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夜のロブロキシアの町は閑散としていた。【五月の狂乱(maymadness)】と名付けられた大規模ハッキング事件からは既に3年以上の月日が流れ、人々の記憶は失われたに等しい。
時の流れはiTrappedを変えた。感情を表に出さなくなった。根拠のない自信を胸に、周りまでもを笑顔にさせる快活さを持った彼は、もうどこにも居なかった。
腰のダークハートが弱く光る。この数年間iTrappedに寄り添い、負の感情を取り込んだ剣は一層暗さを増し、斬れ味も良くなっていた。
iTrappedはずっと友人達の痕跡を追い、一心不乱にバンランドへの抜け道を探し続けている。情報を探し回り、時にはダークハートが血を吸う時もあった。でももう、彼にとってはどうでも良かった。どの道自分は犯罪者なのだと割り切っていた。
町中を堂々と歩いていても、群衆はiTrappedに見向きもしない。それは時の問題だけではなく、彼の顔にかかった正方形の黒塗りの規制にもあった。これはiTrappedがダークハートに願ったことで生まれたもので、これの影響で誰も彼の顔を記憶できない。あまりに長く使いすぎて、iTrappedすらも自分の顔を忘れてしまったほどだ。
実のところ、iTrappedはこの事にせいせいしていた。鏡に映る自身の顔を見るたびに、不甲斐なさに対して怒りが湧いてくる。自責の念が降り積もる。心を搔き乱されるぐらいなら、こんな憎らしい顔なんて見えない方がましだった。
「(…..着いたか)」
情報集めは既に佳境に来ていた。ここ数か月、ロブロキシアの巷ではバンランドに関するこんな噂が出回っていた。
【繁華街にある巨大カジノの経営者が、バンランドの鍵を管理している。】
確かめるより他は無かった。真実であろうがなかろうが、iTrappedの執念は燃え尽きることはない。動かないより、動く方が何倍も良いだろう。
「…..」
iTrappedはふと足を止めた。今から入るのは金持ちがうようよ居る、町一番のカジノだ。いくら顔を隠しているからといっても、こんなラフな容貌じゃ目立つのではないか….?考え込むiTrappedの脳内に、過去の言葉がよぎった。
『いつか、絶対に必要になるさ』
「……!」
iTrappedは、一目散にどこかに向かい始めた。
「…..ただいま」
拠点に来たのは、事件以来、実に初めてだった。あの日以降、iTrappedは簡単な日雇いの仕事を転々としながら町のホテルを寝床としていたため、こちらへの用事は全くなかった。
家具も、雑貨も、何もかもがそのままだ。時間が止まっているかつての我が家に思いを寄せつつ、iTrappedは目当てのものを探した。リビング隅の、小さなクローゼットに手をかける。ナフタリンの匂いがふわりとiTrappedを包み込み、懐かしい箱が姿を現した。Ellernateが贈ってくれた、正装一式だ。ふてくされてEllernateにグチグチ文句を言っていた自分を思い出して、懐かしいような、申し訳ないような。
「Nate、役に立ったよ」
カッターシャツの袖に手を通す。今まで着たどの服よりも肌にぴたりと沿い、iTrappedは身が引き締まるような気持ちになった。ネクタイの付け方が分からず焦ったが、ネットで調べながら何とか結ぶことができた。
最後に青色のケープを羽織る。iTrappedは苦笑いした。ケープだなんて、何処かの王族かよ。…思い返すと、当時の彼は悪役なりダークヒーローなりそういうものに憧れていた。Ellernateがそれを見越して、揃えてくれたのだろう。iTrappedは一瞬迷ったが、全て身につける事にした。
「よし」
身支度は整った。いよいよ潜入である。
カジノはめまいがするほどの広さだった。そこかしこに、ルーレットの回転とディーラーの手札の虜になっている大人たちがいる。どこにも行かないのも不自然なので、iTrappedは店員と話をしようと適当な席に座った。
「やあ、アンタ!カジノは初めてかい?」
顔を上げたところで、iTrappedはハッと息を呑んだ。
目の前のディーラー。黒いフェドラ。ヘッドホン。サングラス。スーツ。これじゃ、まるで。
「Nate….」
「…ん?俺の顔になんか付いてる?」
「え?あぁ、何でもない!」
iTrappedはわざとらしく咳払いをした。よく見なくても彼の肌は灰色だし、ヘッドホンもクロックワーク製だし、僕は何を期待しているんだろうか。こう続けた。
