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#先生と生徒
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『……空、会いたいねん』
翌日。デートに向かうもとちゃんを駅で見送ってすぐ、新先生から電話があった。
まるで、俺が一人になる瞬間を、ずっと物陰で待っていたかのように。
「新先生。今、どこにおるん?」
『……この間、空と会ったところ』
「……あ」
嘘やろ。俺の視線の先、駅前のガードレール。
スマホを耳に当てたままの新先生と、目が合った。
このまま迎えに行くのが正解なのか。あの日俺を襲ったこの人を、受け入れるのが正しいのか。
「……心配した」
「……ごめん」
思考とは裏腹に、足は勝手に動いていた。
あの日と同じ場所で、先生はガードレールに腰掛けたまま、俺を見上げている。
「……足、力が入らんくて」
「え?」
「……本当は、空の家の住所を知ってるから、直接行きたかったんやけど。ここまで来たら急に怖気づいて、足が動かなくなった」
「……なんや、カッコつけてそこに座ったままなんかと思ってた」
「え、俺、そんなカッコつけてる? 足がビリッビリに痺れて立てへんだけやで?」
ふふっ、と二人で笑い合う。
元気そうで良かった。でも、少し頬が痩せた気がする。
「あ、先に言っておくけど、もとちゃんとは付き合ってないから。デート用に服を貸して、彼女の元に送り出しただけ。わかった?」
新先生がまた嫉妬で暴走しないように、先に釘を刺す。先生は明らかにホッとした顔をした。まだ、俺に恋をしている。その瞳を見れば分かる。
「で? 来んの? 来うへんの?」
「……ええの?」
「そんな顔している人を放っておけるほど、俺、卑劣じゃないで」
「はいっ」と手を貸して引っ張り上げたら、「お尻がビリビリする」としばらく悶えていて、俺は声を上げて笑った。動き出すのに、五分はかかったんじゃないかな。
「……新先生が学校を辞めたのって、やっぱり、俺のことが原因?」
歩き出し、家へ向かう道すがら、ずっと喉に引っかかっていた問いをぶつけた。
「……証拠もないし、否定はしたんやけどな」
「……俺、あの先生にビンタされた。とんだとばっちりやわ」
「ごめん……」
「……ここで辞めたら、空が俺のことを先生じゃなくて、一人の男として見てくれる良い機会かもしれん。そう思って、辞表書いてん」
淡々と語るその声に、心臓を直接掴まれたような衝撃が走る。
ほんまにあほやな。自分の大切なキャリアを投げ打つ時ですら、俺との未来しか考えてないなんて。
「……教頭は大ごとにしたくなかったみたいやからな。相手の生徒が誰かは、最後まで問い詰められんかった。勿論、俺1人の責任やし、すぐに責任取って辞めるって言うたから、話も早かった」
自嘲気味に笑う新先生の声には、もはや未練など微塵も感じられへんかった。
「あの先生も、俺と空を引き離したかっただけやから。俺が学校から消えれば、もう何も言わへんと思う。……なんかあったら、俺がもう一度話しに行くし。やから、空は心配せんでいい」
もし、それでも俺が新先生を拒絶していたらどうするつもりやったん?新先生は、たった一人で生きていけるほど強くないくせに。
「……ちゃんと、ご飯食べてた?」
「あんまり……。でも、水分だけは取れてた」
「……こんなに痩せて。ご飯作ってあげるから、待ってて」
キッチンに立ち、もとちゃんのお母さんのオムライスを思い出しながら、不格好なオムライスを作った。薄い卵の皮が少しだけ破れて、慌ててケチャップで隠す。
そんな出来損ないの料理を、先生は「美味しい、美味しい」と、愛おしそうに平らげてしまった。
ふと目が合った瞬間、あの日の美術室の熱がフラッシュバックする。
『空と二人になると、どうしても抑えられなくなる』
あの言葉は、今も消えずにこの人の胸にあるんやろうか。
「……ごちそうさまでした」
幸せそうに笑う目の前の人は、もう「先生」じゃない。ただの、俺を愛してやまない一人の男や。
「……うん。食べたなら、帰って。駅まで送っていくから」
「……うん。あ、でも俺、空に伝えたいこと、まだ伝えてないねん」
「何? 俺、この後友達と用事があるから、早く言って」
何に対して、こんなに焦ってるんやろう。もう、禁断の関係ですらない。守るべき壁なんてどこにもないのに。
「あのさ……お兄ちゃんでもソフレでもいい。俺のこと、空の側に置いてほしい。……あかんかな?」
俺は今、確実にもとちゃんに惹かれている。けれど、もとちゃんには大好きな彼女がいる。
心が壊れそうな時、いつも側で俺を助けてくれたのは新先生やった。今だってそうや。まるで俺を救い出すために、タイミングを見計らって現れたみたいに。
俺が欲しかったのは、手に入らない虚しい片思いじゃない。
俺のことだけを見つめてくれる、重すぎるくらいの、確かな愛や。
決意を固めるように、深く、長く息を吐き出す。
もとちゃんへのやり場のない執着も、自分勝手な期待も、すべてを吹き消すために。
思考を真っ白に塗りつぶし、俺は目の前の新先生を真っ直ぐに見つめた。
「……俺のこと、いっぱい愛してくれる?」
少し震えた俺の声に、先生は迷いなく、けれど祈るような切実さで答えた。
「……当たり前やん。俺は、空しかいらん」
空っぽだった胸の隙間に、先生の熱がじわじわと染み込んでいく。
「……俺、新先生と、ちゃんと向き合いたい」
「空……」
「……でも、条件がある」
「なに? なんでも聞くよ」
俺は、先生の潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「俺が大人になるまで、待って。ちゃんと向き合うって、そういうことやと思うから」
「……わかった。待つよ。空が大人になるまで、ずっと」