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「周防、おまえってば暗い顔しまくってんな。コーヒー淹れるから、そこにかけてろよ」
俺の顔を見て肩を竦めながら、家に入れてくれた桃瀬。こんな顔をして、訪問したくはなかったのに。
「あ、周防さんいらっしゃい。こちらへどうぞ」
優しくほほ笑む涼一くんが、ソファへと誘ってくれた。彼に合わせるように愛想笑いを浮かべて、どうもと呟きながら静かに座る。
やがて室内に、甘い香りが漂ってきた。
(桃瀬のヤツ、コーヒーを淹れるって言ってたはずなのに、なにかお菓子でも作っているんだろうか?)
甘い香りを訝しむ俺の目の前に、淹れたてのコーヒーが、そっと置かれたのだが――向かい側に座る、桃瀬に鋭い視線を飛ばす。
「ももちん、俺、甘いの苦手だって知っていて、ワザとこんなの淹れたんでしょ?」
出されたカップに、しっかり指を差しながら、苦情を言ってやった。コーヒーから漂ってくる香りが、どう嗅いだって、普通のものじゃなかった。表現するなら、キャラメルのような甘いお菓子の感じ。
「それ、フレーバーコーヒーっていうんだ。豆をローストするときに、香料を入れて豆に直接、香りをつけたコーヒーなんだぜ。騙されたと思って飲んでみろよ」
「う~~っ……」
出されたものを飲まないのも悪いので、覚悟を決めて一口飲んでみる。
「……あれ!?」
香りはものすごく甘そうなキャラメルなのに、味は酸味とコクが絶妙なバランスの、上品な感じのコーヒーだった。しかも甘さのカケラが、ひとつもない。
「……な? 美味いだろ」
口元に、してやったりな笑みを浮かべた桃瀬に、驚いた顔して頷く。
「僕はキャラメルよりも、バニラマカダミアがお気に入りなんです。執筆のときによく飲むんですけど、大さじ一杯の砂糖を入れてから飲むと、いい内容がめきめきっと閃いちゃうんですよ」
「涼一、俺のチョイスを考えてみろよ。どうしてキャラメルにしたか」
桃瀬は隣にいる涼一くんに肘で突きながら、意味深な流し目をする。なんだか、ふたりのお邪魔をしている気分だった。
「あ――」
なぜか涼一くんは、俺を指差す。
「郁也さんっ、すごいや。尊敬するよ!」
「だろだろ。俺もついに、恋愛体質になりつつあるってか!」
「……もう帰る」
話が見えなくて、蚊帳の外にいる状態では、ここにいるのも辛い。ロンリーな自分を、改めて思い知らされてしまう。
「悪い悪い、ごめんな周防。話を聞いてくれって」
慌てて腰を上げて、立ちあがりかけた俺の肩を桃瀬は掴み、強引にソファに押し戻す。仏頂面でいる俺の顔を、桃瀬は瞳を細めて見てから、
「そのコーヒーさ、キャラメルの香りが太郎でコーヒー本体を、周防本人という表現にしてみたんだ」
「僕の好きなバニラマカダミアじゃなく、キャラメルっていうのが、ちょっとしたミソだよね」
――桃瀬、おまえ……。
「えっとつまり、キャラメルは子どもが好んで食べる、お菓子だからとか?」
コーヒーは基本的に大人の飲み物で、俺よりも年下の太郎が子どもっていう表現をした――その感じが、俺たちに似ているって言いたいのだろうか。
「そういうこと。ナイスなチョイスだろ」
桃瀬は自信満々に言い切って、自分のコーヒーに口をつける。俺ももう一度飲むべく、カップに手を伸ばした。キャラメルの香りを堪能しながらアイツを思い出し、ゆっくりとコーヒーを飲む。
桃瀬の思いやりに、こっそり胸を打たれながらほほ笑むと、向かい側にいたふたりも、つられるように笑ってくれた。
「周防さんごめんなさい。郁也さんが今、任されている仕事がコンテストの審査員で、三木編集長さんに、小説の文章の中から萌えを探せって言われていて、必死になってるんです」
