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研究室の空気は、午後の陽射しとともにゆっくりと熱を帯びていた。
窓の外では遠くで蝉が鳴き、換気扇の低い音が一定のリズムで響いている。
ガラス器具が光を受けて、小さく瞬いた。
「……あっちぃ〜…」
ツナっちはジャージの袖で額をぬぐいながら、試料の温度計をのぞき込む。
小さな氷片が入ったビーカーの中で、溶けかけた水滴が静かに滴り落ちていった。
「せんせぇ、俺、夏は嫌いじゃないけど、このままじゃ何もできないっすよ……」
その声に反応するように、隣でノートをまとめていたくられが顔を上げる。
ペンを置き、少し笑みを浮かべた。
「溶ける前に終わらせよう。結果が飛ぶのは困るからね」
いつもの穏やかな調子でそう言いながら、くられはふとツナっちの額に目をやった。
机の端に置いてあったタオルを手に取り、何気なく差し出す。
「これ使って。汗が試料に落ちたら大変だから」
「え……あ、はい……ありがとうございます」
タオルを受け取るツナっちの手が、ほんの一瞬だけくられの指先に触れた。
何でもない仕草なのに、胸の奥が妙に熱くなる。
薬品の匂いに混じって、淡い石鹸の香りがした。
「先生って、意外と気がつくんっすね」
くられは目だけをこちらに向ける。
「意外と?」と、少し首を傾げて笑った。
いつもと変わらない、柔らかい声。
「いえ……なんでもないっす」
ツナっちは慌ててタオルで顔をぬぐい、視線を落とす。
ジャージの袖越しに見えるくられの横顔は、相変わらず落ち着いていて、少しも特別なことを感じていないようだった。
それが、どうしようもなく寂しくて、同時にほっともした。
――気づいていない方が、きっと楽だ。
そう思いながら、ツナっちはもう一度ビーカーの中を見つめる。
氷はすでに形を失い、水面だけがゆらゆらと光を返していた。