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Dom/Subユニバース『所有ではなく、君の自由を』~a×s~
Side佐久間
俺は、自分がずっと「Sub」であることを隠してきた。
この世界で生まれた瞬間から定められる「Dom」か「Sub」かという区分。そのどちらかであることは誰もが知っているし、当たり前のように社会を形づくっている。けれど俺は、その「当たり前」を拒み続けてきた。いや、拒んだというより、隠さなければ生きていけなかった。
Dom/Subユニバース。
この世界では、人間は大きく二つに分けられる。
Domは支配する側。人を導き、命令し、守ることを宿命づけられた存在。声の調子ひとつ、視線ひとつで相手を従わせる力を持つ。社会の上層に立ちやすいのは圧倒的にDomで、政治家や経営者、軍人や医者――そういった「リーダー」と呼ばれる仕事のほとんどはDomが占めている。
一方でSubは、その逆。支配される側。従うことに向いていて、誰かの庇護のもとで安心を得ることが本質。番契約を結んでDomに守られるのが理想とされ、社会からは「誰かの所有物」として見られることが多い。
確かに、SubにはSubなりの役割がある。人に寄り添い、調和をもたらす存在だからこそ、家庭やチームの中では欠かせないとも言われている。でもね、それは「誰かに属している」ことが前提なんだよね。独り立ちしてキャリアを積んでいくSubは珍しい。いや、ほとんど無理だと思う。
俺は、その「無理」に挑んできた。
生まれ持った本能ではなく、自分の努力だけでここまで来たんだ。Subだと知られた瞬間、俺の築いたものは崩れてしまう。そう思ったから、俺は自分を「Normal(ノーマル)」に見せかけることにした。
この世界には、稀にDomでもSubでもない「Normal」と呼ばれる人間がいる。支配も従属もせず、フラットな関係を築ける人たち。彼らは全体の数%しか存在しないけれど、偏見が少なく、比較的自由なんだよね。だから俺は、その「Normal」を演じることにした。
――演じるためには、徹底的に自分を偽らなければならない。
声のトーン、姿勢、人との距離感。Subは自然と誰かに従いたくなる本能があるけれど、それを抑え込んで、「対等」を装わなければならない。会議で意見を言うときも、心臓が跳ねるほど緊張していても、平然とした顔を崩したら終わりだよね。後輩や上司に対しても、過剰に気を遣わないように気をつけた。自然に見せるためには、常に自分を監視し、制御し続ける必要があったんだ。
それは正直つらかった。
普通の人にとって、ただ雑談するだけの時間も、俺にとっては「演技の時間」だよね。笑うタイミングを計り、相手に従いすぎないように意識し、でも逆に反発しすぎても不自然になるから、そのバランスをずっと計算する。心の中では汗だくになっていても、顔には出せない。
仕事で成果を出せば出すほど、「やっぱりNormalだね」「独立してすごいな」って言われる。褒められるたびに胸が痛くなる。本当は俺はNormalじゃない、Subなのに。誰かに従いたい衝動を必死に隠して、居場所を守っているだけなんだよね。
それでも、ここまで来られたのは俺なりの意地だった。
もしSubだと知られたら、周りの評価は一瞬で変わる。俺自身が変わらなくても、世間は勝手に「誰かの所有物」としてしか見なくなる。それが怖かった。努力して積み上げたものを「Subだから仕方ない」で片づけられるのが嫌だった。
俺は俺として、一人の人間として認められたかった。
俺は今日も平然とした顔で出勤する。
「Normal」としての仮面をかぶって、誰にも怪しまれないように振る舞う。心の奥底でうずく欲求を抑え込み、誰にも気づかれないように押し殺して。
ここまで、なんとかやってこれた。今までずっと、俺は隠すことに成功してきた。
