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眠れない夜があるというのは人間の常識。自分だけのことじゃない。だから眠れない夜について語るのは逆に非常識にあたる。ナミはずっとそう思っていた。
ナミはとても真面目な人間だった。 夏休みの宿題を一つでも最終日に残したら自分はこの世で一番劣った人間なのだと思い込むほど真面目だった。
自分の中で唯一不真面目な点といえば、生まれた性が男であるにもかかわらず女みたいな名前をしていることだった。
ナミには好きな女がいた。名を那美と言った。同性を好きになっていい世の中なら同名も好きになっていいのだと言い聞かせ、ナミは彼女に話しかけた。彼女はとても嫌そうな顔した。ナミは天井からロープを垂らした。
天井からロープを垂らしたことがあるというのは人間の常識。自分だけのことじゃない。だから天井から垂らしたロープについて語るのは逆に非常識にあたる。
──流石にそれは自分でもちょっと意味がわからないと思ったが、そんな風に自分で自分を追い詰めることに意固地になっていた。
ある朝。冬だと思って目を覚ましたらもう四月だった。
四月は春と呼ぶのだろう。たとえ地球温暖化の影響で真冬ぐらい寒くても春と呼ぶのだろう。今までの真面目なナミなら春以外の名前で呼ぶことを許さなかった。
しかしその瞬間のナミは、これは冬だと思った。冬でしかないと思った。 自分が冬だと思うなら冬に違いないだろうと思った。長らく冬眠していた影響か、ナミの意固地は自分を許す方向に向かっていた。
それが真面目なのか不真面目なのかは判断がつかなかったが、たとえ不真面目だろうが今自分を怒る人は自分しかいないだろうと思った。
一通のLINEが届いていた。あの那美からだった。『今度お花見に行かない?』とあった。とてつもなく不自然だと思いブロックしようとしたら、以前の自分が『死にたい』と送っていたから気を遣われたのだと気付いた。これは自分に責任があると思い、真面目なナミは承諾することにした。
一週間後、確かに桜は見た。思ったよりだいぶ綺麗じゃなかった。
空から花びらが降っていた。
心から悲しみが降っていた。
隣に那美はいなかった。
那美の方が先に死んでしまった。自分が死のうとしている間に先に相手が死んでしまうというのは人間の常識。 自分だけのことじゃない。だから先に死んでしまった相手について語るのは逆に非常識にあたる。
──それじゃまるで彼女のことを全然好きじゃなかったみたいだ。
彼女は良い人間だったよ。ナミはとりとめもなくそう思った。ろくに話もしなかった相手のことをそんな風に思えるのなら、自分のことも少しは盛っていいのではないかと思った。
悲しみが降っている。悲しみが降っている。悲しみが降っている。悲しみが降っている。だから私はこの世で一番悲しいです。私だけが私だけが私だけが私だけが、今この世で一番悲しい人間なのです。
言い切ったが特にすっきりすることはなかった。桜を見続けてもすっきりすることはなさそうだったのでそのまま歩き出した。
今日も眠れない夜になるかもしれない。天井のロープはまだ外せない。 起きるより寝ていた方がいいに決まっている。ただし起きていようが別にいいやとどこかで思っている。これを不真面目と言うならこの世の人間は全て不真面目かもしれない。
ナミは何の為に真面目になったのか。それは頑張る為じゃなく、早く大丈夫になる為だった。頑張りたいんじゃなかった、早く大丈夫になりたいんだった。「大丈夫だよ」って誰かに言ってもらいたいんだった。「大丈夫だよ」って言ってもらう為にわざわざ人間を好きになるまであった。
結局早朝四時ぐらいになってようやく寝れたのだが、夢に出てきた那美が驚くほど単調な声で「大丈夫だよ」と言ってきたので、ナミも単調な声で「全然大丈夫じゃねえよバカ」と返した。
馬鹿正直に答える自分はやっぱり真面目だなとナミは思った。