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irxs─nmmn 青桃
地雷さんは回れ右
nmmnルールを理解している方のみどうぞ
みんちょ様のコンテスト参加作品です
この作品でフォロワー様がたくさん増えることを願っております…
START
会社に響く無惨な音。
そちらの方へ目を向けると、その音の原因はないこのようだ。
その本人は、驚きを隠せず呆然として立っている。
近くのスタッフがすぐに対応しているが、その手にあるのは前に出したバレンタイングッズのマグカップの欠片だった。
ないこがとても気に入って、会社で毎日のように使っているお気に入り。
それでも、少しくらいストックがあるはずだ。
ないこもそれくらいわかっているはずなのに、その場から動こうとしない、というか動かない。
大丈夫か…?
「ないこ、大丈夫?」
「…………」
目の焦点が合っていない。
体調が悪いのだろうか。
「ないこ…?」
「っ、ん?あぁ、大丈夫!」
俺の呼び掛けに気付いたらしく返事をしてくれたが、いつもは一発で何かしら返ってくる。
──おかしい。
「体調悪いの?」
「ううん、ちょっと、ぼーっとしちゃった」
ないこはふにゃっと、力無く笑った。
無理してる時の表情。
「あんま、無理せんといてな」
ここで深く聞こうとしても、ないこは絶対話してくれない。
だから、少しでも心が軽くなるような言葉を掛けている。
「──うん、…って言ってもなんもないって!」
あはは、と笑っているないこ。
他のメンバーも少し気にしているようだが、ないこはスタッフと共に部屋を出て行った。
「──ないこ、大丈夫なん?」
あにきが、心配そうな眼差しでないこが出て行った扉を見つめている。
りうらも、ほとけも、初兎も、みんな。
黙っているけど、その静けさには意味があった。
ないこには、何かある。
でも、わからない。
少しのもどかしさを呑み込み、俺たちはまた、意識を仕事に戻した。
それからしばらくは特に何もなくて、普通に活動も、仕事もこなしていた。
本当に、あれはただの疲れだったのか。
だとしたら、あの目はなんだったんだろうか。
俺が、見守らなくちゃ。
──今日は、ないこと2人でお出掛けだ。
水族館。
最近は怖いほど猛暑で、涼めるところで日々の疲れを癒してもらおうと俺が誘った。屋外のエリアもあるけど。
喜んで、くれるかな。
「やっほー!」
聞き覚えのある声がする。
「やっほー」
ないこだ。
「待った、?ごめん!」
「いや、まだ待ち合わせの30分前。」
「え、まろ早っ!」
俺は、家にいても落ち着かなくて早く来たけど…。
ないこは、多分素でこの時間に来ているんだろう。
「いや、ないここそ…。」
「えっ、俺は…今日楽しみで早く起きちゃって!居ても立っても居られなくて来ちゃっただけだよ〜!」
ぴ〜す!という言葉と共に満面の笑みを向けられた俺は、耐えられなくなりそっぽを向いた。
「まろ!?なんでそっぽ向くの!?」
「え、いや…飛行機飛んでるなって思って。」
「ええ…俺より飛行機…!?」
──言えるわけない。
可愛いから、なんて。
その後はなんとか自我を取り戻し、2人で館内を見て回った。
たくさんの魚や海獣に興奮が止まらず、お互いにはしゃいでしまった気がする。
そんな中辿り着いた、この水族館で一番の目玉水槽。
ヒョウモンオトメエイ、マンタ、アカシュモクザメやネコザメなどの大きなものを始め、ギンガメアジ、マイワシのような中・小サイズのものまで、様々な海の生物が展示されている。
でも俺は、そんな水槽よりも彼を見ていたかった。
「ねえ、ないこ」
「ん〜?」
呼んでも、ないこは水槽に夢中なようで俺の方は見向きもしない。
確かに、今の水槽は今しか見られないもんな。
「ちょっと、こっち向いて」
「?」
ないこは、理由もわからず指示をされて頭の上にはてなが浮かんでいるようだった。
でも、それもすぐわかる。
「──ないこ、好きだよ」
「へっ……」
「俺は、ないこのことが好き」
「それは、…っ」
「恋愛対象として、好き」
視界の端で水たちが揺らめいて、ゆっくりとした時間が流れているように錯覚してしまう。
