テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#🐟️×🍇
ねぎ茶
27
コメント
1件
るりさん、第13話読みました!今回もめちゃくちゃ良かったです… あの香水の香りが物語と重なって、柔太朗と仁人の心に何かが変わり始めた感じがゾクゾクしました。特に勇斗が「いつもと違う」って踏み込んだのに、仁人が感情爆発させて部屋閉めちゃうところ、すごく切なかったです。今までずっと互いに領域を守ってきた関係だからこそ、あの一言が重いんだろうな… 続きめっちゃ気になります!仁人の気持ち、いつか言葉になる日が来るんでしょうか。次回も楽しみにしてます🔥
タシュハウリ宮殿の門をくぐる。壁を埋め尽くす青と白のタイル装飾。
かつてハーンの後宮であったというこの中庭の美しさが、息苦しかった。
「やっぱ、綺麗やけど、なんか、こう……重みあるな、この場所」
舜太が機材を降ろしながら呟く。
「せっかくだし、みんなで香水、つけて撮ろうか」
不意に、勇斗がそう言い出した。
「気分も上がるし、コンセプトに寄せた方が、絵にも説得力出ると思うし」
軽い提案のつもりだったのだろう。
鞄からサンプル瓶が取り出される。
柔太朗の番になり、蓋を開けて手首にひと撫でする。
乾いたサフランとカルダモンの香りが、続いて薔薇と乳香の甘さへと変わっていく、あの香り。
閉じ込められているわけでもないのに、出られずにいる。
物語の誰かと同じ場所に、自分が立っているような気がした。
──この香りを纏いながら、何を思っていたんだろう。
被写体として、この美しい”檻”の中に立たされる自分。
おとぎ話の中で、同じように閉ざされた空間に置かれていた彼。
「柔太朗さん、こっち向いてもらっていいですか」
仁人の声に、柔太朗は我に返った。
「よし、じゃあいこう。壁のタイルを背景に」
「了解です」
勇斗のディレクションのもと、撮影は滞りなく進んでいく。
ファインダー越しに柔太朗を捉えながら、舜太は、その横顔にレンズを向けている自分に気づいていた。
何を考えているのか、はっきりとは分からない。それでも、いつもとは何かが違うことだけは、痛いほど伝わってきた。
「──柔太朗さん」
「……ん、何?」
「いや。ええ顔してる。それだけ」
理由を聞くことはしなかった。ただ、その瞬間を誰よりも近くで見ていたいと思った。
撮影は、狙い通りの構図が揃い、順調に終わった。
片付けが始まる中、柔太朗だけが少しの間、その場に残って、もう一度中庭を見渡していた。
手首に残る香りは、まだ消えていない。
──閉じ込められていたはずなのに、最後には、自分の意思でそこに残ることを選んだ彼。
それは、恐ろしいことなのだろうか。それとも、幸福なことなのだろうか。
その日の夕食は、いつもより口数の少ないものだった。
宮殿での撮影が終わってから、仁人の様子には、確かに何かが違っていた。
食事の間も、時折視線が遠くへ泳ぎ、話しかけられても、一拍遅れて反応する。
放っておけば、いつも通り、明日には仁人も元に戻っているのかもしれない。
三年間、そうやって、踏み込まずにやり過ごしてきた夜が、数えきれないほどあった。
今夜は、どうしても、そのまま眠りにつく気になれなかった。
廊下に出て、隣の部屋の扉を軽く叩く。
しばらくして、内側から鍵の外れる音がした。
「──何ですか」
顔を出した仁人の表情は、いつもより硬かった。
「大丈夫かなと思って。今日、なんか、ずっとぼーっとしてたから」
「別に、何もないですよ」
普段なら、ここで引くのが常だった。仁人が拒む素振りを見せれば、それ以上は踏み込まない。
そうやって、互いの領域を守ることで、この関係はずっと保たれてきた。
けれど今夜だけは、その一歩が、どうしても踏み出せてしまった。
「いや、今日はなんか、いつもと違うだろ」
「……別に、違いませんけど」
「嘘つくの、下手だよな、仁人」
軽い調子で放ったその言葉が、思っていたよりも深く、仁人の中の何かに触れてしまったらしかった。
「なんなんですか、急に」
声が、いつもより大きかった。
仁人自身、驚いたように、一瞬言葉を止める。
それでも、堰を切ったように、続きが零れ出てきた。
「勝手に踏み込んできて、勝手に決めつけないでください。俺が何を考えてるかなんて関係ないでしょう」
勇斗は、何かを言い返そうとして、けれど言葉が見つからなかった。
沈黙が、二人の間に横たわった。廊下の照明の音だけが、やけに大きく耳につく。
「……悪い。余計なことした」
先に折れたのは、勇斗の方だった。
それ以上、仁人の領域に踏み込む資格が、今の自分にはないと分かっていた。
仁人は何も言わずに、静かに扉を閉めた。
一人残された部屋で、仁人はドアに背をもたれさせたまま、しばらく動けずにいた。
自分でも、なぜあんなに強い言葉が出てしまったのか、うまく説明がつかなかった。
あの物語を聞いたから。そしてあの宮殿で香りを確かめたから。
──なぜこんなにも、自分の気持ちを言葉にできないのだろう。
壁一枚を隔てた二つの部屋で、灯りは、夜が更けても消えなかった。