「恋愛に鈍感なももちんだからこそ、そりゃ必死になるね」
俺としても、桃瀬が恋愛小説の編集をしているっていうこと自体、大丈夫なのかって、内心思っていた。
「なんだよ、ふたり揃って。以前に比べたら俺だって、それなりにレベルアップしてんだぞ」
「レベルアップしたにしては、まだまだ自分の気持ちを言うのが、僕としてはちょっと足りないんだけどなぁ」
――自分のキモチ……。
涼一くんの言葉で、視線を伏せた俺に気がつき、桃瀬が気遣うようにそっと問いかける。
「俺のことは後回しにして周防、おまえはどうしたんだ? 太郎とケンカでもしたのか? すっげぇ、仲が良かったのに」
「仲がいいほど、ケンカするものだよ、郁也さん。周防さん、僕らでよければ、話を聞きますよ?」
優しく訊ねてくれる涼一くんの声色に、わだかまっていた心が、見る間に解れていく。
大きなため息をついて意を決してから、今まであったいきさつを、ふたりにわかるように丁寧に話をした。もちろん、俺の悪い部分を含めて。
桃瀬はずっと腕を組んだまま固まり、涼一くんは顎に手を当てて、途中で頷きながら、真剣に話を聞いてくれた。
胸の中にグルグル渦巻いていた不安とか、いろんなものと一緒に吐き出したせいか、重たかった荷物を、背中から下ろした気分になる。
話が幾分長くなったせいで、冷めてしまったコーヒー。喉を潤すべく口をつける。冷たくなってもコーヒーからは、甘いキャラメルの香りが漂っていた。
(――アイツ、今頃なにしているのかな)
キャラメルの香りを嗅いでしまうと、つい考えてしまう。風邪を引いていなければいいけど。なぁんて……。
俯きながらぎゅっと、持っていたカップを握りしめたら。
「周防って、結構かわいいんだな」
唐突に告げられたワケのわからない桃瀬の言葉に、眉根をぎゅっと寄せた。
(俺のどこら辺が、かわいいっていうんだ? 相変わらず、桃瀬はとぼけているな)
呆れた視線を飛ばしたとき、涼一くんが桃瀬の後頭部を、振りかぶって容赦なく叩く。
「困ってる周防さんの話から、萌えを感じちゃダメだよ! 職業病だってわかるけど、今は抑えなきゃ」
(あの桃瀬が教育されている。信じられない姿だ……)
「ごめんなさい、周防さん。郁也さんが無神経を発動しちゃって。あとでしっかり、注意をしておきますので」
「いや、大丈夫だから。ももちんの性格、わかっているしね」
「どうして、ふたりに責められなきゃならないんだ、くそっ!」
前にも、同じようなことあったよね。そのときも涼一くんとふたりで、桃瀬を懲らしめたんだった。
思い出したら、自然と口角が上がる。結構打ちのめされていたはずなのに、不思議だな。
「あの、周防さんにとって太郎くんは、どんな存在ですか?」
気持ちが浮上した俺に、首を傾げてほほ笑みながら、優しく訊ねてきた涼一くん。
「アイツの存在、か――」
「以前、三木編集長さんに言われたことがあるんです。郁也さんにとって僕は、一輪挿しの花のような存在だって。自分だけが特別に愛でることのできる、キレイな花だろうって、うまく表現してくれたんですよ」
「へぇ、ももちんの溺愛ぶりを、うまいこと言ったね、その人」
感心しながら涼一くんを見つめると、ちょっと照れた顔をして、桃瀬に視線を飛ばした。
「一輪挿しの花の僕がキレイに咲いていられるのは、郁也さんから愛情という名の水を、毎日かかさずに貰っているからなんです。花は水がなかったら、あっという間に枯れてしまいますから」
「……そうだね」
桃瀬にとって涼一くんは、花のような存在――俺にとって歩は、なにになるだろうか?