ないこは、戸惑っていた。
でも、答えはすぐ返ってきた。
「──ごめん、っ」
“ごめん”
その言葉に、先の言葉が予想できてしまう自分が怖かった。
「もし、関係を持ちたいって思うなら…ごめん…。リスナーさんたちがいるからさ。これからも頑張るために……本当に、ごめん」
ゆっくりと、でも、はっきりと。
俺の心に、ないこの心が伝わってきた。
「謝らないでいいんだよ…俺だって…」
「でも、まろは思いをちゃんと伝えてくれた。なのに、俺は応えられなかった。だから、ごめん。」
俺は、そんな顔をさせたかったんじゃない。
「ううん、本当に、ないこは悪くない。むしろ、向き合ってくれてありがとう」
俺は、ないこに新しい悩みを与えたかった訳じゃない。
俺は、ただ、自分の思いを伝えたかっただけなんだ。
「……」
「……」
しばらく、沈黙が世界を包んだ。
他の人も、ものも動いているけど、俺たち2人だけの時間が止まったように静かで、でも決して冷たい時間ではなくて。
きっと、お互いに心が凪いでいる、そんな言葉が正しい気がした。
「ね、俺…もう一回イルカプール行きたい」
少しして口を開いたのは、ないこだった。
俺が気まずくなってしまったのを見越してか、俺が一番興奮していたであろうイルカプールを選んでくれた。
どんなに優しいんだろう。
この人は俺にはもったいない人なのでは、と思い始めた瞬間だった。
「イルカやっぱかわいい〜」
ガラスに顔を寄せて、優しく目を細めるないこ。
俺も隣で、ガラスに近づきイルカを観察する。
また、無言。
でも、もうよかった。
それで、よかった。
その時、横から大きく、速い呼吸の音がした。
「ないこ──?」
はぁっ、はぁっ、と肩を揺らして息をしている。
「大丈夫!?」
声を掛けても、それが聞こえていないくらい辛そうだった。
何があったんだろう、何かしちゃったのかな。
過呼吸は治らない。
むしろ、悪化していくばかりで──。
「ないこっ…!」
後ろにあるショー用の席に一旦座らせようとした、その時。
ないこの体が傾いた。
そして、残酷な音が響いた。
「っ──!?」
一瞬、世界が止まったような感覚に陥ってしまう。
でも、大切な人が危ないという危機察知能力は人間の本能なのかすぐ働き、救急車と水族館のスタッフを手配することができた。
しばらくして、担架を持ったスタッフがこちらに走ってくるのが見えた。
この担架に乗せて、できるだけ人目につかないように館外へ運ぶ。
ないこ、どうにか無事でいて…。
「──そうか、もう、そんな…。」
医者は、そう呟いた。
その真意が全くわからず、俺は尋ねてしまった。
「ないこ…何かあるんですか…?」
医者は、知らないのかという顔をしたがすぐ神妙な面持ちでこう言った。
「ないこさんはね、──脳腫瘍を抱えているんだよ」
「脳、腫瘍……?」
信じられなかった。
あんなに仕事をこなすないこが、腫瘍を抱えているなんて。
あの笑顔の裏で、腫瘍に蝕まれているなんて。
「聞いていなかったんだね…」
「……はい」
なんで、言ってくれなかったんだろう。
無理するな、ってたくさん言ったのに。
「ないこさんには申し訳ないけれど…あなたは近しい人でしょう?」
「はい」
「お話しさせてもらうね」
ないこが眠っている間、俺は説明を受けた。
病気がわかったのは今から4ヶ月ほど前だったこと。
その時点で頭痛と手指の震えがあったこと。
たくさん薬を処方していること。
それに…。
ないこはあと一年生きられるかわからないこと。
ないこの腫瘍は手術では取り除けない位置にあること。
もし大きくなるスピードが早ければ、すぐにでも生活に支障が出始めること。
その症状は大きくなり方によっては麻痺や言語障害に至ること。
最終的にはそうなってしまうこと。
ないこは、もう助かりようが無いこと──。
なんで、ないこなんだろう。
気付いたら、頬に温かいものが伝っていた。
リスナーのために、あれだけ頑張っているのに。
おこがましいかもしれないけど、俺たちの声、ないこの声を聞いてくれる人がたくさんいるし、その人数だって日に日に増えていく。
それなのに、あと少しでリーダーだけいなくなってしまうのか…?
