テラーノベル
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小さなテーブルと座布団。そして、すぐ横に置かれたベッド。四畳半のアパートの一室に置かれた家具は、どれも数ヶ月前と変わらず、美咲の記憶と同じように置かれている。しかし、姿見の横にかけられたコーラルピンクのワンピースだけが、一ヶ月前の出来事が夢ではなかったと美咲に伝えていた。
廉と別れてから、早一ヶ月。元々、美咲が住んでいたアパートはなぜか解約されておらず、今も同じ部屋で美咲は生活を送っていた。タワーマンションから美咲の荷物が運び出され、玄関前で廉からアパートの鍵を渡された時、廉は初めから逃げ道を用意してくれていたことに美咲は気づいた。
わずかに残った良心が、アパートの解約を踏み止まらせていたのかもしれない。そう考えて、廉の本心がわかる機会は失われていることに気づき、美咲は苦笑をもらした。
あの日から、廉とは連絡を取っていない。
廉のいない生活に戻っただけ。
廉に囚われてからの苦しく甘かった日々が、全て幻だったと思えるほど平和な日々に、美咲の心は凪いでいる。しかし、心の奥底に仕舞い込んだ寂しさが消えることはなかった。
毎朝百円の食パンを牛乳で流し込み、一時間かけて大学へと通う。大学が終われば、イタリアンレストランのバイトを週五で入り、生活費を稼ぐ日々。あまりに現実的過ぎて、廉の存在自体が幻だったのではとさえ思えてくる。
美咲は、トレーナーにジーパンという軽装に着替えると、玄関を出る。馴染みの駅の改札を抜け、いつもの電車に乗り三駅先の繁華街で降りる。改札を抜け、空を見上げれば見慣れたタワーマンションが目に映った。
(タワーマンションの最上階、やっぱり私とは縁がない別世界)
いつになれば、廉の隣に並ぶにふさわしい女性になれるのかと、不安な気持ちで押しつぶされそうになる。弱腰になりそうな気持ちを奮い立たせ、美咲は前を見据える。
突き進むと決めた。
廉の隣に並んでも恥ずかしくない素敵な女性になると。
自信のない自分から変わろうと誓った。
誰からも惑わされない、強い女性になると誓ったんだ。
タワーマンションを見上げていた美咲は踵を返すと、ある決意の元歩き出す。
「静香さんと、決着をつける!」
♢
『カランカラン』
繁華街の裏路地を抜けた所にある古びた喫茶店。美咲にとっては馴染みの喫茶店の扉を開けると、いつもの初老の店員が軽く会釈をしてくれる。
美咲は閑散としている店内を見回し、店の一番奥のソファ席に目的の人物を見つけると、店員へと軽く頭を下げ狭い通路を奥へと進んでいった。
艶やかなストレートのロングヘアを背中に流し、グレーのスーツを着て姿勢よく座る女性は、背を向けているため美咲の存在に気づいていない。
ゆっくりと近づき、真向かいの席へと座った美咲は、すぐに口を開いた。
「川口静香さんですね。お会いくださりありがとうございます。こうして、お話をするのは二回目ですね」
「えぇ。ただ、初めてだと思いますわ。三年前は、私から一方的に話しただけですから……」
目の前に座る静香が美咲へと挑発的な笑みを見せる。彼女の余裕綽々な態度に怯みそうになった美咲だが、震える手を握りなんとか耐えた。
ここで負けるわけにはいかない。
前に進むためにも、三年前に決着をつけなくてはならない。
美咲は腹に力を入れ、目の前で笑む静香をにらむ。
廉は昔も今も、静香との間に男女関係はないと言っていたが、彼女も同じとは限らない。少しでも廉に気があるのなら、はっきりさせて置く必要がある。
「そうですね。一方的に廉と別れるように言い、立ち去った。彼と別れる選択をしたのは私です。でも、貴方の纏っていた廉と同じ香水の匂いに惑わされて、別れを選んだのも事実です。廉は、静香さんと男女の関係は今も昔もないと言いました。今は遥の恋人でも、三年前は廉の恋人だったんじゃないんですか?」
笑みを消し、ジッと美咲を見つめる静香の表情からは何も伺い知れない。焦っているでも、狼狽えているわけでも、ましてや余裕の表情を浮かべているわけでもないのだ。
その表情がかえって美咲を苛立たせる。
「静香さん、答えてください。違うと言うなら、何故あんな行動を……、廉の香りを纏って私に会いに来たんですか?」
三年前、あの香りに惑わされなかったら違う未来があったかもしれないと思えば、目の前に座る静香に腹が立って仕方ない。
「美咲さん、始めに言っておくわ。三年前も今も、廉と男女の関係になったことは一度もないわ。純然たるビジネスパートナーよ。昔はモデルとマネージャーの関係、今は社長と秘書の関係。ビジネスパートナー以外の関係になったことは一度もない」
「じゃあ、何故あんな行動をとったんですか?」
「まだ、学生の貴方には分からないでしょうけど、チャンスをものに出来ず転げ落ちていく人の多いこと。ひとつの選択を間違えるだけで蹴落とされる業界に私達はいるのよ」
そんなこと当時高校生だった美咲だってわかっていた。だからこそ、二人で会う時は細心の注意を払っていたし、ほとんど会えない日々が続いていても、文句の一つも美咲は言わなかったのだ。