「オレ、Chanceってひとを探してるんだ。ここのオーナーだって聞いて」
「あー」
ディーラーはニヤリと笑った。
「それ、俺だよ」
iTrappedは数秒のラグの後に目をぱちくりさせて、
「な、なんでそんな大物がディーラーやってんだ….?」
と再度問う。ディーラー、兼オーナーのChanceは、いたずらが成功した子供のように無邪気な笑顔を浮かべて返した。
「簡単な話さ!俺もここにいるみんなみたく、勝負事やハラハラするようなゲームが大好きなのさ!」
iTrappedは周りを見回す。あの大人たちは勝負というより金が大好きな気がしたが、言わないでおいた。それをよそ目に、Chanceは鼻歌交じりにトランプをシャッフルし始めた。
「アンタ、俺と同じぐらいの年だろ。金取らないからさ、一試合付き合ってくれよ。ルールも全部教えるし」
「え、えぇっと」
尻ごみするiTrapped。全てが予想外で、あまりにも上手くいきすぎていて彼は混乱していた。
「ほらほら渋らない!やるだけやってみようぜ、なっ」
カジノテーブル越しに手を伸ばしてくるChance。iTrappedはすっかり彼のペースに呑まれ、しどろもどろになりながら握手した。Chanceはずっと笑顔を崩さない。
「よし、じゃあ一番簡単なヤツいこう。『ブラックジャック』って分かるか?」
iTrappedはカード遊びに微塵も興味がなかったので、当然首を横に振った。ババ抜きぐらいしか知らない。
「オーケー….ルールはこうだ。ここに1~11までのトランプがある。よく切って山札にする。これは一旦放置な….そんで、一枚裏返しで別の場所から取る。これは取ったひとしか見ちゃダメだ。はい、アンタにも」
iTrappedもカードを一枚受け取る。6だ。
「あとは簡単だ。勝利条件はカードの数字の合計がより21に近い事。最初に作った山札から交替でカードを一枚ずつ引いて、表向きで置いていく。そうそう、数字が十分大きかったらパスもできる___残りはやりながら覚えよう。」
「つまり運ゲーか?」
「そうかもな。でも、ブラックジャックのキモはお互いに見えない一枚のカードさ。ほら、最初に引いたヤツ。相手がどの数を持っているのか予想しながら、時には相手の顔色をうかがって….こんな感じで、心理戦もあるのさ」
「へぇ」
「まー、俺もアンタも顔あんま見えないし意味ないけどな!ははっ」
「ふふ、言えてるよ」
はたから見れば、室内でサングラスをかけているのも、ましてや顔全体を隠しているのも酷く滑稽だろう。気付けばiTrappedは自然と笑っていた。ずっと張りつめていた緊張が、するすると解けていくのを感じる。ここで彼と仲良くなってしまえば、バンランドの噂についても聞き出せるかもしれない。iTrappedは心の中で小さくガッツポーズをして、山札に手をかけた。
「よし、パスだ」
iTrappedが宣言する。
「俺もパス!じゃあめくるぞ….せーのっ」
「「19!!!!!」」
同点。二人は顔を見合わせ、それから「またかよ」と呆れながらも笑った。
「Chance…ふふ….これ終わらないぞ」
「へへへ….別にいいよ、サイコーだよ!俺、勝負事が好きって言ったろ?今接戦じゃないか!白黒付くまでやっちまおう!!勿論、アンタが….えーっと….」
Chanceがどもる。まさか、なにか勘付かれたか。再びiTrappedに緊張が走る。
「どうしたんだい?」
「いやぁ、アンタの名前聞いてなかったなって…」
「なんだ、そんな事か。iTrappedだ」
「アイトラップド」
「うん。よろしく」
アイトラップド。彼の口がそう動くのを見て、iTrappedは心のどこかで安心していた。何故こんな気持ちになっているのかは、自分でも分からなかった。
勝負は結局Chanceが勝った。それからポーカーや大富豪など捻ったルールのゲームをハシゴし、ふとした時には夜も更けていた。Chanceはテーブルを離れた後も息せき切って興奮気味に、やれ「あの時はiTrappedは○○のカードを置いてると思ってた、けど予想より数字が大きくて驚いた」だの、「最後のラウンドでiTrappedの所作全てに気を配っていた、けど手の震えも息をのむ音もしなくて本当に判別できなかった….」だのと弾丸のように言葉を降らし続けた。
iTrappedは終止Chanceの話すスピードに圧倒されるばかりだったが、彼が楽しそうに喋り続けるのを見て、まあいいか、と思った。ChanceにはiTrappedを見透かそうとか、勘ぐりを入れようとか、そんな気持ちは無かったのだろう。