嫌だ、嫌だ…っ。
「……きっと、ないこさんはあえて伝えなかったのだと思います」
「あえて、?」
「側にいる人ほど、伝えるのには勇気が要りますし、怖いものです。それに…余命宣告されていることで接し方が変わってしまい残念がってしまう患者様も少なくありません。私はないこさんに、先にこの話をさせて頂いたので…彼の考えた結果なのだろうと思いますよ」
伝えてくれなかったのは、ないこが考えた結果──。
確かに、余命宣告されたなんて言われたら少し…接し方が変わってしまうかもしれない。
ないこは、こんな状況でまで冷静なんだな…。
でも、俺は知ってしまった。
ないこに残された時間はもう多くないことを。
ないこは、残り時間をどうやって使い果たしたいのだろう。
俺は、ないこが心から、いや身体中満足できた時、側にいられたら嬉しいな。
「ね、まろファミレス行こ」
「う、うん」
動画撮影終了後、ないこは唐突にそう言った。
「どしたん?」
「え、いや…」
何で急に呼び出されたのか気になって思わず聞いてしまった。それによりないこはうつむいて黙り込んでしまった。
「あ、いや…言いたくなかったら大丈夫だけど」
「えと…ね、俺…」
「ほら、深呼吸。いくらでも待つからさ」
「…ありがと」
ここまで取り乱すないこも珍しいな。
「──落ち着いた。あの…もし、っていうか俺が死んだら、いれいすはどうなるかっていうのを話したくて。」
ないこがいなくなった後の、いれいす。
考えたくもない。
「ほら、まろ以外はまだ、俺がもうすぐ死ぬなんて知らないしさ」
ふはっ、と吐いた息混じりの笑いには、悲しさも怒りも寂しさも、希望も夢も全部詰め込まれていた。
「俺的には、まろにリーダーをやってほしいなって思う」
「俺に?」
まさかの発言に、思わず聞き返してしまう。
「そう、まろに。誰よりも一緒にいるまろが、一番俺の意思を繋いでくれるんじゃないかな〜って」
普通に喋っているけど、内心では自分で夢をやり遂げたかったって思っているだろう。
俺だって、ないこを筆頭にたくさんの夢を叶えたかった。
でも、ないこの体を主要で蝕まれている現状において、本人のことを考えるととても無理だ。
それこそ余命が短くなってしまう。
「俺でよければ、なんて言えない」
「なんでよ」
「だってそれを了承しちゃったらさ……絶対ないこは死んじゃうじゃん」
これが俺の、精一杯だった。
「いいんだよ。だって俺は死ぬんだもん」
「なんで、そんなこと言うんだよ…」
ないこが倒れて運ばれ、俺が医者から話を聞いた日、ないこが目を覚ましたのは次の日の朝だった。
俺は心配で、翌日は朝から病院にいたため目覚めた瞬間には立ち会っていた。
起きたら俺がいるのだから、ないこはとても驚いていた。
それと同時に、さぞ悲しそうな顔をしていたのは忘れられない。
「いつかは、言わなくちゃいけないと思ってたんだよ。でもさ、言わないまま俺が死んだら、いれいすは、VOISINGはどうなっちゃうんだろうって思って。悩んでた。言うのを」
「……」
「みんなを困らせちゃう。だって、俺があとちょっとで死んじゃうって言ったら…みんなは俺を最優先にしちゃうでしょ?優しいから。そうなったらリスナーさんたちとの距離がうまれる。それって大きいことだと思う」
やっぱり社長なんだな、言ってることが深い。
「だったら、俺はまろに託したい。できるところまでは俺がやるから。まろの負担は大きくなっちゃうかもしれないけど…」
何で俺は、ないこの…こんな大きな決意を無下にしてしまったんだろう。
みんなのことを一番に考えてくれていたのに、俺は俺のだけの気持ちで言葉を返してしまった。
なんて酷いメンバーだ。
「ないこ…ないこは、よく頑張った」
「ありがとう」
「もちろんまだ過去形にはしちゃいけないけど、これからは俺に、ちょっとずつ託してよ。ないこの夢を、希望を、全部」
「……うん。託すよ、まろに。」
返してくれた言葉は、俺にとってもこれからに大きく影響する。
でも、自分の未来ををこんなファミレスで決められるなんて、俺たちの絆はとても強いものなんだと思う。
「よし、乾杯しよ」
「え、乾杯?」
「ほら、グラス持って!せーの!」
「か、かんぱい」
カツン、と高い音が響く。
優しい乾杯だったが、その中で強い思いが伝わりあっていた気がする。
「あ、そう言えば───」
──ゴトッ。
