一発ごとに確実に急所を撃ち抜く。
無駄がない。
リオ
「うわうわうわ多すぎ!!」
ジンク
「騒ぐな!」
ジンクはショットガンを撃ち切ると、
そのまま敵へ突っ込んだ。
距離を潰す。
ORPHEUSの兵士がナイフを抜く。
だが遅い。
ジンクは相手の腕を掴み、
コンテナへ頭を叩きつける。
鈍い音。
さらに別の敵の膝を蹴り砕き、
奪った拳銃で至近距離射撃。
完全に喧嘩殺法だった。
レオン
「派手すぎんだよお前は!」
ジンク
「静かに殺せってか!?」
その間にも、
敵は正確に距離を詰めてくる。
素人じゃない。
統率されすぎている。
リオはコンテナ陰に隠れながら、
ノート端末を開いた。
リオ
「ドローン飛ばす!」
小型ドローンが、
唸るようなプロペラ音と共に飛び上がる。
雨粒を弾きながら、
コンテナ上空へ。
リオは映像を見ながら叫ぶ。
リオ
「上に二人! 奥の通路にもいる!」
リオ
「あと入口側からライト! 車来てる!」
レオン
「増援かよ……!」
リオは舌打ちしながら、
端末を叩く。
ドローン下面のユニットが開き、
小型スモーク弾が落下した。
白煙。
増援に来た2台の車の視界が遮られる。
1台は方向を見失ったまま海へ落下していった。
ミラ
「レオン、右!」
敵兵が現れる。
レオンは反射的に発砲。
男が崩れ落ちる。
さらにミラがコンテナ上の狙撃手を撃ち抜いた。
落下音。
銃声。
火花。
怒号。
海風。
硝煙。
雨。
数分後。
ようやく静寂が戻る。
倒れた黒服たち。
血が雨水に混ざって流れていく。
リオ
「……終わった?」
ジンク
「まだ生きてる奴いるぞ。」
倒れていた敵兵の一人が、
血を吐きながら笑っていた。
胸を撃たれている。
もう助からない。
それでも笑っている。
不気味に。
男
「……が……る。」
レオン
「何?」
男
「…ノアが待ってる。」
その名前。
レオンの動きが止まる。
空気が変わる。
ジンクがレオンを見る。
リオも異変に気づく。
ミラだけが、
静かに空を見上げていた。
男は最後に小さく笑い、
動かなくなる。
遠くで船の汽笛が鳴った。
夜明け。
空の端から、
鈍い青色がゆっくり滲み始めていた。
港を離れた旧型セダンは、
人気のない湾岸道路を走っている。
車体には銃痕。
割れかけたサイドミラーが、
走行の振動で細かく震えていた。
カーラジオは壊れたのか、
もうジャズは流れていない。
聞こえるのはエンジン音と、
タイヤが濡れた路面を擦る音だけ。
誰も喋らない。
ジンクは腕を組み、
窓に頭を預けて目を閉じている。
眠っているようにも見えるが、
たぶん起きている。
ミラは助手席で黙ったまま、
前だけを見ていた。
リオだけが落ち着かない様子で、
後部座席から何度も前を見る。
さっきから、
ずっと空気が重かった。
耐えきれなくなったように、
リオが口を開く。
リオ
「……ノアって誰?」
誰も答えない。
しばらくして。
レオンが窓の外を見たまま、
低く言った。
レオン
「昔の亡霊だ。」
それ以上は話さない。
リオは続きを待ったが、
レオンは煙草を指で回しているだけだった。
ジンクが薄く目を開ける。
バックミラー越しに、
レオンを見る。
だが何も聞かない。
聞く気もないのかもしれない。
その頃。
遠く離れた港。
積み上がったコンテナの上に、
一人の男が立っていた。
彼は無言で、
走り去っていくセダンを見下ろしていた。
ただ静かに、
遠ざかる車を眺めている。
まるで、
何かを確かめるみたいに。
朝日が水平線から昇り始める。
赤い光が、
港全体をゆっくり染めていく。
高速道路。
レオンは煙草を口に咥える。
ライターを擦る。
火がつく。
小さな炎が、
疲れた横顔を照らした。
だが——
吸わない。
数秒そのまま煙草を見つめ、
レオンは小さく舌打ちすると、
火を消した。
窓の外では、
朝焼けの街が静かに流れていく。
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