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職場のデスクに座るすちは、パソコンに向かいながらも、周囲の視線が自分に向けられていることに気づいていた。
──今日も、また
「すちさんって、彼女いるの? 指輪してるけど、ファッションリング?」
「昼休み、一緒に外でランチしよ? 今日、ちょっと良いとこ見つけたんだ」
軽く肩に触れてくる女性同僚。
すちは曖昧な笑顔を浮かべながら、背筋を正す。
「すみません。外出の予定があって」
「えー、じゃあまた今度誘うね♡」
軽やかな声と、名残惜しそうな視線。
そしてその少し後ろでは、別の女性社員が、すちの薬指をじっと見つめている。
「彼女いるなら、いるってはっきり言えばいいのに。あれじゃ“いるようでいない”アピールじゃん」
そう呟く声が、わざと聞こえるように通り過ぎていった。
『「俺の大事な人」がいるということ』
(……あの指輪は、ただの飾りじゃない。みことと、生きていくって決めた証だ)
すちは深く息を吐いた。
悪気がないのは分かる。
けれど、「彼女ぶる」「アプローチされる」「無理やり近づこうとする」その全てが、すちにとっては居心地の悪いものだった。
(みことのこと、こんな場所で軽く言いたくない。でも、言わなきゃ、みことを裏切ることになる気がする)
ふと、みことの顔が脳裏に浮かぶ。
夜のキッチンで隣に立ってくれたときの笑顔。
泣いた自分を抱きしめてくれた、あたたかい手。
──俺の、たった一人の人。
次に話しかけてきた女性社員には、すちはきっぱりと伝えた。
「すみません。俺、もうパートナーがいて、結婚を前提に一緒に暮らしてます」
相手の目が一瞬驚きで見開かれる。
それでもすちは、やさしくも揺るぎない声で続けた。
「だから、そういう風に誘われても応じられません。気持ちはありがたいけど、相手に申し訳ないから」
女性社員は、少しきまり悪そうにしながらも、「そっか」と頷いて去っていった。
それを陰で見ていた年上の同僚が、すちのもとへ近づいてくる。
「……よく言ったね、すちくん」
「……俺、彼とちゃんと向き合ってるから。中途半端なこと、できないんです」
「彼?」
一瞬、相手の目が驚くように見開かれた。
でもすぐに、ふわりと笑ってくれた。
「そうだったんだ。……大切な人なんだね」
「……はい。何よりも、大事です」
すちの答えに、同僚は何も言わず、優しく頷いて立ち去った。
みことの笑顔を思い出しながら、すちは胸の奥にあたたかい灯がともったように感じていた。
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帰宅後。
すちはスーツを脱ぎ、いつものようにキッチンで夕飯の準備をしているみことの背中に声をかける。
「……ただいま」
「おかえり。お腹空いたでしょ?もうすぐできるから、座って待ってて」
いつもの笑顔。
けれど、すちはリビングのソファに座ることなく、みことの背中に向けて静かに口を開いた。
「……今日、会社でちょっとあってさ」
みことの手が、包丁を止める。
「……うん?」
「……何人か、女性の社員に声かけられてさ。 たぶん、あわよくば――って、そういう意図もあったんだと思う」
静寂。
みことがゆっくりと振り返る。
「……断った?」
「もちろん。はっきり“パートナーがいる”って言った。 指輪、ただの飾りじゃないって、ちゃんと伝えた」
そう言うすちの顔は、どこか気まずそうで、でも誠実だった。
「……ほんとは、話すの迷った。でも、言わない方が、みことを遠ざける気がしたから」
みことは黙ってすちを見つめていたが、やがてふっと笑う。
「……バカだなぁ、すち」
「……え?」
「そんなの、全部言わなくても分かってるよ。すちが、誰にも靡かないことくらい」
でも、と言いかけて、言葉を止める。
「……正直に言うと、ちょっとだけ、心がぎゅってなった。 “俺なんかじゃ釣り合わないんじゃ”って、前から思ってたから」
すちはその一歩を詰めて、みことをそっと抱きしめた。
「何言ってんの。俺にとって、お前がすべてだよ。 他の誰かじゃだめなんだ。……みことじゃないと、意味がない」
みことの目に、じんわりと涙が滲む。
「ずるいな、そういうとこ。……安心して、泣きそうになる」
「泣いていいよ。俺の前じゃ、泣いても甘えても、何してもいい」
その夜、ふたりは食卓を囲みながら、仕事の話や近所のスーパーのセールのこと、
そして「そろそろ旅行したいね」なんて未来の話をして、ゆっくりと笑い合った。
お互いを想う気持ちは、日常のなかで、少しずつ深く、柔らかくなっていく。
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