持っていたカップをテーブルに戻し、膝に頬杖をつきながら目をつぶって、歩のことを思い出してみる。
『タケシ先生ってば俺の話、ちゃんと聞いてる?』
いつも自分を見てほしくて、ギャーギャー煩くて、なにかしようと思ったタイミングで必ず話しかけたり、抱きしめてきたり――アイツの存在そのものが、面倒くさいヤツって感じなのかもしれないな。
「……小学生のとき、犬を飼っていたんだ。すごく賢い犬だったから、俺の様子をよく見ていてね。気分が落ち込んだり寂しそうにしてるときに限って、散歩で使う手綱を銜えて、わざわざ持ってくるの。気持ちが乗らないってときなのに、一緒に遊びに行こうって、頭をがしがし擦りつけてきて、かなり厄介でさ。その感じがどことなく、太郎に似ているかなって……」
ぽつぽつと言った感じで伝えていくと、桃瀬がう~んと唸る。
「太郎が犬、か。周防は飼い主っていうよりも、どちらかといえば、目の前にぶら下がった、エサにしか見えな――」
涼一くんが再び、桃瀬に無言で攻撃をした。もう構ってほしくて、こんなことをワザと言ってるようにしか、俺には見えないんだけど。
「郁也さんは少し、黙っていてくれないかな。周防さんは困って、僕らに相談に来ているんだよ。変なちゃちゃを入れないの!」
「でもよぅ、俺としては、事実を言ってるま――」
桃瀬が反論した途端に、目の前に拳を見せ、見事に黙らせた涼一くん。さっき言ってた、仲がいいほどケンカするって、このふたりのことなんじゃないかと思ってしまった。
「ごめんなさい、お話の途中だったのに。それで太郎くんが周防さんにとって、飼っていた犬に、よく似ているんでしたよね?」
「うん、じゃれついてくる感じとかソックリ」
大事に飼っていたその犬は十五年一緒にいて、老衰で亡くなってしまったけれど、まるで人間になって、戻ってきた錯覚さえある。
「太郎くんが飼い犬だとして、周防さんが飼い主でいつも一緒にいる関係で、かわいがっているんですよね?」
涼一くんの言葉に、思わず眉根を寄せてしまう。かわいがるというよりも、躾をしている感じに近いから。
「――あのさ……躾も、かわいがる一環になるかな?」
「躾ですか、そうですね。本人のためにしているのなら、そうなると思います」
躾にも限度があると、ブツブツ言ってる桃瀬を涼一くんはしっかり無視し、顎に手を当ててこちらを窺うように見つめる。
「アイツ、本当にバカ犬だから、なにも考えずに行動するんだよ。大学を休学して勉強が遅れてるっていうのにさ、注意しないとゲームばっかりするし、昼寝を堂々とするし。目が離せなくってね」
探るような涼一くんの視線に違和感を覚えて、ベラベラと言わなくてもいいことばかり、並べ立ててしまった。
「バカ犬の太郎くんに首輪をつけたまま、一週間も放置してる間、周防さんは平気だったんですか?」
その言葉に、内心ムッとしてしまう。他人の口から、太郎をバカ呼ばわりされるのは、無条件にムカついてしまった。
「そりゃあ、気になったよ。でも俺が連絡して、学祭の作業の手を止めさせるのはイヤだったし、なにより声を聞いたら逢いたくなるし」
「そういいますけど、連絡手段は電話だけじゃないですよね。アプリのメッセージや、ほかの手段だってあるじゃないですか。太郎くんの時間ができたときに、返事をすることができるんですから、周防さんがそこまで気を遣わなくてもいいんじゃないでしょうか」
「わかってる……でもどんな連絡手段を使っても結局、逢いたさに拍車がかかってしまうのが、どうしてもイヤだったんだ」
本音を吐露したとき、歩が玄関で見せた、辛そうな表情を思い出してしまった。鼻の奥がツンとして泣きそうになったので、それを隠すべく両手で口元を押さえ込む。
「バカ犬の太郎くんには、そのこと言ったんですか?」
「……涼一くんの口から、太郎のことをバカ呼ばわりされると、不快感が増すんだけど。止めてくれないかな」
声を低くしながら睨みつけると、涼一くんはなぜか笑みを浮かべた。
「周防さんは太郎くんのことを、大事に想いすぎです。だから今回、すれ違ってしまったんですね」
「う~ん。タイトルをつけるなら、小児科医 周防武の恋わずらいって感じだろうな」
笑みを浮かべる涼一くんの隣で、同じようにほほ笑みながら、勝手なことを言った桃瀬。
「んもぅ、郁也さんまた、職業病を炸裂させるんだから! お医者さんをアピールさせるのに、それにしたんだろうけど、僕なら小児科医 周防武の不器用な恋物語にするけどね」
「あの……ふたりとも――」