カジノのロビーは、閉店間際という事もあり静かだ。
「Chance、今日は何から何まで…ありがとう。お礼がしたいぐらいだ」
「いんや、お構いなく!むしろ俺が何か…あ、そうだ」
「なんだ?」
「アンタの顔が見たい!」
iTrappedは出鼻をくじかれた。そんなしょうもない事でいいのか、と思わず苦笑する。どうせ、ダークハートのせいですぐ忘れるというのに。
「….いいよ」
規制にそっと手を乗せる。触れたところから、砂粒のように黒が崩れていく。
「これでいいかい?」
iTrappedが聞く。Chanceは何を言うわけでもなく、ただiTrappedの顔を見つめ続けている。
「Chance?大丈夫か?」
Chanceははっと我に返ったような表情をして、それから申し訳なさそうに言った。
「ああ、すまん、もういいよ」
「そうか」
「iTrapped」
「ん?」
「隠すには、もったいない顔だったよ」
「……」
「….ありがとう」
iTrappedは、胸の内になにか小さなわだかまりが出来たのを感じた。
二か月ほど経った。Chanceとは良好な関係を保ち続けている。相変わらず、彼はiTrappedがカジノを訪れるたびに掛け金無しのカード遊びに誘ってくる。たまにロビー奥のバーに呼び出してきて、ドリンクを交わしながら他愛もない話をすることもあった。iTrappedは毎度毎度、帰るふりをしてカジノ内や隣接する複合施設にそっと忍び込み、怪しい場所を一つずつ潰していった。今のところアタリと思える場所は見つけられていない。急がなければ。
「よ、iTrapped!」
今日もChanceは背丈に不釣り合いなほど高いカウンターチェアに座り、いかにも甘ったるそうな色のカクテルを脇にiTrappedを待っていた。
「やあ、Chance。」
iTrappedはちらとメニューを見て、座りつつオーダーを入れる。
「クラフトコーラ、氷抜きで」
「iTrapped、今日もそれかい?」
「お酒ダメなんだよ。前に一回飲んだけど、ちょっと口を付けただけで意識が飛びそうになった」
「マジか!そりゃ飲まない方がいいよ」
「ふふ、ガキみたいだろ」
iTrappedがグイとコーラを飲む。
「いやいや、体質に逆らったらまずいだろ…..ははっ、酒もあんま良いもんじゃないしな」
Chanceもカクテルを口に含む。iTrappedが前に聞いた話だと、彼も酒には弱いらしい。そのせいか、Chanceはいつも一杯きりで注文をやめる。
二人の会話は盛り上がり、時間は流れてゆく。次第に店内のざわめきが収まり、グラスを洗う音ばかりが響くようになった。そろそろ潮時だろうか、とiTrappedはそわそわしていたが、Chanceは休むことを知らないらしい。まだ話している。見るに、若干酔っているのだろう。急ぎの用があるわけでもないので、ま、聞き流せばいいか、とiTrappedは右腕で頬杖をついた。
「そういえばさ、iTrapped」
「うん」
「ネイトって誰だ?」
ピク、と体が動いたのがiTrapped自身も分かった。一定だった呼吸が不規則になる。落ち着け。顔は相手からは見えていない。余計な思考を追い出せ。iTrappedは口を一文字に結び、震える右腕を隠すように左腕で強く押さえつけた。
「たまにそう呟いてるよな?気になってさ。知り合い?」
伏し目がちにChanceを見た。いつも通りのだらしない笑顔で、静かにiTrappedの答えを待っている。それを見て一気に力が抜けた。良かった、不審がられてはなさそうだ。
「….誰でもない」
「そうなのかい?んじゃ….なんかのおまじないとか?」
「ああ。落ち着くためのおまじないさ」
それを聞いて、Chanceはニッと笑った。
「よっぽど気に入ってるんだな!」
その言葉に、悪意は無かった。心臓がキュッと締め付けられたような感じがして、iTrappedは再び右腕を押さえつけた。
「うん」
「唱えると、元気が出るんだ」
カジノを物色する気にもなれず、iTrappedはおぼつかない足取りでその場をあとにした。車の走行音、飲食店から漏れる人々の歓談、大型ビジョンのCMの音に、客寄せの宣伝文句。夜であろうが、街はまだまだ音に溢れている。
Nate、と口の中で呟いてみる。それだけではどこか落ち着かなくて、深く息を吐いた。
今度は小さく声に出した。喉がやけに乾いていて、掠れた声しか出なかった。
「Nate」
その言葉を他人の声で聞いたのは、一体いつぶりだろうか。
「Nate….」
そして、
「Na、te」
その響きがあんなにも、腹立たしかったのはどうしてだろうか。