俺が口を開いた瞬間、ないこの手からグラスが滑り落ち、テーブルに倒れ水が流れ出た。
「っ、また、やっちゃった…」
ないこはそう呟いていた。
そんなないこの手は、とても震えている。
麻痺が始まってしまっているのか、ただやってしまったことがショックなのか。
「大丈夫、今拭くから」
「……うん」
呟きを聞くに、家でもこういうことをしてしまっているってことか。
それはしょうがないことだと思うが、きっとないこのことだ。人に心配や迷惑を掛けることを極端に気にしてしまうんだろう。
「なあ、ないこ」
「ん?」
「こんなこと言うのだめかもしれないけど…。俺たちより先に人生終わらすなら、俺らが一生でかける迷惑も心配も、体験する幸せも喜びも死ぬまでに全部使い果たしていいんだよ?」
「使い、果たす…」
「俺らのことは気にせずに、自分一番で生きていきなよ。最期の日まで。」
「自分、一番…」
おうむ返しだけど大丈夫か。心配にはなるけど、脳でたくさんの思考を巡らせているような感じがするので、このままにしておこう。
「とにかく、こうしたら心配かけちゃう、迷惑になっちゃうって言うのを考えずに命を全うすること。約束。指切ろ」
小指を差し出すと、そこにないこの小指が絡んだ。
「ゆびきりげんまん」
「うそついたらはりせんぼんのーますっ」
「ゆびきった!」
「ゆびきった!」
俺は、この夏を一生忘れないだろう。
あの日から3週間後だった。
事業の引き継ぎの真っ最中だったあの日。
ないこは急速な腫瘍の拡大により、意識障害に陥ってしまった。
「ここは、このソフトを使ってくれればいいよ」
「了解」
ないこの右手は、常に震えるようになった。
想定よりも早く、本格的な麻痺に襲われたらしい。
「ないこ、やべーな…こんな仕事量を当たり前のように…。」
「そんなことないよ、自分のやるべきことをやってただけ。」
「……俺、ちゃんと引き継ぐ。頑張る」
「ありがと──────」
部屋に鈍い音が響く。
ああ、もう……。
「ないこ……!!」
「………」
「…?」
ないこは、目を開けて空中をぼんやりと見つめていた。
死ぬわけじゃ、なさそうだ。
「よかった…」
でも、何が起こったのかわからず怖いから、一応救急車を呼ぼう。
今日は俺の家にいたから、メンバーには見られていない。
もしその場にいたら状況説明が大変だったろうから…まあ、良かったのかな。
119番に電話を掛け、やってきた救急車にないこと共に乗り込む。
その間ないこは、瞳に生気は宿っているものの一言も言葉を発さなかった。
それはそれで違和感を感じる。
そのまま病院に着いて、診察結果を聞いた。
「──意識障害が出始めたようです」
「──意識障害…」
ないこがこれからどうなってしまうのか調べた時に、末期症状として出てくるのが意識障害だと知った。
ないこは、たったこれだけの日数で末期へと移ってしまったんだ…。
「ないこさんはこれから、時が進むごとにどんどんと起きている時間が少なくなります。そして、会話もままならなくなってしまうかと思います…末期になると、たくさんの患者さんがそうなってしまうのです」
「そのあとは…」
「心拍がどんどん落ちていき、眠るように…」
”亡くなります”。その先の言葉が容易に想像できてしまう自分に吐き気がする。
大好きな人が死ぬっていうのに、何で冷静に受け止められているんだろう。
「ないこは、苦しまないんですか…?」
「はい、痛みなどはほぼありません」
「…わかりました。ありがとうございます」
俺はないこのもとへ向うと共に、明日メンバー5人で話したいということをメッセージにして送った。
「何、話したいことって」
「てかないこ抜きで」
会社で、ないこ以外のメンバーで集まることなんてほぼない。
俺はみんなからの視線が少し怖かったけど、これを言わなくちゃ意味がない。
「ないこは…脳腫瘍を持ってて、昨日から寝たきりになった」
沈黙。普段聞こえやしないエアコンの音がよく聞こえた。
最初に言葉を発したのはりうらだった。
「は?なにそれ。なんかおかしいとは思ってたけど…脳腫瘍って…」
「ね、いふくん本当なの、それ」
ほとけは泣きそうになっている。
「本当だよ」
「なんで言ってくれなかったの…?」
続いて初兎が、俺の体を揺さぶる。
「ないこが、言いたくなかったらしい」
「は…!?」
血相を変えたのが、本人の顔を見なくてもわかる。
