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警報は、朝になっても止まなかった。けれど内容は相変わらず曖昧で、
「安全のため、不要不急の外出を控えてください」
その一文を繰り返すだけだった。
理由は言わない。
いつまで続くのかも、誰も知らない。
窓の外を見ると、街灯が低い。
正確には、低く見える。
昨夜より、確実に。
ビルは壊れていない。
道路も割れていない。
ただ、街全体が、少しずつ下へ移動している。
スマホを開くと、あのメッセージがまだ残っていた。
「沈むものと、沈まないもの」
まるで、最初から決まっているみたいな言い方だった。
学校は休校になった。
理由は「設備点検」。
けれど、工事車両は来ていないし、
先生からの連絡も、それ以上はなかった。
外に出ると、空気が重い。
湿度じゃない。
重力そのものが、濃くなった ような感覚。
歩道を歩くたび、足裏がわずかに沈む。
アスファルトは固いままなのに、
その下が、柔らかくなっている。
交差点の手前で、人だかりができていた。
遠くからでも分かった。
空気が、ざわついている。
近づくと、一人の男が立っていた。
年齢は二十代くらい。
スーツ姿で、通勤途中だったんだと思う。
男は、動かない。
いや――
動けないのは、周囲のほうだった。
男の足元だけが、同じ高さを保っている。
周囲の地面は、ゆっくりと下がっているのに。
誰かが言った。
「……浮いてる?」
違う。
浮いていない。
男は、落ちていない。
次の瞬間、
隣に立っていた女性の足が、地面に沈んだ。
悲鳴が上がる。
助けようと、何人も手を伸ばす。
でも、地面は水みたいに形を変え、
触れようとする腕を、静かに拒んだ。
沈む人間。
沈まない人間。
男だけが、その場に残る。
視線が集まる。
恐怖、羨望、疑念。
そして、はっきりとした境界線。
男は震えながら言った。
「……俺、何もしてない」
「本当に、何も……」
誰も答えなかった。
そのとき、スマホが震えた。
「観測完了。 沈まない個体、確認」
送信者は表示されない。
「選別は、想定通り進行中」
街は、もう偶然では動いていなかった。
重力は、意志を持っているみたいだった。
自分は、どちら側なんだろう。
沈むのか。
沈まないのか。
その答えは、
まだ、与えられていない。