コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「ここは私に任せて」とユカリは促し、魔法少女の杖を構える。
「ユカリさま? その方はどなたなのですか?」とグリュエーの姿のレモニカが尋ねる。
「ドーク。大丈夫。私に借りがある人だよ。私は命の恩人だからね。グリュエーのこと頼んだよ」
今になって思い返せば『這い闇の奇計』にさらわれたこと自体、ただの演技だったのだろうが、ドークはユカリの言葉を否定しなかった。
それぞれに思うところはあろうが、全員がユカリに任せて先に進むことを選んだ。ドークも走り去る者たちを追おうとはしない。
上空に吹く風の雄叫びを浴びながら二人は二人きりで対峙する。
「お前ひとりで俺に勝てると思うのか?」とドークが挑むように言った。
「まあね。でも戦いたいわけじゃないよ。ドーク」
「お前がそのつもりじゃなくても構わないさ」
ドークの瞳が雲に透ける太陽のように朧な緑の光を宿し、口からは黒い煙が溢れて零れて周囲を漂う。煙は意思を持っているかのようにドークを愛でるように絡みつく。
妖しげな雰囲気を放つ少年を前にしてユカリは怯むことなく言葉を続ける。
「クヴラフワを出て旅をしたいんでしょう? でもハーミュラーの与えた克服の祝福は呪われた地で、呪われた地だけで生きるための魔術だよ。克服の祝福もクヴラフワの呪災も無くさないとドークの願いは叶わない。そうじゃない?」
「ああ、もちろん、そうじゃない」とドークは断言する。
ユカリは大前提のつもりで語ったことを否定されるとは思わず、眉をしかめる。
「どういうこと? クヴラフワの外に出たいんじゃないの? でも出られないんじゃないの? それに克服の祝福は呪いに適応することだって、だから呪いが無いと生きられないんだってハーミュラーが言ってたよ」
「ああ、そうだ。だから広げるんだ。クヴラフワという呪いの地を。グリシアン大陸を呪いで満たす。そうすればどこまでも旅できるだろう?」
ユカリは予兆のない雷鳴のようにかっとなって怒鳴る。「馬鹿言わないでよ! 本当にそんなことが出来ると思ってるの!?」
「ああ、できるさ。何せ巫女さまは半神さまだぜ? 神にも及ぶその力でできないことなんてあるもんか」
「そうじゃない! クヴラフワの悲劇をさらに広げることが許されるはずがないでしょ!? それに神にも及ぶ力!? 解呪できないくせに、その呪いを広げることは出来るって? 馬鹿じゃないの!?」
嵐に荒れ狂う大海の大波のように怒鳴り声の応酬が続く。
「解呪できないのはお前もだろ!? 解呪したつもりで全部復活してるじゃないか! 少なくとも巫女はクヴラフワの民を救うために出来ることをやってるんだよ!?」
「だからって呪いを外に広げるのは違うでしょ!? どうして外の人々が巻き込まれないといけないの!?」
「何を言ってるんだ。ここまでの話で分かるだろ?」ドークは馬鹿にしたような笑みを浮かべる。「グリシアン大陸に住む全員が克服の祝福を受ければいい。そうすれば誰も死なない」
ユカリは怒りを通り越して呆れ、少しばかり冷静さを取り戻す。
「そんな勝手な話が罷り通ると思ってるの?」
「お前はクヴラフワの民だけが苦しめば良いと思うのか? 呪いを放った外の人間がのうのうと生きてるってのに」
「誰もそんなこと言ってない。呪いを広げるなんて、飛躍だよ。自分たちの諦めに他人を巻き込まないでよ」
ドークが言い淀むが、ユカリは辛抱して待つ。ハーミュラーではなく、ドークの話を聞かなくてはならない。ハーミュラーとドークの考えが同じでなければならない理由などないのだ。