朝のオフィス街は、まだ少し眠気を引きずったような空気に包まれていた。ビルのガラスに反射する光が眩しくて、俺は片手で額をかばいながら会社のエントランスへと歩いていった。出勤ラッシュの人波に混ざりながらも、心の中ではいつも通りの切り替えをしている。今日も「Normal」として、平然と働く。それが俺の毎日。
エレベーターに乗り込み、営業部のフロアに着くと、すでに多くの社員がデスクに向かってパソコンを立ち上げていた。電話のベルが鳴り始め、コピー機が軽快な音を立てる。オフィスの朝は、いつだって小さな雑音の集合体みたいににぎやかだよね。
「おはよう、佐久間」
声をかけてきたのは、隣のデスクの深澤。頭の回転が速くて、どんなデータでも一瞬でまとめてしまう天才肌。俺とはタイプが違うけれど、一緒にいると安心できる相手だった。
「おはよう、深澤」
俺は軽く笑って椅子に腰を下ろした。
パソコンを立ち上げる間に、深澤がちらっと俺の方を見て、にこっと笑った。
「昨日の契約、すごかったね。あの難しいクライアントを一人で落としたって聞いたよ。やっぱりふっかさん、さすがNormal。なんでも一人でこなせるね」
「はは、なんだそれ。まあ、ちょっと運が良かっただけだよ」
俺は軽いノリで返した。内心では少し胸がざわついたけれど、表には出さない。深澤の言葉に悪意はないし、彼にとっては素直な賞賛だよね。俺が「Normal」だと思われていること、それは俺にとって必要な隠れ蓑だから。
「でも、本当にすごいと思うよ。Subの人ならあの場面で緊張して動けなかっただろうし、Domなら逆に強引に進めすぎて失敗してたかもしれない。佐久間みたいに柔軟に対応できるのは、Normalならではだよね」
「……そ、そうかな」
笑いながらそう答えたけれど、胸の奥では小さな棘が刺さったみたいな痛みを感じた。俺がNormalじゃないことを知っているのは、自分だけ。周りの評価を受け止めるたびに、心のどこかでひそかに苦しくなる。
その時だった。
ふと視線を上げると、フロアの向こうから一人の男が歩いてきた。背が高く、黒のスーツがよく似合う。すれ違う人が自然と道をあけるのは、その存在感のせいだろう。整った顔立ちに、鋭い眼差し。彼の視線が一瞬だけこちらを掠め、俺の方に止まったかと思った。
〇〇亮平――営業成績ナンバーワンの男。
彼は立ち止まることなく、ただ軽くこちらを一瞥しただけで、すぐに通り過ぎていった。何も言わない。表情もほとんど変わらない。ただ、その場に残された空気だけが少し張り詰めたように感じた。
「……すごいね、やっぱり」
深澤が感心したように小声でつぶやいた。
「さすが営業成績ナンバーワンの阿部くんだよ。もう、たたずまいが違う」
「そうだね」
俺は、そっけなく相槌を打った。
正直、なんとも思わない。阿部がどんなDomだろうと、どれだけ優秀だろうと、俺には関係ない。深澤と同じように感心する必要もない。ただ一緒に働いている同僚の一人でしかない。そう思い込むように、言葉を選んだ。
深澤はまだ阿部の背中を目で追っている。
「やっぱり、周りを引きつける雰囲気があるよね。ああいう人がリーダーになるのは当然なんだろうな。カリスマ的存在ってやつ?」
「カリスマ?ふうん。カリスマねえ」
俺は机の上の資料に目を落とし、話を合わせる程度で終わらせた。
パソコンが立ち上がると、俺はすぐに今日のスケジュールを確認する。午前中は既存顧客へのフォローコール、午後には新規案件の打ち合わせが二件。どれも気を抜けない仕事。
オフィスのあちこちで、電話のコール音とキーボードを叩く音が重なり合う。そのざわめきに身を沈めながら、俺はいつものように自分を「Normal」として動かし始めた。余計な感情を胸の奥にしまい込み、ただ成果を積み重ねることに集中することにした。
―――営業部の朝のミーティングが終わろうとしたとき、部長が俺の名前を呼んだ。
「佐久間、それから阿部。午後のクライアント交渉、二人で行ってきてくれないか」
突然の指名に、一瞬だけ胸が跳ねた。俺は思わず阿部の方を見たが、彼は特に表情を変えず、ただ軽く頷いただけだった。相変わらず無駄のない仕草。ナンバーワン営業らしい落ち着きで、こちらに対するリアクションは何もなかった。
