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夜。雨は弱くなっていた。
港から逃げ延びた旧型セダンは、
人気のない工業区画を走っている。
道路脇には、営業をやめた工場と、
骨組みだけ残った建設途中のビル。
ネオンは遠い。
空は鈍い灰色だった。
車体には銃痕。
割れたフロントガラスに、
街灯が歪んで映る。
カーラジオは壊れたまま。
聞こえるのは、
エンジン音とワイパーだけ。
助手席でミラが窓の外を見ている。
後部座席ではリオが膝を抱え、
さっきから何度もUSBケースを見ていた。
ジンクは腕を組んだまま、
目を閉じている。
だが寝てはいない。
レオンだけが、
前だけを見ていた。
リオ
「……ノアって誰なんだよ。」
沈黙。
数秒。
レオン
「言っただろ。昔の亡霊だ。」
リオ
「でも待ってるって……」
レオン
「死んだ人間だ。俺に死ねってことだろ。」
それ以上は言わない。
リオは不満そうに口を閉じた。
やがて、
セダンは古びた整備工場の前で止まる。
看板は消えかけていた。
“NEON DUST”
今はレオンとジンクが便利屋の事務所として使っている。
屋号はそのまま引き継いだ。
シャッターがゆっくり開く。
車が中へ入る。
閉まる。
外の雨音が少し遠くなった。
⸻
工場の中は薄暗い。
工具棚。
油の匂い。
積み上がったタイヤ。
古いソファ。
奥には二階へ続く鉄階段。
片隅では古い冷蔵庫が低く唸っている。
レオンは車を降りるなり、
煙草を咥える。
ライターを擦る。
火がつく。
だが——
吸わない。
数秒そのまま煙草を見つめ、
舌打ちして火を消した。
その様子を、
ミラだけが静かに見ていた。
ジンクはショットガンを分解しながら言う。
ジンク
「港で待ってた奴、残念だったな。」
ミラ
「ええ。」
リオはノート端末を開く。
画面にはニュース速報。
『港湾地区で武装組織同士の抗争』
『違法取引に関連か』
『警察は捜査中』
リオ
「うわ……。」
「黒服の連中、映像から消されてる。」
ジンク
「仕事が早ぇな。」
ミラ
「ORPHEUSはすでにメディアにも入り込んでるみたいね。」
リオ
「一企業にそこまで出来るの?」
ミラ
「もうそこまで力を持ってる。」
工場の空気が静かに重くなる。
遠くで雷が鳴った。
レオンは車へ寄りかかったまま、
低く言った。
レオン
「……そろそろ全部話せ。」
ミラは少し黙る。
そして、
#ファンタジー
7
#ファンタジー/SF
USBケースを机へ置いた。
青白い蛍光灯の下で、
それは小さな棺みたいだった。
ミラ
「ORPHEUSは“人格移植”の技術を使ってる。」
リオ
「人格移植……?」
ミラ
「開発コードはGHOST CHIP。」
その名前。
レオンの目が少しだけ動く。
ミラ
「元々は医療技術だった。」
「認知症や記憶障害患者向けの研究。」
「自身の記憶や知識、技術、価値観…あらゆる物をバックアップとして保存できる技術。」
「開発していたのはHELIXION Neuro Systems。」
リオ
「医療機器の会社だよね?
爆発事故があったとこ。」
ミラ
「そう。表向きはね。」
静かな声だった。
ミラ
「でも、あれは事故じゃない。」
「ORPHEUSは研究に投資した。」
「そして完成後、開発関係者を消した。」
工場の空気が冷える。
リオ
「……そんなの。」
ジンク
「で、その完成品がこれか。」
ミラは頷く。
ジンク
「そこまでして隠す必要があるのか?」
「医療が目的なんだろ?」
ミラ
「それを知るために、
港で彼にデータを渡す必要があったの。」
静寂。
天井の雨漏りだけが響く。
ポタ。
ポタ。
レオン
「……なんでお前がそれを追ってる。」
ミラ
「仕事だから。」
レオン
「それがジャズバーの歌手の仕事か?」
空気が少し張る。
リオが「うわ」と小さく呟き、
ジンクは何も言わずショットガンを組み立てている。
ミラは少しだけ視線を落とした。
ミラ
「……気付いてたのね。」
レオン
「ただの歌手にしては銃の扱いが上手すぎる。」
「情報の流れも妙だ。」
煙草を指で回す。
レオン
「何よりお前は歌手のくせにジャズをわかってない。」
ミラ
「……。」
レオン
「歌は上手い。」
「だが他の音と会話をしてない。」
静寂。
ミラは少し口元を緩めた。
しかし、
すぐに表情を戻す。
ミラ
「私はORPHEUSを追ってる。」
ジンク
「警察か?」
ミラ
「違う。」
リオ