「ないこ…あとどれくらいなん?」
あにきは至って冷静だった。声は震えていたけど。
「長くて1ヶ月……」
全員が息を呑んだ。
難もない。
俺も、勝手に言おうか悩んだ。
でも本人の意思を尊重したくて、そこは守っていたんだ。
そのあと俺は、この先について色々話した。
ないこの最期のことや、俺が引き継ぐこと。
それを一通り話し終えると、みんなが口を揃えて言った。
何で言ってくれなかったんだ、と。
でもその後、ほとけが俺を抱きしめた。
辛かったね、と。
それからは順にお見舞いへと行った。
初め、俺以外の人が来ることに相当驚いたみたいだったが、慣れると笑顔が多くなっていた。
今日は俺が行く日。
ないこはもう、ほとんど起きなくなった。
俺がいる間に目を覚ましてくれれば嬉しい。
繋がれた機械と点滴を見る度に心が締め付けられる。
なんでないこなんだろう。
寂しい気持ちで寝顔を見つめていると、ないこの瞼がぴくっと動いた。
「ないこっ、!?」
「……」
ないこは俺の顔を見ると、少しだけ口角を上げた。
多分、これは“嬉しい”。
自分で言うのも何だけど、俺が来てくれて嬉しい、と思ってくれているみたいだ。
もう、昏睡状態に近いから喋りもしないし動きも顔以外特に無し。
あの大好きな声が聞けなくなってしまったのは、みんなの中で大きな打撃だった。
「ないこ、ありがとな」
そう言うと、またない子の口角が上がる。
まだこうやってコミュニケーションが取れているから、俺たちも病室には居やすい。
しばらく、お互いの顔を見つめ合って微笑み合う時間が続いた。
俺は、それだけで嬉しかった。
そうやって時間が過ぎて、日も傾いてきた頃だった。
「………だ、ぃ…すき」
「え、?」
大好きなあの声がしたと共に、急に大きな機械音が響いた。
「っ、ないこ、!!!」
咄嗟にナースコールを押し、医者が早く来ることを願った。
「ないこ、ないこ…まだだめ、もう少し頑張って…っ!!!」
でももう、瞼は閉じてしまっている。
「ああああああ、だめだめだめ…!!!」
俺の目からはとめどなく涙が溢れ出し、ないこの頬に落ちていく。
それでも、起きてくれない。
動いてくれない。
「嫌だ…!!!!」
いつかはこうなってしまうとわかっていた。わかっていたんだ。
それなのに、いざその時になってしまうと冷静にはなれない。
大好きな人を、失いたくない。
「ないこさん!!!」
扉が開く音がして、医者が来たんだと少し安心したが、その本人は機械に表示されている数値を見て肩を落とした。
「───もう、手遅れだ……」
と。
さっきまでないこは生きていたんだ。
精一杯の気力で“だいすき”って言ってくれたんだ。
医者はないこに近づき、慎重に状況を把握して、こう言った。
「ないこさんの心臓が止まりました。呼吸も確認できませんし…」
「ないこ、死んじゃったんですか?」
認めないで欲しかった。
頑張ればまた起きてくれますって言って欲しかった。
でも、この世界はそんなに都合が良くなくて思った通りの答えが返ってくることなどほとんどないのだ。
「───はい。」
「ないこ…ないこ……っ、うっ…うう…うわあああああああ!!!!」
早過ぎる、命の終わりだった。
葬儀には、たくさんの人が訪れた。
ないこの人柄は、素晴らしかったと言える。
もちろんそれは俺も例外ではない。
ないこじゃなかったら、今こんなに幸せを感じられてなかったかもしれない。
この時も、とても安らかな表情だった。
赤、水色、白、青、黄色の花に囲まれて、この人は最後までいれいすなんだと心から思えた。
「今までありがとう、大好き」
俺は、誰もいないタイミングを見計らって、もう動かない大好きな人にそっとキスをした。
ないこが亡くなってから、俺たちメンバーはないこの家の整理を行っていた。
ないこの家族が行わなくていいのかと思ったが、そちらの方からの頼みだったため、今も気を奮って片付けをしている。
なかなか綺麗なため、整理という言い方がしっくりこないのは俺だけだろうか。
そんな中、俺は、何か封筒のようなものを見つけた。
それをひっくり返してみると、“まろへ”と書いてある。
──間違いなく、ないこの字だ。
瞼の裏に、いつでも浮かぶあの笑顔。
もう見ることはできないんだ、と何度も理解したはずなのに、今もどこかにいる気がしてならない。
それも、ただの願望なんだろうな。
それにしても、なんで俺に…?
