研究室の窓の外には、ほのかに花の香りを運ぶ風が流れていた。
昼下がりの光が器具や書類の間をやわらかく照らし、空気には静かな温もりが漂っている。
くられは机の前で資料を並べ、静かに湯を沸かしていた。
その姿を見ながら、ツナっちは自然と微笑んでいた。
「先生、また寝てないんじゃないですか? ちょっと顔色悪いですよ」
「ん? あぁ……少しだけね。でも、もう片付くから大丈夫」
くられは手元の紙を整えながら、小さく笑った。
その声音が柔らかくて、ツナっちはなぜか胸の奥が温かくなる。
何も言わず、机の端に積まれた書類を揃えはじめると、
くられがふと顔を上げた。
「助かるよ、ツナっち」
「いえ、別に。見てると気になっちゃうだけです」
ほんの短いやり取り。
それなのに、研究室の空気が少しだけ近づいた気がした。
湯の音が落ち着き、くられがポットを手に取る。
「ちょっと一息つこうか。緑茶でいい?」
「はい。先生が淹れるお茶、好きなんですよ」
くられはわずかに驚いたように目を瞬かせ、ふっと笑みをこぼした。
「それは光栄だな」
二人分の湯呑みに、淡い湯気が立ち上る。
その香りが静かに広がり、春の風と混じって研究室に溶けていった。
「外の桜、そろそろ散り始めてるみたいですよ」
「そうなの?」
くられが窓の外に目をやる。風に乗って花びらが流れ、
光の粒と混じるように宙を舞っていた。
「もったいないですよ。せっかく綺麗なのに、ずっとここにいたら見逃します」
「ふふ、そうかもしれないね」
くられは湯呑みを置き、ほんの少し迷うように視線を窓の外に向けた。
ツナっちはその横顔を見て、小さく笑う。
「行きましょうよ。少しだけ」
「……そうだね。じゃあ、少しだけ」
外に出ると、春の空気が頬をなでた。
くられが一度まぶしそうに目を細める。その仕草が、驚くほど穏やかで。
ツナっちは思わず声をこぼした。
「先生って、こういうとき、すごく柔らかい顔するんですね」
「そう?」
くられは少し照れたように笑う。
「春のせいだよ。きっと」
ツナっちはその言葉に微笑み、
風に舞う花びらの中で、指先が先生の袖の端にかすかに触れた。
すぐに引こうとしたが、くられは気づかないまま、
淡い光を見上げていた。
――この人は、春みたいだ。
ツナっちは胸の中でそう呟きながら、
もう少しだけ、この並んだ影が続けばいいのにと静かに思った。
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