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小さい頃、と言ってももう高三生だった気も致しますが、私にはお紅茶越しに会える友人がおりました。冗談ではありませんよ、いや、もしかしたら妄想や白昼夢の類だったのかもしれませんが、夢に無く現実で、私は今でも彼女に会いたいと、そう思っているのです。ーそう話す婦人は、古いアパートの一室の、ちゃぶ台を挟んだ座布団と向かい合っていた。
彼女と初めてお会い致しましたのは、ダージリンの中でございまして、最初こそ自分の顔が反射しているだけかと思いましたが、よく見ると、私とは全く顔が違っていて、目を大きく見開いて驚いたのをよく覚えています。知らない人が写っているものですから、飲むのをとても躊躇いたしまして、カップの中をじぃーっと眺めていたら、どうにもその方のお口が動いているのです。ですから、それにどうお返事しようかと困っておりましたら、微かに、本当に微かにお声が聞こえました。その音の小ささったら、微睡んでいる時の小鳥のようなもので、思わず水面に耳を近づけてみました。すると、彼女の方も私に驚いているようで、「貴方は誰かしら、どうなっているの?」と仰っていたのです。
しばらく妖精と話すように言葉を交わしておりまして、お名前を「ダイモン」だと教えていただいたのです。さらに、とても気が合いまして、カップが冷たくなるほど長話をいたしました。長く知り合っている親友のようで、とても多幸感があったのをこの身で覚えております。ただ、冷めていくにつれ、ダイモンさんのお声も、お姿も霞に紛れていってしまって、ふっと消えてしまいました。私は慌ててカップにお紅茶を注ぎ入れましたが、覗き込んでも私しか映らず、ただの茶鏡になってしまいました。きっと、「冷めていてはいけないのね」と思い、また暖かいものを注いでは見たのですが、お会いすることは叶いませんでした。
再開いたしますのは、いくつか日を跨いで、ダイモンさんのことも、記憶の片隅に行きかけていた時でした。その日はアプリコットティーを飲もうと、お砂糖を入れ、溶けていく様子を頬杖ながらに見ておりましたら、ふと、見覚えのあるお顔が浮かんでまいりまして、私は「ダイモンさん」と声を張ってお呼び致しました。すると、私に気づいていただけて、お互いに大きく破顔いたしました。ダイモンさんも、私に会いたかったとはにかみながら教えてくれました。それが心の底から嬉しくて、「私も」と一言お返しいたしまして、積もる話もありましたので、たくさんお喋り致しました。
そろそろお紅茶も冷めてしまう、そんなところで聞き手ばかりしてくれていたダイモンさんが、思いついたように口を開きました。
「私ね、今日はアプリコットを飲んでいるのよ。貴方と初めて会った時は、ダージリンを飲んでいたわ。」
それを聞いた時、今日まで沢山の銘柄を嗜んではいたけれど、お会いできなかった理由がわかりました。
「まぁ。私も同じよ。きっと、同じお紅茶を注いでいる時に会えるのね。」
ダイモンさんも、私と会えなかった辻褄が合ったようでございまして、二人して次は何を飲むかなんてお話しをいたしました。またすぐに会える。そう思うと、冷えているダージリンを飲んでも、体の芯が暖かくなるような、そんな気がいたしまして、本当に嬉しく思えました。
それから、会う度会う度、次のお約束を取り付けまして、お互いの近況を報告して、お気に入りのお茶菓子や、友人の話を楽しみまして、とても充実した時間を過ごしました。
ダイモンさんと会って、二年ほどのことでした。私は体調を酷く崩しまして、大きな病院で療養することになりました。あまりわがままを言いたくはありませんでしたが、どうしてもダイモンさんとお話したくて、看護師の方にお紅茶をお願いいたしましたが、全く会えませんでした。きっと、銘柄が少ないのがいけないのだと思い、お見舞いに来てくれる両親や、友人に多種の銘柄を頼みましたが、すれ違ってしまうのか、ダメでございました。
また、大きく歳を重ねまして、二十六になる時期に私は、ようやく退院いたしました。両親に連れ添ってもらい、診ていてくれたお医者様や、看護してくれた皆様にお礼を言って、帰路へ着きました。その車中で、私は父と母にダイモンのお話をいたしました。
「父さん、母さん。聞いてちょうだい。私ね、紅茶の中でお友だちに会えるの。お家に戻ったら、すぐにお湯を沸かしてちょうだい。会えるかもしれないから。」
そう言いましたら、父は何も言わず、母は無言で俯いてしまいました。どうしたのかしらと首を傾げていたら、父は、「医者にもういいと言われたんだ。」なんて仰るものですから、どういうことかと聞いてみましても、もうなにも答えてくれず、母に聞いてみても、ため息が帰ってくるだけでした。そうして、重苦しい空気の車で家に帰りましたら、無いのです。ダイモンさんに会える切符が、無いのです。隅から隅まで、家中探しましても、茶葉の一つ、茶器の一つも。すぐさま母に尋ねましたが、「捨てた 」とだけ言い放ち、お夕飯を作り始めてしまいました。
それから毎日。毎日です。母にどうして捨てたのか聞いてみましても、理由を答えてくれず、決まって不機嫌になってしまい、それを見ている父にも呆れた顔をされるのです。ですので、ある日から私は、真似事を始めました。どんな、と言われましたらもちろん、ダイモンさんとお話することです。それはお紅茶どころか、暖かくもないお水に向かってですので、自分自身馬鹿馬鹿しいとも思いましたが、もしかしたら会えるかもしれないなんていう期待を持ちまして、懲りずに毎日毎日話しかけるのです。ですが、長いことはできませんでした。また、病院へ入ることになったからです。何度も、「私は大丈夫です」とお断り致しましたが、両親もお医者様も、私の意見など存在しないかのように、お話をされていました。
それがもう四十年ほど前で、今もう入院などしてはいませんが、大変に寂しく思っています。今になってしまえば、どこにお住みなのか聞いていればと毎夜後悔が湧き上がって、やるせない気持ちでございます。
あら、おかえりになりますか?すみませんね、つい昔を想うと長話が過ぎてしまいまして、目の前ですが、えぇ、お見送り致します。また、お話しましょう。ーひとしきり話し終わった婦人は、空になったクロザピンを踏みつけ、空白を送り出した。