なぜだか自分の恋に、勝手にタイトルを付けられてしまい、困惑するしかない。さっきの流れからどうして、こんなことになったのやら。
「ごめんなさい。周防さんがあまりにも、郁也さんと同じだったもので。やっぱ親友同士だからなのかな、不器用なところがそっくりですよ」
「え~っ俺、ここまで酷くないだろ。あんまりじゃね?」
「いいえ。類友です、ほぼ同じような状態。余計なことを考えずに、素直になればいいだけなのに。変に格好をつけるから、相手を深くキズつけちゃうんだ」
「涼一くん?」
意味がわからなくて首を傾げると、目の前で真剣な表情を浮かべる。
「太郎くんのワガママをあしらいながらも、最終的にはちゃんと叶えてあげているでしょ、周防さん」
「……最終的には、そうなるかな」
「じゃあ周防さんは、太郎くんにワガママを言ってますか?」
改めて聞かれ、うーんと考え込んでしまった。
「俺のワガママって、いったいなんだろう?」
「え――!?」
俺の言葉に、ピキンと固まる目の前のふたり。だって本当にわからなかった。
「アイツにも言われたんだけどさ、俺からなにか行動を起こしたことがなくてね。それが余計、寂しさを助長させちゃったんだろうなって」
「周防は太郎に、なにかして欲しいことはないのか?」
「そうだね。それを伝えることによって、周防さんの気持ちも、きっと伝わると思いますよ」
目の前のふたりが、とても仲よさそうに視線を合わせながら、アドバイスをしてくれたのだけど――。
「……昔飼っていた飼い犬の話で、同じだって言ったでしょ。落ち込んだり寂しくしているときに、擦り寄ってくるって。アイツ、無駄に聡いものだから、俺が言う前になんでもしてくれちゃうんだ」
額に手を当てて、深いため息をついた。言葉にしなくても伝わってしまうキモチは嬉しかったけど、正直なところ戸惑いもあった。なんでわかっちゃうんだろうって。
それって今までの交際の経験で、察知することができているんだろうなとか、色々考えたらつい、アイツが付き合ってきた過去の人間に対して、いらないヤキモチを妬いてしまった。
「太郎くんはすごいですね。もちろんしてもらったことには、お礼とか気持ちをきちんと伝えていますよね?」
明るい涼一くんの声を聞きながら苦笑して、力なく首を横に振った。
「なんでっ!? 太郎に色々してもらって、嬉しいだろおまえ」
桃瀬が、信じられないと声を荒げる。当然だな……。
「嬉しい反面、いらないことを考えちゃってさ。ホント、バカみたいだ」
――素直になるのがコワイ。優しくされるとその裏を考えて、くだらないことに、いちいちヤキモチを妬いてしまう自分。こんなに醜くてかわいげのない重たい俺が、いつか歩に嫌われてしまうんじゃないかと思うと、素直になれなかった。
「ねぇ周防さん。太郎くんと向き合って、彼が一番望むことって、見ていてわかりますか?」
「ああ、なんとなくだけどわかる……」
とにかくアイツは、スキンシップを望んでいるような気がする。
「じゃあ、まずはそれをしてあげること。ふたつ目は、ちょっとでもいいから、自分がそのときに思ったことを、口に出して伝えることですよ」
「……ちょっとでもいいから、口に出して伝える――」
「はい、そうなんです。これをよく郁也さんにも言ってるんですけど、口に出して言わないと伝わらないんですよ、そのときの気持ちって。意外と鮮度が命なんです、想いを伝えることは」
涼一くんは「ねっ、郁也さん」と小さく呟き、隣にいる桃瀬に念を押すように顔を覗き込んで、じと目をした。
「周防の気持ちが見えないから、太郎は不安になっているだけだ。あれこれ言わなくていい。短い言葉でも、結構伝わるもんだぜ」
桃瀬はわざわざ立ち上がって、俺の頭を手荒に撫でてくれる。なんだか、勇気を貰った気分だった。
そんな俺たちを見て、柔らかくほほ笑んだ涼一くんが口を開く。
「善は急げじゃないけど、今週末の学祭に行って、太郎くんの頑張ってる姿をしっかり見て、周防さんの気持ちを伝えたらいいんじゃないですか?」
「きっと周防が行ったら喜んで、ムダに頑張る姿が目に浮かぶけどな」
楽しげにほくそ笑むふたりに、しっかり頷いてみせた。
「そうだね。恋人として、しっかりアイツの姿を見てやらないと」
桃瀬と涼一くんから勇気をたくさん貰ったお蔭で、なんとか立ち上がることができそうだ。
「ちゃんと自分のキモチを伝えてくる――」
歩のために、素直なキモチを伝えようと決心したのだった。
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