「……わかりました」
俺も平然を装って答えた。
会議室を出たあと、深澤が小声で「よかったね。阿部と一緒なら安心だよ」と声をかけてくれた。俺は笑ってごまかしたが、内心では複雑だった。確かに阿部と組むのは心強いかもしれない。けれど、Domの側にいなければならないという不安も募る。あの鋭い眼差しに見透かされるような気がしてならない。
午後、俺と阿部は二人で交渉に臨むための資料をまとめることになった。会議室のテーブルにノートパソコンを並べ、必要なデータや過去の契約履歴を引っ張り出して整理していく。
「……この部分の数値、もっと具体的にしたほうがいい」
阿部が静かに言った。
「そうだね。じゃあ、追加のデータはここに入れておこう」
互いに必要以上の会話はなかった。俺はいつもどおり軽口を混ぜて空気を和らげようとしたが、阿部は相槌すら最小限。作業に集中しているだけとも言えるが、俺にとっては壁のような無反応だった。
数時間後、資料は完成した。数字もグラフも揃え、提案内容も整理した。準備としては十分に思えた。
クライアントとの交渉は夕方に行われた。重厚な応接室の中、相手の担当者は腕を組みながら資料をめくる。俺と阿部は順に説明をしていった。
「弊社としては、このプランが御社の需要に最も適していると考えております」
俺はそう口にしたが、相手の眉間は険しいままだった。
「……しかし、コスト面でのメリットが見えにくいですね」
「現状のサポート体制では不安が残ります」
相手から次々に突っ込みが入る。俺は必死に返した。
「もちろん、そこは柔軟に対応させてもらうつもりで――」
「それでは不十分です」
会話は噛み合わず、空気は重たくなるばかりだった。阿部も冷静に補足を入れていたが、クライアントの表情は動かない。最後には「検討します」とだけ告げられ、資料をテーブルに置いたまま立ち上がってしまった。
扉が閉まった瞬間、部屋には気まずい沈黙が広がった。
俺は深く息を吐き、背もたれに体を預けた。
「……だめだった」
心の中で悔しさが渦巻く。今までなら一人で切り抜けてきたのに、今回はどうにもならなかった。阿部と一緒でも、この結果だよね。
隣を見ると、阿部は資料を片付けもせず、ただ一点を見つめていた。そして静かに口を開いた。
「……もう一度、練り直そう」
その声は低く落ち着いていて、決して責める響きではなかった。ただ事実を告げるだけの冷静さ。
「このままじゃ通らない。佐久間、時間ある?」
「あるけど……今から?」
「そう。会議室を押さえよう」
そう言って立ち上がると、迷いなくドアの方へ歩いていく。俺も慌てて資料を抱え、後を追った。
社内の小さな会議室に入り、二人だけで扉を閉める。静まり返った空間に、外のざわめきは届かない。窓から射し込む夕陽がテーブルを斜めに亮平らし、淡い影を作っていた。
「さっきの提案、どこが弱かったと思う?」
阿部が真っ直ぐに俺を見る。
「……コスト面だね。数値の裏付けが足りなかったんだと思う」
「そうだね。加えて、相手の立場から見たときのリスク説明が不足していた」
冷静に分析する阿部の言葉は鋭く、同時に的確だった。俺も反論の余地がない。
「そうだけれど、あの場でできることは全部やったつもりだよ」
「全部じゃない」
短く切り返され、胸の奥がチクリと痛む。だが、不思議と責められている気はしなかった。あくまで事実として告げられているだけ。
「……じゃあ、次はどうする?」
俺が尋ねると、阿部は静かに資料を開き直した。
「一からやり直す。相手が本当に求めているのは何か、徹底的に洗い出そう。数字だけじゃなく、心理的な安心感も含めて」
「心理的な安心感、か……」
俺は呟いた。Subとしての本能を隠してきた自分には、妙に重たく響く言葉だった。
夕陽がだんだんと赤く染まり、会議室の中の影が濃くなっていく。テーブルに並んだ資料に、俺と阿部の影が重なり合った。
これまで避けてきたはずの存在。Domの鋭い視線。その隣で、俺は再びペンを握った。
―――――――――――――――――