気になってしまい、メンバーに伝える気もなかった。
ないこらしい、しっかりとのり付けされた封を開け、折り目が少しもずれていない便箋を取り出す。
最期の方は手元がおぼつかなかったから…結構前に書いたのかもしれない。
辛かっただろう、そんな前からちゃんと、自分がいつ死んでもいいように準備をするなんて。
あの、ないこがマグカップを落とした日。
俺は、ないこの病気を知った時気が動転していて気づけなかったけど、あの日よりも前、とっくの前に自分が抱えたものを知って、1人で抱えていたんだろうな。
腫瘍なんて…時限爆弾と同じようなものじゃないか。
きっと怖かっただろう。ないこは、あまりそれを見せなかったけど。
【改めてまろへ
俺は、俺という名の人生の中に青い色があって、とても、幸せでした。本当なら、俺の手で夢を叶えたかった。こんなものにならなければ、こんなことにならなければって、毎秒思ってたんだ。みんなが信じてくれた俺だから、俺がやり遂げたい、って。まろは聞いたら怒るかもしれないけど…。こんなことにならなかったら感じられなかったこともたくさんあるって、経験して初めて知ったから、全部が全部後悔してるわけじゃないよ。】
側で見ていたらわかる。
俺に夢を託すとは言ったものの、その話をする時はいつも寂しそうで、俺が本当に良かったのかと悩んだほどだった。
【ねえまろ、俺が死んで、みんなは悲しんでくれてる?寂しそうにしてくれてる?そうだったら嬉しいな。俺も安心して四十九日を迎えられるよ。】
視界が滲むと共に、頬に伝ったものがあった。
悲しいに、寂しいに決まってるだろ。
俺がどれだけ泣いたと思ってるんだ。大好きな大好きな人を失ったっていうのに。
それにしてももう四十九日の話。
故人は、四十九日で成仏するらしい。
だから、安心して成仏できるということだ。
成仏してしまうのは寂しいけど、ないこにとって新たな一歩となるだろうから、後押しも必要かもしれないな…。
【そう、あの水族館の日。まろは俺に告白してくれたよね。俺、あんなこと言っちゃったけど本当に嬉しかったんだよ。】
読み進めていると、水族館での記憶がフラッシュバックした。
”ごめん、リスナーさんがいるからさ“
あの言葉の真意は、本当にそのままか。
本当は、死んでしまうのに、って気持ちで言ったんじゃないか。
ああ、なんて綺麗な人なんだろう。
【だから、そんなまろにこそやり遂げて欲しい。俺の代わりなんて言わないで、まろの手で、まろの夢として。】
ないここそ、そんなこと言わないで欲しい。
俺は引き継いだだけで、ないこの夢を俺の手で叶えるだけだ。
簡単に人に夢を譲っちゃだめだよ…。
【もちろん辛いことがあったら聞くよ、って言っても俺から頼んだことだし、言葉は返せないけど。俺が生きるはずだった分まで生きてね。大病も大怪我もなく無事でいてね。もし川まで来ちゃったら、俺が許せる時までは意地でも何をしてでも、何回でも追い返すから。どう足掻いてもこっちにはこさせないから。覚悟するべし!!】
力強い言葉だった。
これからいくら辛いことがあろうと、この手紙を見返せばまた頑張ることができそうだ。
【それでね、俺、封筒の中に指輪を入れておいたんだ。俺が使ってたやつで、“Naiko”って名前が入ってるんだよ。サイズが合う指があったら、着けてくれると嬉しいな。それを俺だと思って、連れてって。目指した場所へ。もし着けられなくても、失くさないで、俺が生きた証にして。少しばかりのお願いです。】
そんな、失くすわけが無い。
それに、俺とないこの手だったら同じ指にはめられるんじゃないか。
