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もうひとつぶ、溜息をついた。スタジオライトに照らされた煙草の煙の、粒子がゆっくりと移動していく。
こうしている間にも、スタジオ代はかかっている。なにもみんなだけじゃない。俺だって、早くセッションに戻りたい。
渡したコード進行を、曲に合わせてもっとこう変えてみては、というのならばわかる。曲の進行を、こういうふうに変更してみてはどうかというのならばわかる。ブレークの位置を変えてみようとか、コーラスをこの辺で入れてみようというならばわかる。そもそも、今日はそのためのセッションのはずだ。
そうではなく、決まったことを決められたとおりにやる……俺がつくって渡したデモテープ通りに……ならば、音楽は何も発展なんかしやしない。ミューズ系音楽のような、機械にすべてやらせれば事足りる。
「お前の言う、オリジナリティの意味がわからない。もっとちゃんと定義しないと。そもそも論からみんなで議論しよう」と、卓はドラムスティックを振りながら言う。メンバーの一人が「オリジナリティとは、辞書によると」と語りだす。聞きたくねえ。
弘子は話に加わらず、小柄な身体に似合わないロングスケールのベースの、音量を絞り一人で練習している。スタジオ内に一つだけある等身大の鏡を見ながら、腕を振り上げてはオーと言い、またベースを弾き、また腕を振り上げオーという動作を繰り返している。さっきから何やってるんだと聞くと、「DVD見てたら、こうしてたんです」と彼女は答えた。憧れのベーシストの一人が、フレーズの合間にそうやっているのだという。
バンドのオリジナリティを出さないと、と俺ひとりが言い張ってみても、彼らにはオリジナルの意味そのものが分かっていないとしたら。俺は、トルグスイッチを前後に、意味もなく動かし始めた。それはギター本体についているスイッチで、弦の響きを受取る2箇所あるピックアップマイクを切り替えるためにある。前に持っていくと糸巻きヘッド寄りのフロントピックアップが、後ろに持っていくと、弦が固定されるエンドブリッジ寄りのリアピックアップが機能する。真ん中にもっていくと両方の音がブレンドするというしくみだ。弦を指でジャランと弾いてスイッチを前に倒すと、倍音の多い丸い音がした。後ろに倒すと、鋭くエッジの効いた音がする。真中にすると、それぞれが混じっただけでなく、一つ一つでは出せない音になった。俺と彼らの意見の隔たりにも、トルグスイッチが使えればいいのだが。
いや、それは違う。おそらく正確には、俺と世間との隔たりだ。
「日にちが迫ってる。今さらセッションしながら変更、変更をやるとまずいんだよ」痺れをきらした口調で、メンバーの一人が言う。やっぱり、コピー曲をやっておいた方が無難かもなと卓が言いだす。
「無難?」俺はトルグスイッチから目を離し、卓の顔を見た。眉の形がV字だ。
「なあ健太。ここはわかってくれないか。今回はいつもと違うんだ。あの人も来るんだ」
そうだそうだという声が出る。