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📝第三章:機密資料の夜
リヴァイの「ぬるい紅茶」の指摘以来、イリスは休憩時に淹れる紅茶の温度に細心の注意を払うようになった。その夜は、ハンジが長期間の遠征準備で資料整理に追われており、イリスは本部の一室で遅くまで作業に残っていた。
夜が深まるにつれ、兵団本部内は静まり返り、インクの染み込んだ紙をめくる音だけが響く。
イリスが整理していたのは、五年前に実施された「ウォール・マリア奪還計画」に関する機密性の高い資料だった。当時の作戦の失敗と、その際に失われた兵士たちの詳細な記録が、次々と彼女の手元を通り過ぎていく。
(この時、リヴァイ兵士長は…まだ分隊長だったのね。)
重い空気に耐えながら、イリスが特定の戦線報告書に目を落とした瞬間、背後の扉が静かに開く音がした。
「まだいたのか、お前」
冷たく、しかしどこか疲労の滲んだ声。リヴァイ兵士長だった。
「ひ、兵士長!」
イリスは驚きで資料を床に落としかけた。リヴァイは、どうやら別の任務の報告書を提出しに来たらしい。彼はイリスの机の横を通り過ぎ、壁際の鍵付きキャビネットへと向かう。
「…すみません、ハンジ分隊長から、この資料を今日中に目録にまとめろと言われておりまして…」イリスは、床に落ちた資料を拾いながら答えた。
リヴァイはキャビネットの鍵を開け、書類を整理し始めた。彼の口調はいつも通り無感情だった。
リヴァイ:「いつまでもダラダラやるな。夜間の残業は効率が悪い。体力も気力も削るだけだ」
「はい…気をつけます」
その時、イリスの視線が、自分が拾い上げた一枚の報告書の写真に釘付けになった。それは、奪還作戦中にリヴァイと共に戦い、そして命を落とした、彼の**「仲間」**たちの写真だった。写真の若者たちは皆、屈託のない笑顔を浮かべている。
イリスは、その写真と、無表情で資料整理をするリヴァイを交互に見比べた。彼の傍には、彼が大切にしたであろう人々の、**「重い過去」**が常に横たわっているのだと、痛烈に感じた。
「あの…兵士長」イリスは、思わず声をかけた。
リヴァイ:「なんだ」
「この…この資料を、整理していると…」イリスは、写真の乗った紙をぎゅっと握りしめた。「兵士長が、何を背負って、戦っているのか…少しだけ、わかってしまう気がして…」
一瞬の沈黙。リヴァイの手がピタリと止まった。彼はイリスの方を振り向かず、ただ壁を見つめていた。
リヴァイ:「無駄な想像をするなと言ったはずだ。これはただの『失敗の記録』だ。そこに感情を入れ込む暇があるなら、正確に目録を作成しろ」
その声は、これまで聞いた中で最も冷たく、そして張りつめたものだった。イリスの心臓は締め付けられた。リヴァイは、自分の過去に触れられることを、極端に嫌がっている。
(…突き放されている。これ以上踏み込んだら、本当に嫌われてしまう)
イリスは謝ろうとした。しかし、口を開く前に、リヴァイが再び言葉を発した。
リヴァイ:「…お前には、その目録が『失敗の記録』に見えるかもしれないがな」
リヴァイは、イリスの方へ初めて顔を向けた。その瞳は、暗い部屋の照明の下で、深く、何かを抑え込んでいるように光っていた。
リヴァイ:「俺にとっては、ただの『埃』だ」
「…え?」
リヴァイ:「過去の失敗を、神棚に飾って眺めても何も生まれない。埃をかぶらせて、二度と見向きもされないようにしておくべきゴミだ。それを磨く必要はない。正確に分類し、『片付けて』しまえ。それが、お前の任務だ」
リヴァイの言葉は、冷酷なまでに合理的だった。過去を断ち切り、今を生きるための、彼なりの哲学。そして、その過去の「埃」の重さを、イリスに背負わせたくないという**「庇護欲」**の裏返しでもあった。
イリスは、彼の瞳の奥に、かつての仲間の面影を追い、孤独に耐える**「小さな少年」**の姿を見たような気がした。
イリス:「…わかりました。兵士長」
彼女は立ち上がり、リヴァイの視線に耐えながら、真剣な眼差しを返した。
イリス:「この『埃』を、私が誰にも見えないように、完璧に『掃除』して差し上げます。それが、私の任務です」
イリスは、リヴァイの言葉をそのまま返し、彼の重荷を自分が引き受けるという決意を示した。
リヴァイは、その言葉を聞いて一瞬、目を見開いた。イリスの澄んだ瞳が、自分の過去を「埃」として受け入れ、それを「掃除」すると宣言した。それは、彼の最も深い領域にまで踏み込んだ、大胆な返答だった。
リヴァイ:「…勝手にしろ。ただし、目録に誤りがあったら、容赦なく首を吊るぞ」
彼はそう言い放つと、乱暴にキャビネットを施錠し、足早に部屋を後にした。
(…あいつは、**『埃』を掃除すると言った。まるで、俺の『過去』を、『綺麗にしたい』**と言っているみてぇじゃねえか…)
リヴァイは廊下を歩きながら、胸の奥で高鳴る、制御できない自身の動揺を認識し、顔が熱くなるのを感じた。
(柄にもねぇ真似を…くそっ、今度こそ、徹底的に机の端をチェックして、冷水を浴びせてやる…!)
彼は、イリスの自分に向けられた無垢な好意が、いつか自分自身の命を危険に晒すのではないかという恐れと、彼女の純粋さに触れることへの**「照れ」**から、さらに突き放すことを誓うのだった。