そう思ってはめると、ぴったりだった。
「はまったじゃんか、ぴったり…。」
これが、一生を誓い合ってはめたものだったらな、なんて考えてしまうのはだめだろうか。
それでも、ないこが側に居てくれるような安心感がある。
大切に、死ぬまでひとときも外さず生きていこうと心から思った。
【来世で会えるかわからないけど、その時はもっと特別な関係になれると嬉しいな。今度こそまろの思いに応えたい。】
来世が本当にあるかなんて、今まで考えることも、考える気も無かった。でも、今はあるって思える。
ないこがいてくれたからだ。
ないこは、こんな俺を好きでいてくれたんだ、最後まで。
これほど嬉しい事は無い。
その事実が、さらに涙を助長した。
【本当に、ありがとう。いっぱいありがとう。まろがいてくれて、本当によかった。もう一緒に過ごせないって思うと俺も、寂しい。でも、例え短かったとしてもとてもいい人生だったと胸を張れます。
大好きでした。】
読み終わる頃には、紙も手も服も床もびしょびしょだった。
そしていつもの文字で、最後には【ないこ】と添えてある。
惜しい人を、世界は手放してしまった。
さよならなんて言いたくなかったなあ。
全部を過去形になんかしたくないなあ。
まだ、受け止められてないのに。
「俺も、大好きだっ……っ…うう…っ」
嗚咽も涙もを抑えきれず、きっとはたから見たらとんでもない状況の人かもしれない。
でも、神様や仏様、そしてないこ様は今だけそれを許してくれるはずだと俺は信じている。
さて、俺は、ないこに相応しい人間になれたのだろうか。
今から川へと向かうが、ないこは追い返さずにお疲れ様、と迎え入れてくれるだろうか。
夢は成し遂げた。
それ以上の事も頑張った。
だから、もう会っていいよね。
心は凪いでいて、もう何の苦しみも悲しみも感じない。
ただ、満ち足りていた。
喜びだけで、身体中は埋め尽くされていた。
指輪を見てから、顔を上げる。
「まろ!」
「ないこ!」
────やっと会えた。
FIN.
あとがき
ここまで読んで頂きありがとうございます!
こんなに本格的な長編を書いたのは人生で初めてです!(1万文字行きました)
久々に書いた話でしたが…皆さんの目にはどう映ったんでしょうか…。
愛があれば、感情を知ることができます。
愛があれば、心を安らげることもできます。
愛があれば、頑張ることができます。
その代わり、愛の裏には“哀”が隠れているのだと思います
でもそれが表裏一体だからこそ、人を好きになれる。愛も哀も背負って。
この物語によって、心が動かされる人が一人でもいてくれたら嬉しいです。
コメント頂けると励みになります💪
気になった方はフォローもぜひ👍
《後記 2023/7/8》
みんちょコンテスト
感動賞受賞ありがとうございます!
それにあたって読み直していたら、自分で気になるところがありましたので2箇所ほど修正いたしました。
本当に、感謝です。
コメント
27件
初コメ失礼します!凄い表現力とかもあってついつい読んじゃう作品でした🥺感動系のお話を書こうと思ったのですが作品を読んだからかちょっと参考みたいになっちゃうところがあるので参考にしていいですか?
テラーの投稿で久しぶりに涙を流した… 深夜だからなのか親戚の命日が今日だからなのか理由は分からないけれど 語彙力高くて繊細な表現と心情の変化とか、桃さんの体の悪化とか、心の葛藤とかが伝わってとても感情移入した… 悲しいけど、最後にあった目的の場所って武道館だったのかなって思うと良かったねってなったし、間違いなく感動泣き待ったなし(というか現在進行形で泣いてる)