気が付けば時計の針はもう九時を回っていた。
会議室の窓から見える街の明かりはすっかり夜景に変わり、オフィスフロアは静寂に包まれている。資料を何度も見直し、議論を繰り返すうちに、いつの間にか周囲の社員は全員帰ってしまったらしい。
俺と阿部、二人きり。
広い会議室の蛍光灯の下、机の上に散らばる資料とパソコンだけがまだ働き続けていた。
「……結構詰めたよね」
俺が軽く背伸びをして呟くと、阿部は資料を閉じて小さく息を吐いた。
「そうだな。だいぶ形になったと思う」
それきり沈黙が訪れた。ペン先を転がす音がやけに大きく響いて、俺は少し肩の力を抜いた。すると、不意に阿部が口を開いた。
「……佐久間ってさ、休日は何してるの?」
思いがけない質問に、俺は瞬きをした。
「え? なんだ急に。仕事の話かと思ったら」
「いや、ただ気になって。全然イメージが湧かないんだよね」
その声は驚くほど柔らかかった。いつもの営業の場で見せる冷静さでも、Domらしい威圧でもなく、ただの雑談のような調子。俺は思わず笑ってしまった。
「休日かあ……まあ、適当に買い物したり映画観たりかな。パーッと遊ぶのも好きだけれど」
「へえ、映画。どんなの観るの?」
「アクションとか。あと最近は、なんかSFでドカーン!って爆発するやつ観たよ」
「ドカーン?」
阿部が少し首をかしげ、それからにやっと笑った。
「……なんか、ぱぴゅーんって感じだね」
「は? ぱ、ぱぴゅーん?」
俺は思わず吹き出した。
「な、なんだそれ! ぱぴゅーんって! ウケる!」
声を押し殺して笑っていると、阿部まで肩を揺らして笑い始めた。真面目な顔しか知らなかったから、その笑い声に逆に驚いてしまった。
「ごめん、なんか言ってみたくなっただけ」
「いやいや、いいけれど。めっちゃ新鮮だよ。阿部がそんなこと言うの」
「普段、そんなに堅く見える?」
「そりゃそうでしょ。Domらしいオーラばっか出してるじゃん。営業の時とか、本当に近寄りがたいよ」
「へえ……そう思われてるんだ」
阿部は少し亮平れくさそうに笑った。その表情は、昼間の鋭い眼差しとはまるで違った。
会話が始まると、不思議と止まらなくなった。
俺は自分でも驚くくらい自然に言葉を重ねていた。
「そういえば、阿部って休日は何してるの?」
「俺?バスケかな。たまに友達と集まってやるんだよ」
「おお、似合うなあ。なんかスポーツ万能そうだし」
「いや、そんなでもないけれど。佐久間は? スポーツやる?」
「俺は……球技がちょっと苦手でダンスちょっとやってたくらいかな。でも最近は全然。走るのもしんどいし」
「意外だね。佐久間って動けそうなのに」
「いやいや、動けるのは口だけだよ」
思わず笑い合って、気づけば会議室の空気はすっかり和んでいた。あの張り詰めた空気も、DomとSubの隔たりも、今は存在しないように感じる。
「佐久間ってさ、よく喋るよね」
「うわ、それ褒めてるの? 貶してるの?」
「褒めてる。……なんか、ぱぴゅーんってしてるから」
またそれを言うものだから、俺は机に突っ伏して笑ってしまった。
「もうやめてよ! ぱぴゅーんとか! 本当にツボだよ!」
「そんなに?」
「めっちゃウケる。今度から俺も使おうかな」
「やめてよ、恥ずかしいから」
「ははっ、言った本人が恥ずかしがってどうするんだよ」
気づけば俺は、Domの阿部だと意識することを忘れていた。ただ隣にいるのは、同じ営業部の同僚で、なんとなく気が合う人間。そんなふうに思えた。
けれど――その空気は、不意に変わった。
笑い声が途切れた瞬間、阿部が俺の方を見た。その瞳は、さっきまでの柔らかさを消し去り、鋭く研ぎ澄まされた光を帯びていた。思わず息を呑む。
「……佐久間って」
低く落ち着いた声。
「……Subだよね?」
「……え?」
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作者名「木結」(雪だるまアイコン)でご検索ください。
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