第5話 括り
(でも……それが最善とウィットが言うのなら…… )
「わかった。本当に…大丈夫なんだよな…?」
「たぶんですけど。でしたら、私が先に行きましょうか?」
「いや…そこまで意気地無しじゃない。」
滅茶苦茶に走り回った森の中を、コンパスを使ってまっすぐ進む。ウィットは随分旅慣れしているようで、彼女の歩みには迷いがなかった。
「ウィットは4年旅をしているそうだな。」
「ええ、そうですね。」
「この狂った世界で生き残ったあんたの強運を、信じてみる事にする。 」
海は、冷たかった。鳥肌が立つほどに不気味で、心細くなる。
(でも、父さんに会えるのなら。)
「これくらい、別に、怖く…」
足を引っ張られ、ノアは黒の海に沈んだ。
父との記憶は、ほとんどない。
ただあいつは毎日のように部屋にこもって、大量の本に囲まれ過ごしていた。
時折の外出は黒海へ。あいつと話していた記憶なんて、それこそ少ないものだ。
ただ、母が毎日のように泣いていたのは知っている。
「いつ、いつ海があの人に目をつけるか分からないわ。ノア、私、もう、毎日、不安で、しょうがなくて…」
「ねえ、あの人、海に行くんだって。海が呼んでるんだって。どうしようね、止めてもね、聞かないんだもんね。私じゃあ、駄目なのよ、ノア…」
いつも母は小さく言葉を吐き、毎晩泣いて、苦しんでいた。まるで水圧に押し潰されそうな感覚で、息もできないそんな日々。
いつの間にか、幼かった自分も苦しくなっていた。
当事者は知ってか知らずか海に通い続け、ある日船を出したのだ。
そして、ノアとは別れた。
黒海からも、この世からも。
白い、海だった。
ただただぼうっと海の中で座り込んでいた。砂と海水を掬い、ようやく実感した。
(白海。)
ただただ、白い海。ずっと続く、砂浜。黒海の村のように、白海の近くにも小さな村があった。
(あの中にウィットの村もあるんだろうか…)
波の音が、ノアの脳を震わす。本当に、伝説の海はあったのだった。
「…あ、傷が…」
森を走って傷付いた肌は、何事もなかったかのように癒えている。白海の効果なのだろう。
(すごい)
未だに心がじんじんとしていて、ノアは立ち上がる気になれなかった。
これはいい土産話だ。ルイスにも見せてやりたい、と思うくらいの絶景に、ノアはぼうっと眺めていることしかできなかった。
「ノア…なのか?」
「…」
「ノア、なんでここに……」
昔、聞いた声だった。
もう忘れかけていた、いや、とっくに忘れていたのかもしれない。懐かしすぎる声。
「とう、さん」
「お前、どうやって……」
振り向くと、あの時海に出た父がそのままの姿で白海に足をつけていた。
「……本当に、とうさん……?」
「まさか黒海に入ったのか?」
「………………」
「おい、ノア?」
「……今まで、今まで俺たちが、どれだけ苦労したのか分かってんのかよ!!!」
「……」
「母さんはあんたが馬鹿な研究ばっかりしてるから、死んだから、あの日から狂っちまったよ!!お前のせいだ!!お前のせいで毎日同じ料理作って……!!!」
思いがけず、出てきた言葉は怒りと恨みの罵詈雑言だった。
「毎日待ってる。毎日毎日!!お前のせいで散々だ!母さんの人生狂わせて、ルイスにも迷惑かけて!!なんなんだよ、この馬鹿野郎!!」
「……すまない。」
「簡単にっ…!!!許されると思ってんなら、大間違いだぞ!!」
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