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赤いアリア

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赤いアリア

3 - 美しきもの、壊れぬうちに

2025年07月09日

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ルネは、まだ外が薄暗い時間に目が覚めてしまった。目が冴えてしまって中々寝付くことができず、せっかくなので芸術解剖院を少し探索してみることにした。

まず初めにルネが入った部屋は、普段セルジュが解剖をしている部屋だった。部屋の中にさらに扉があるのが見え、その扉を恐る恐る入ってみると中には、白い義肢が飾られているガラス棚や、細工途中の石膏マスク、刻印された名前入りの首輪、傷がついた白衣、小瓶に保存された血液などが置いてあった。その小物たちは、かつての助手たちの名残や、セルジュの執着の深さが感じられた。

少し進むと何かが足に当たったので、視線をやるとそこには、繭のように布に包まれた死体のような物体が置いてあった。その物体を見た瞬間、ルネは少し不気味に思ったが、雰囲気に呑まれて、恐怖も次第に感じなくなっていった。

しばらくこの部屋を探索していると、壁にはスケッチ帳が掛けられており、ルネは何気なく手に取った。開いた紙には――自分が描かれていた。

裸身の線画。
痛みの記憶を忠実になぞるように、あちこちに傷跡の印。
けれど、それらの描線は恐ろしく丁寧で、愛おしむような手つきだった。

(……作品。やっぱり僕は、作品……なんだ)

ページをめくるごとに、少しずつ傷が増えていく。
日を追うごとに“美しさ”が完成へ近づいていくのがわかる。

しかしその途中に、一枚だけ――何も描かれていない白紙があった。

その白さが、ルネの胸をしめつけた。

(描けなかったのか……それとも、描きたくなかったのか)

「――それは、見せるつもりじゃなかった」

背後から、静かな声。
ルネはゆっくりと振り返る。そこに立っていたのは、いつものように無表情のセルジュ。
けれどその灰銀の瞳は、少しだけ戸惑って揺れていた。

「……描くたびに、手が止まった。完成形に近づいているのに、なぜか、描けなくなる。
 “このまま手をつけなければ、壊れずに済む”――そう思ってしまうんだ」

セルジュの声は、感情を抑えていた。
それでもルネには、わかった。
この男が、何に苦しんでいるのか。

(この人は――僕を“作品”として愛している。でも、もうそれじゃ、足りないんだ)

そう気づいてしまったとき、ルネの中の何かが、はっきりと形を持った。
それは恐怖ではなかった。むしろ――甘い高揚だった。

*

夜、ルネがベッドに横たわると、扉の向こうに気配を感じた。
そっと開く音。
セルジュが、ゆっくりと近づいてくる。

「……君を、傷つけたくないと思ってしまう。だが、君の傷が、あまりに美しくて……」

呟きながら、セルジュはルネの額に触れた。
その手は震えていた。

「どうして……そんなふうに苦しまれるんですか」

ルネが問うと、セルジュは苦笑したように目を伏せた。

「僕はきっと、君を壊さずに愛したいと思っている。だがそれは、僕にとって――最も不自然な感情だ」

「なら……壊していいですよ」

ルネは、震える声で言った。
瞳に涙を浮かべながら、笑った。

「壊されるたびに、あなたに近づけるなら……それでも、僕は……」

その瞬間、セルジュの中の何かが、ぷつりと切れた。

*

「……ルネ」

名前を呼ぶ声が、いつもよりずっと低く、熱を帯びていた。
セルジュはルネの腕を引き寄せ、彼の胸元に手を滑らせる。

「君のこの傷、もう何度も見たが――」

彼の指が、過去に刻まれた十字の痕をなぞった。

「……今夜、ここを“完成”させる」

ルネが頷いた。
それは、甘い合意。破滅への同意。

そして、銀の刃が再び肌に触れたとき――
セルジュの瞳には涙が浮かんでいた。
喜びでも、悲しみでもない。
それは、愛しさに耐えられなくなった人間の涙だった。

「愛してる。だから、壊させてくれ」

その囁きに、ルネは微笑んだ。
静かに、血が流れた。

それはまるで――赤いアリアの旋律のように、静かで、美しかった。

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