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新生活が始まって、2ヶ月が経った頃。
仕事のリズムにも徐々に慣れ、ふたりはそれぞれの職場で評価され始めていた。
だが、それと同時に――ふたりの時間は少しずつ、ずれていくようになった。
「ただいま」
夜10時を過ぎて、ようやく玄関の扉が開いた。
すちの声に返事はなく、リビングのソファでは、みことが膝を抱えて眠っていた。
照明の明るさを落とし、すちはそっとブランケットをかける。
「…ごめんね、待たせちゃったね」
そう呟く声も、眠るみことには届かない。
翌朝、みことは先に家を出ていた。
キッチンには簡単に作られたお弁当がふたつ、ラップの下にメモが添えられていた。
「お弁当つくったよ。
今日もがんばってね。
みこと」
すちは思わず胸が痛くなった。
最近は、ゆっくり顔を合わせて話す時間すら取れていない。
キスすら、まともにできていない。
みことは職場でうまくやっているように見えるが、時折、携帯の画面を何度も見ては溜息をつく。
すちからの既読はつくのに、返事がこない――そんな日が続いていた。
(俺ばっかり、寂しいのかな……)
そう思った瞬間、情けなくて、でもどうしようもないほど恋しくて、みことは目を伏せた。
すちもまた、終電近くまで職場に残り、部屋に戻る頃にはみことはもう寝ている。
「…ちゃんと話したいのに」
そう思っていても、口に出す時間も気力も、なかなか生まれない。
すれ違いが続くうちに、お互いが無理をしていないか、疲れすぎていないかと心配する気持ちと、
「こんなに会えないなら、一緒に住んでる意味って……」という一瞬の弱音が心をかすめる。
でも、会えない夜ほど、触れたときの温もりを思い出してしまう。
寂しさの中で募る想いは、決して消えていなかった。
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その日は、偶然にもふたりとも仕事が早く終わった。
「今日は……早く帰れる」
そう思った瞬間、すちは携帯を取り出し、迷わずみことにメッセージを送った。
【今夜、早く帰れる。夕飯、一緒に食べよう】
数分後、みことからの返信があった。
【うん。楽しみにしてる】
短いけれど、やわらかくて、嬉しそうな返事だった。
家の扉を開けると、ふんわりと煮込み料理の匂いが漂ってくる。
「すち、おかえり」
キッチンに立つみことは、どこか緊張していて、でも笑顔だった。
テーブルには、久々にふたりで囲む食卓があった。
「……おいしい」
すちが何度もそう言って箸を動かすのを見て、みこともようやく笑顔を浮かべた。
けれど、会話の合間に時折訪れる沈黙は、どこかぎこちない。
食事を終え、食器を片付けたあと、ソファに並んで座った。
けれど、どちらからともなく言葉が出ない。
みことはそっと口を開いた。
「……なんで、こんなに会えなかったんだろうね」
すちは、少しだけ視線を落とす。
「忙しかった、から……だけじゃ、ないよね」
その言葉に、みことの肩がわずかに揺れる。
そして、堰を切ったようにぽつぽつと言葉があふれ出す。
「話したかった。顔見たかった。……さわりたかった。……なのに、我慢してばっかで……。俺、すちと一緒にいるのに……ずっとひとりみたいで、寂しかった……」
涙がぽろぽろとこぼれた。
それは静かで、でも深く心に沈んだ寂しさの結晶だった。
すちは一歩、みことに近づく。
「ごめん」
それはただの謝罪ではなかった。
みことを見つめるその瞳は、真剣で、痛むような想いをにじませていた。
「俺も……ずっと、みことに触れたかった。
でも、疲れてるだろうし甘えるのが怖かった。 本当は毎日、“おかえり”って言いたかった。 俺、みこちゃんのこと大事にするって決めたのに……ひとりにさせて、ほんとにごめん」
みことの肩を、そっと引き寄せる。
その腕の中で、みことはようやく声を上げて泣いた。
やわらかいぬくもりが、張りつめていた心を溶かしていく。
「俺、すちが好き……。だから我慢してた……。でも、もう我慢しなくていい?」
「……うん。甘えて。ずっと、隣にいて」
ふたりの唇が重なったとき、時間がようやくふたりだけのものになった。
寄り添ったまま、しばらくふたりは何も言わず、ただ呼吸の音だけが重なる静かな時間が流れた。
泣き疲れたみことの指が、すちのシャツの裾をきゅっと掴んだ。
「……もう離れたくない」
それはわがままでも、泣き言でもなく――ずっと我慢していた本音だった。
すちはみことの手をそっと握り返し、やさしく頷く。
「離れないよ。ずっと一緒にいる。
今夜は……眠るまで、ちゃんとそばにいる」
みことは小さく笑って、すちの胸に顔を埋める。
腕の中の温もりが、こんなにも安心できるなんて。
気づけば、お互いの体温だけが頼りになるほど、静かな夜だった。
布団に並んで横になったあとも、みことはすちの指を離さなかった。
しばらく無言のまま、指先だけで愛しさを確かめ合う。
「おやすみ」
「……うん、おやすみ」
瞼を閉じたその直後、みことの手に伝わるすちの体温が、ほんの少し強くなる。
「……やっぱ、寝る前にぎゅってして」
不意にみことがぽつりとそう言うと、すちは黙って抱きしめた。
みことの背にすっと手を回し、優しく撫でながら囁く。
「寂しかった分、何度でもぎゅってする。…安心して」
温かなぬくもりの中で、みことの表情がようやく緩んだ。
朝。
カーテンの隙間から差し込む陽射しに目を細めながら、先に目を覚ましたすちは、隣で眠るみことの寝顔を見つめていた。
長いまつげ、少し寝癖のついた髪、そして自分の胸に頬を寄せて眠る姿。
「……かわいいな」
小さく呟くと、みことが薄く目を開ける。
「ん……おはよう……すち……」
「おはよう。ちゃんと眠れた?」
「ん……すちが、ぎゅってしてくれたから……ぐっすり」
恥ずかしそうにそう言うみことに、すちはやわらかく笑った。
そして、そっとキスを落とした。
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