「じゃあ政府?」
ミラは少しだけ笑う。
疲れた笑いだった。
ミラ
「この街で政府を信用してる人間なんてまだいたのね。」
リオ
「うっ。」
ミラ
「ある機関に所属してる。」
「でも、そこももう完全には信用できない。」
レオン
「随分慎重だな。」
ミラ
「ORPHEUSは広がりすぎてる。」
「どこまで入り込んでるかわからない。」
「だから誰にも言えなかった。」
レオン
「俺もそのORPHEUSの元社員だが?」
ミラ
「勿論知ってる。」
「あなたに近づいたのも最初は情報収集。」
「元ORPHEUSだったから。」
リオ
「……じゃあ利用するつもりだったの?」
ミラ
「ええ。」
はっきり言う。
だが、
その後少しだけ声が落ちた。
ミラ
「でも今は違う。」
レオン
「何が違う。」
ミラ
「私と貴方は目的は違うかもしれない。」
「でも、おそらく成すべきことは同じ。」
ミラは真っ直ぐレオンを見る。
ミラ
「率直に言えば、協力してほしい。」
静寂。
古い換気扇の音だけが回っている。
レオンは煙草を指で回しながら、
しばらく黙っていた。
やがて短く言う。
レオン
「わかった。」
リオが顔を上げる。
だが次の瞬間。
レオン
「ただし協力するのは俺だけだ。」
「あとの二人は関わらせない。」
リオ
「レオン!何言ってんだよ!?」
「これまでだって危ない仕事あったじゃん!」
レオン
「今回は次元が違ぇ。」
リオ
「……俺、やっと自分の居場所見つけたんだ。」
声が少し震えていた。
リオ
「他の大人みたいに勝手に俺を置いて行くなよ!!」
工場の空気が止まる。
レオンは何も言わない。
代わりに、
煙草を握る指だけが少し強くなる。
ジンク
「軍は辞めちまったが、
俺の軍人魂は腐ってねぇ。」
ショットガンを組み上げる。
金属音。
ジンク
「ここまで知ってほっとけるか。」
ニヤつきながら、
レオンを見る。
ジンク
「それにこれは俺達NEON DUSTへの依頼だ。」
「そうだよな? ミラ。」
ミラは二人を見つめ、
静かに頷く。
ミラ
「えぇ。」
レオン
「っお前等なぁ!死んでも知らねぇぞ!!」
怒鳴ったあと、
工場の中が少し静かになる。
リオはふてくされた顔のまま。
ジンクはニヤついている。
レオンは数秒、
何か言い返そうとして——やめた。
諦めたみたいに深く息を吐き、
窓の外へ視線を向ける。
雨はもう、
ほとんど止みかけていた。
口元だけ、
ほんの少し緩んでいたことには、
誰も気付かない。
⸻
静寂。
雨漏りの音。
リオが、
少し遠慮がちに聞く。
リオ
「……でもさ。」
「レオン、元ORPHEUSなんだろ?」
「黒服の連中のこと知らないの?」
レオンはすぐ答えない。
煙草を指で回す。
レオン
「見たことはない。」
ジンクの手が止まる。
レオン
「俺がいた警備部門は治安維持部隊だ。」
「要人警護、紛争地の警備、暴動鎮圧。」
「少なくとも、そう説明されてた。」
ミラ
「“少なくとも”?」
レオン
「警備部門だけは他と別口で採用される。
入社後の教育も別だ。」
少し間を置く。
レオン
「……それなのに途中で配属が変わった連中がいた。」
「ただ、それ以降そいつ等の名前はどこにも残ってない。」
工場の空気が静まる。
リオ
「……じゃあ港の奴らは。」
レオン
「たぶんそいつらだ。」
ジンク
「裏部隊か。」
レオンは頷かない。
代わりに、
少し疲れた顔で煙草を見た。
レオン
「ノアはおそらく気付いてた。」
その名前で、
空気が少し変わる。
ミラは黙ったまま聞いている。
レオン
「あの人は何かを調べてた。」
「聞いても俺には教えてくれなかったがな。」
小さく笑う。
だが、
目は笑っていない。
レオン
「で、ある任務中に死んだ。」
静寂。
ジンク
「事故じゃなかったのか。」
レオン
「公式にはな。」
煙草を握る指に、
少し力が入る。
レオン
「死体は戻ってこなかった。」
ミラの視線が、
僅かに動く。
レオン
「報告書も不自然だった。」
「護衛任務のはずなのに、肝心の記録だけ抜けてる。」
レオンは窓の外を見る。
止みかけた雨の向こう、
夜明け前の灰色の街がぼんやり滲んでいた。
レオン
「その時やっと気付いた。」
「ORPHEUSは、
俺が思ってた会社じゃなかったってな。」
雨漏りの音だけが、
薄暗い工場に響いていた。
レオンはしばらく黙ったまま、
手の中の煙草を見る。
火は、
もう消えていた。
数秒後。
レオンは持っていた煙草に、
最後まで口をつけないまま握り潰して捨てた。