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雨彩れえ
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【Side 水】
珍しくゆうくんとご飯へ行った日から数日が経った。
あの後、何かが劇的に変わったとかいうことはない。
ちむと連絡を取らなくなったわけでもないし、やっぱり元通りに直ったわけでもない。
相変わらず少しだけぎこちなくて、何を考えればいいのか分からないままだった。
ただ一つ変わったことがあるとすれば、
逃げ続けるのはよくないのかもしれない、と思うようになったことだ。
ゆうくんに言われた言葉が、思っていたよりも頭に残っている。
『ちむさんとこのままなのは嫌なんでしょ?』
今思い返しても答えは変わらない。
嫌だ。
それだけは迷わなかった。
「れるくん?」
不意に名前を呼ばれ、意識を現実へ引き戻す。
「あ、ごめんなさい」
向かいに座る女性が苦笑する。
今日は仕事関係の集まりだった。
大人数というほどではないけれど、それなりに人が集まっている。
飲み会というより交流会に近い。
卒業してからこういう場に顔を出す機会も増えた。
新しい環境。
新しい人間関係。
昔なら出会わなかったような人とも知り合う。
「なんか考え事?」
「いや、ちょっと」
曖昧に笑って誤魔化す。
本当に考え事をしていたから否定できなかった。
「その、れるくんって…恋人とかいるの?」
突然そう聞かれて、少しだけ目を瞬く。
「あー、いないですね」
「へえ、意外」
「そうですか?」
「絶対モテるじゃん」
こういう会話自体は珍しくない。
学生の頃から、何度も経験してきた。
だから特に意識することもなく受け流そうとしたのだけど。
「じゃあ立候補しちゃおうかな」
冗談なのか本気なのかが分からなが、周りからは冷やかすような声が上がってきてしまった。
目の前の人は顔立ちも整っているし、愛想も良くて、人当たりもいい。
きっとモテるタイプなんだろう。
普通に素敵な人だと思う。
でも、この人よりはちむの方がかわいいな。
そんな考えが、ごく自然に頭をよぎった。
ちむならもっと可愛く笑うし。
機嫌がいい時は分かりやすいし、すぐ調子に乗るけど…無邪気で放っておけなくて。
一緒にいると楽しくて。
気づけば、そんなことばかり考えていた。
そこまで思考が進んだところでふと我に返る。
……自分は今、何を考えているんだ。
『ちむが、彼氏じゃだめ?』
そのまま頭へ浮かんだのは、あの日の声だった。
「……え?」
自分でも意味が分からなかった。
なんで今、このタイミングで。
楽しそうに笑う顔。
怒る顔。
呆れた顔。
どうでもいいことで深夜まで電話した日。
卒業ライブで一緒に泣いた記憶。
そんなものばかりが次々頭に浮かぶ。
「れるくん?」
再び名前を呼ばれ、慌てて顔を上げる。
「ごめん、ぼーっとしてた」
妙に落ち着かない気持ちで、あとの時間を過ごした。
飲み会がお開きになったのは、思っていたより遅い時間だった。
駅までの帰り道を歩きながらも、頭の中まだ落ち着いていない。
新しい仕事で出会った人たちはみんな良い人だし、話していて楽しい。
今日だってそうだったのに、どうしてもあの瞬間が頭から離れなかった。
『じゃあ立候補しようかな』
なんていう軽い冗談みたいな、よくあるやり取り。
昔から何回か言われたこともあるし、その度に適当に笑って流せてたのに。
家に帰り、上着を脱いでソファへ倒れ込む。
静かな部屋の天井を見上げながら、深く息を吐いた。
『この人よりはちむの方が可愛い。』
本当に無意識で、自然に浮かんだ感想だった。
今思い返しても嘘ではないと思う。
『れるちはどうしたいの?』
ふと、ゆうくんの声を思い出す。
あの日、静かな店の中で言われた言葉。
『このままなのは嫌なんでしょ』
あの時から答えは変わらない。
こえくんに嫌われるのは嫌だ。
離れるのも嫌だ。
恋愛的な意味なのかと言われたら、正直分からない。
でも、自分は心底こえくんに惹かれているんだろう。
気まずいからといって距離を置いて、何も話さないまま終わるのはもっと嫌だった。
傍にあったスマホを手に取ってロックを解除し、トーク一覧を開く。
すぐに見つかった名前をタップした。
最後のやり取りは、数日前の味気ない会話。
昔ならもっとどうでもいい話をしていた気がするのに。
画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
『話したいことある』
違うな、
『この前のことなんやけど』
重いかな
『今暇?』
それも違う気がした。
打っては消して、打っては消してを何度も繰り返して。
最終的に残ったのは、たった一行だった。
『明日ご飯行かん?』
小さく息を吐いて、送信ボタンを押した。
数秒後に既読がつき、早すぎて思わず少し笑ってしまう。
『いく!!!』
その文字によって、胸の奥にあったなにか重たいものが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
答えなんてまだ出ていないし自分がどうしたいのかも、全部は分からない。
でも、少なくとも逃げるのはもうやめようと思った。
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