「だって、ずるいだろ。クヴラフワは四十年苦しんだんだ。他国の遺した呪いの中で地獄の生を生きて来たんだ」ドークの吐き出す煙が溢れ出し、全身を覆う。「仮に解呪できたとして、今更解呪したとして、なんでそれで許されると思うんだよ! 四十年が無かったことにはならないんだよ! 勝ち逃げできると思ってるのか!?」
色濃い黒煙だけではない、全身から鮮血が噴き出し、ぎらつく刃が逆立ち、狂ったように羽ばたく翼が生え、ぼろぼろと醜い蟲が零れ落ちる。
全ての呪いの克服者である異形のドークが獣のように飛び掛かってきて、魔法少女ユカリは素早く飛び退く。煌めく杖に乗って、黒い闇の内から射出される血濡れの刃を宙でかわす。
「ねえ、聞いてよ。ドーク」
ユカリの呼びかけにドークは立ち込める黒煙を広げて答えるが、ユカリは中庭のあった吹き抜けの宙へと退く。
風が空に現れた城にぶつかり、蜘蛛の糸に翻弄されて奇妙なくぐもる音を鳴らしている。白い雲が城に押し寄せてくるが、糸の間で逆巻く風によって散り散りになっていた。
「憎しみや恨みを忘れろなんて言わない。どうせなら正しく憎んで、恨んでよ。呪いを広げたら関係ない人々まで苦しむことになるんだよ。何も知らずに呪われた地に生まれる子供たちの気持ち、ドークなら分かるでしょ?」
視界を遮る黒煙に向かって語り掛けるユカリの背中に目掛けて刃が飛んで来るが、それもやはりかわす。深奥を通って死角へ移動することは想定していた。
「呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ」
呪わしい言葉が思いを込めて捧げられる聖句のように重く低く反復する。
「ずっと本を読んで学んでたのは何故? 知りたかったからでしょ? 自分以外のことを。自分たち以外のことを。出て行きたかったからでしょ? 別の場所に、新しい場所に。此処ではない何処かに。皆を自分と同じにして、他所を此処と同じにしたら何もかも台無しじゃない」
上から落ちてきたドークがユカリの杖の上に飛び乗り、ユカリを羽交い絞めにしようとした。しかし魔法少女の輝く肌に少し触れただけでドークは苦しみに喘いで消え失せ、再び回廊の方へと現れた。
ドークがユカリに触れた手を見つめながら息を切らして呟く。
「あの洞窟は、どこにも繋がってなかったよ。俺にはもう希望なんてない」
「ドークになくても私にはある。私がクヴラフワを解呪する。クヴラフワと世界を繋ぐ」
「どうして克服の祝福で呪いに適応できるかは知ってるのか?」
ユカリは自信なさげに首を横に振る。
「仕組みまでは知らないけど」
「要するに俺たちは呪いと融合してるんだよ。肉体も魂もな。解呪すれば消えちまうんじゃないか?」
ユカリは確信を持って首を横に振る。
「私の母、エイカも克服者にされたけど解呪で治ったよ。呪いの復活と同時にまた克服者に戻ったけどね。グリュエーの魂も、克服者ではないけど残留呪帯の呪いと融合してた。でも今は元通りだよ。別に誰も消滅したりはしていない。解呪すれば助かる。私が助ける。信じてよ」
「お前が解呪した二度とも俺はそばにいたぜ? まあ、少なくとも消滅はしていないが、今なお克服者だ」
「……確かに」ユカリは答えを求めて頭の中を彷徨う。「いや、違う。ドークは全ての呪いの克服者だからだよ。だからクヴラフワの全ての呪いを根本的に、復活しないように解けばいいはず!」
ドークは何かに呆れたように、何かを諦めたように深い溜息をつく。その瞳の緑の灯火が消える。黒い煙は風に吹き流され、赤黒い流血は止まり、刃は曇って落ち、翼は萎れて抜け、蟲は何処かへ這っていった。
「お前はハーミュラーによく似てるよ。どっちも、自分が全てを解決するって嘯く。なら俺はどっちでも良いよ。お前たちで決めてくれ」
ドークが引っ繰り返った天井に、暗い影の中に沈んでいく。
今は自分のことを信じてくれたのだとユカリは信じることにした。