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お祓いが終わって目を覚ますと、隣で旦那も目を覚ましたところだった。
しかし、この感覚は一体何なのだろう。
まるで、生まれたての赤ん坊みたいに晴れやかな気分だ。
いつもの目眩も、頭痛も、耳鳴りも、全ての苦痛から解放されている。
隣を見ると、旦那も両手を見詰めながら微笑みを浮かべていた。
何よりも不思議なのは、旦那を見ても、あの激しい憎悪に襲われないということだ。
むしろ、その小太りな姿に愛情さえ感じてしまう。
すると、あの治療師が声を掛けてきた。
「どんな感じですか?」
いつもは、小声で感情を表に出さない旦那が、驚きを隠そうともせずに大声で喋り始める。
「び、びっくりしました!
僕達は、一体何をされたんですか?
まるで、生まれ変わったみたいに爽やか気分です」
それを聞いた治療師は、微笑みを浮かべながらこう言った。
「それは良かった。
でも、治療は終わっていません」
旦那が、「えっ!」という驚きの声を発した後に、「もう、これで充分だと思いますが…」と遠慮を口にしたが、それを聞き流した治療師がこう言ったのだ。
「僕と少し話をしましょう」
私達が、訳も分からずに頷くと、それを確認してから治療師が話を続ける。
「これからお話することは、お二人のプライバシーに関わる問題なので、僕達は、絶対に口外しないと誓いますし、たとえそれが、社会的、道義的に問題のある内容でも、一切関知しません。よろしいでしょうか?」
こう聞かれた私は、一瞬、躊躇いを見せたが、この治療師に、私の秘密が暴けるはずがないと高を括って、旦那と一緒に頷いた。
「日向蒼さん。
貴方は、子供の頃、大変な苦労を経験されましたね。
事業に失敗したお父様は、方々に多額の借金を残して自殺したので、お母様は、両親や親戚に助けを求めることもできずに、塗炭(とたん)の苦しみを味わいました。
ある日、もう何も食べる物がなくなって、米櫃(こめびつ)の隅に残った、ほんの一握りのお米で、お母様がスープみたいなお粥を作ってくれた時、貴方は…
僕は、お腹がいっぱいだからお母さんが食べればいい。
と言ったことを、覚えていますか?
その素っ気ないけれど優しい言葉に、お母様は、涙が止まらなかったそうです。
そして、五歳の子供を、ここまで追い込んでしまったことに深い衝撃を受け、お母様は、役所に助けを求めに行きました。
そこから、何とか、その苦境を乗り越えることができたのです」
私は、驚いていた。
旦那を見ると、何度も頷きながら嗚咽を漏らしている。
私は、旦那からも義母からも、そんな苦労話を聞いたことがなかった。
しかし、どうして治療師はそれらの事実を知っているのだろう。
事前に、探偵でも雇って調べたのだろうか?
いや、そんな事にお金と時間を掛けても、彼らに何のメリットもないはずだ。
それに気付いた時、私は、感動すると共に恐怖を感じていた。
この治療師は紛れもなく本物なのだ。
私達がテレビで観る偽者ではなく、本当に、穢れを祓う力を持っている。
しかし、私の驚きをよそに治療師の話は続いていた。
「その頃のトラウマから、貴方は、空腹になると当時の恐怖が蘇って、見境なく食べ物を貪(むさぼ)る神経性過食症という、悲しい病に冒されてしまいます。
しかし、大学生になると専門医の治療によって完治したのに、二年前に再発してしまうのです」
私は、その事実にもショックを受けていた。
私は、てっきり一人っ子の我儘(わがまま)で、食い尽くしを止められないのだと思っていたからだ。
「旦那様のご病気を、奥様はご存知でしたか?」
私が静かに首を振ると、泣き続けていた旦那が申し訳なさそうに呟いた。
「もう完治したと思っていたんです。
それに、恥ずかしい病気なので内緒にしていました」
旦那の告白に、「辛かったですね」と優しく頷いた治療師が話を続ける。
「発症すると記憶を無くしてしまう貴方は、自分が再発したことを知らずに過ごしていましたが、最近になって、再発したことを知りました。
それは、奥様の態度がよそよそしいことで、浮気を疑った貴方が、奥様のパソコンをチェックして、そこで、奥様がハビーデスチャンネルの利用者であると知ったからです」
私が、ハッと顔を上げると、治療師が私の反論を目で制しながら、分かっているとばかりに優しく頷いた。
私は、諦めてこうべを垂れてしまう。
この人が本物の霊能者なら、既に、全ての悪事が露見している。
今更、騒ぎ立てても始まらない。
「そして、優しい貴方は強い衝撃を受けてしまいます。
奥様の投稿内容で、自分が、奥様やお子さんの分まで食べ尽くしていると知ったからです。
しかし、貴方は再発の原因を充分に理解していました。
奥様は、妊娠したことを切っ掛けに、健康食に目覚めてしまい、貴方は、毎日の食事に強い不満を抱くようになったからです。
それが、再発の引き金でした。
貴方は、自分の病気を奥様に知られることなく、再発の引き金になった食事内容を変えてもらおうと、ハビーデスチャンネルの利用者を装って、奥様に怨料理を勧めたのです」
私は、その言葉に驚愕した。
再び顔を上げた私は、思わず「韓流好き子…」と口走ってしまう。
治療師と旦那が同時に頷いていた。
「あの料理は、僕が自分の病気を治すために君に勧めたんだ。
だから、君が罪の意識を感じる必要なんてないんだよ。
君は、何も悪くない。
悪いのは全て僕なんだ」
私は、強く首を振りながら、「違う。違う。違う…」と子供みたいに何度も繰り返してしまう。
「貴方は何も悪くない。
悪いのは私なのよ。
私は、貴方のことを何も理解せずに、自分の考えを無理やり押し付けて、貴方を精神的に追い込んでしまった。
それなのに、貴方を殺してしまおうと考えていたのよ。
何て自分勝手なのかしら…」
そんな私達の会話に、治療師が優しく割って入る。
「今回の件は、誰も悪くありません。
むしろ、二人の優しさが仇になったのです。
そして、その優しさを歪めて、邪気に変えたのがハビーデスチャンネルでした。
あのチャンネル内には、多くの人間の邪気が渦巻いています。
強力な呪物と同じです。
悲しみ、嘆き、苦しみ、憎しみ、恨み、嫉妬…
そんな強力な邪気が、優しい人間まで取り込んでしまいました。
普通の人間は、誰も抗うことなど出来ません。
だから、誰も悪くないのです」
その優しい言葉に、私の中にあった硬い痼りのような物が、「パン」という破裂音と共に粉々に砕け散っていた。
そして自然に涙が吹き出してくる。
子供を妊娠してから忙しくて、泣くことさえ忘れていたのだろう。
私は今、四年分の涙を流している。
旦那も隣で号泣していた。
巫女に抱かれている莉子が、離れた場所から心配そうに見詰めているが、涙を止めることはできない。
しかし、私は、旦那との関係が、これから新しく生まれ変わるという確信を持っていた。
真っ暗なトンネルの中を、二人で長い間さまよってきたが、ようやく明るい場所に出てきたのだ。
私は、旦那の手を強く握りしめていた。
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井野匠
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