それでも足りなかったとでも言うのか。
「当時、駆け出しモデルだった廉に訪れた最大のチャンス。トップに立つチャンスが目の前にあることをマネージャーだった私は知っていた。でも、当時の彼はそのチャンスをふいにしても貴方の手を取ろうとしていたのよ。売り出そうと考えているモデルに女性スキャンダルはご法度。そんな事を廉だって承知していた。でもね、彼は貴方と別れるつもりはなかった。だから、謀ったの……」
静香の言葉に美咲は息をのむ。
三年前の真実は、あまりにも重い。
あの時、廉は美咲の手を取ろうとしてくれていた。二人の将来を真剣に考え、美咲を優先しようとしてくれていたのだ。
それなのに、静香の策略にはまり、自らの意思で廉の手を離してしまった。
「遠距離恋愛をしていた貴方は、都会から廉の香りを纏った私が現れれば、廉と私が恋仲だと誤解するだろうってね。そして貴方は、自ら別れを選んだ。私の思惑通りに事は進んだわ」
廉が言っていたことは、正しかった。
全て誤解だったのに、一人被害者面して逃げ出した。
「あの当時、真実を知っていたら。きちんと廉と話していたら……」
重い真実に、後悔だけが胸に残る。いいや、後悔の気持ちを抱くことすら罪なのかもしれない。
「当時、貴方がその事実を知って何かが変わったのかしらね? 高校生だった貴方と貴方しか見えていなかった廉が話し合ったところで、結局別れを選択なんて出来なかったんじゃないかしら。ズルズルと関係が続いて、そのうち関係が明るみに出て、廉はスターの階段から転げ落ちる。一度干された者が再び脚光を浴びる事なんてほぼ無いわ。高校生だった貴方に、そんな廉を支えられるだけの気概があったのかしらね」
静香の言葉がずしりと重く心に落ちる。
高校生だった美咲に廉の将来を考え身を引くなんて芸当が出来たとは思えない。静香が言うように、ズルズルと関係を続け、廉の未来も全て奪っていたのだろう。
「はぁぁぁ、全て廉のためだったと言えば聞こえはいいけど、廉をトップモデルに押し上げることで、マネージャーとしてのキャリアを積みたかった私の出世欲にあなたを巻き込んだ。まぁ、そのしっぺ返しを食らったのも事実だけど。まさか、あなたが遥とのキスを見て廉と誤解するなんてね。今の私の立ち位置なら上手く隠し通せると思ったのに……」
自分を擁護する言葉を重ねる静香の態度を、今の美咲が気に留める余裕はなかった。
「あなたと遥の写真が雑誌に載ってしまった。売り出し中のアイドルの女性スキャンダルなんてスクープされたら最後だわ。遥はBRADMOONを脱退する。彼は芸能界から干されることになるわね」
「――――うそ。遥は……、遥は芸能界から消えるんですか?」
静香の言葉に頭が真っ白になる。
私のせいだ。
もっと早くに、廉に聞いていたら。
静香との関係を問い質していたら。
廉に静香が本命だと言われるのが怖くて、幸せな日々が消えてしまうのが怖くて、何も聞かなかった自分が全て悪い。
廉と私の人生を狂わせたのが静香さんでも、遥の人生を狂わせたのは間違いなく私だ。
「どうしよう……、遥の人生をめちゃくちゃにしてしまった」
「そうね、私とあなたが彼の人生を壊してしまったのよ。スターの階段を潰した。いいえ、あなたが遥に関わらなければ、全て上手く行ったのかもしれない。美咲さんがあんな誤解をしなければ隠し通すのは容易かった」
初めて静香の目に怒りの炎が宿る。
遥は恨んでいるだろう。
全ては気持ちを押さえ込み、勝手に誤解して、諦めて、廉との話し合いをしなかった私のせいなのだから。
大きな罪に心がつぶれそうになった美咲の耳に、静香のあきらめにも似た笑い声が聴こえた。思わず顔をあげた美咲が見たものは、どこかあきらめにも似た静香の笑み。その笑みを見た美咲は、こんなに苦しんでいる自分が馬鹿らしくなった。
自分だけ悩み、傷ついているなんて、馬鹿らしいのかもしれない。
「………貴方を責めたところで仕方ない。元はと言えばタレントに手を出した私が一番悪いことくらい分かっている。遥に恋してしまった私が、一番タチが悪い。三年前、ビジネスのためと貴方達を別れさせたくせに、商品に手を出したツケがまわって来た。ただ、それだけよ。まぁ、全力で遥の今後を守るために、動くつもりだけど。どうせ、あなたにはそんな芸当出来ないでしょうけど。――という訳だから、美咲さんには遥の周りをチョロチョロしてもらいたくないの。あなたがいると消える火も消えなくなっちゃうから」
ふんっと鼻を鳴らし、そっぽを向く静香もまた後悔しているのだろう。ただ、理不尽な物言いに腹が立つものは立つ。しかし、廉との話し合いを避け、私達のゴタゴタに遥を巻き込んでしまったのも事実だ。
こんな自分を変えたい。
嬉しいことも、辛いことも、悲しいことも、逃げずに向き合える強い自分になりたい。
そのために、廉との別れを選んだのだから。
「静香さん、最後に聞いて良いですか? 今までに一度も、廉に恋愛感情はなかったのですか?」
「……難しい質問ね。廉に恋愛感情があったかと言われたら、あったのでしょうね。三年前、あなたと廉を別れさせた時に感じた優越感は、美咲さんから廉を取り戻した喜びだった。スターへの道を捨て、あなたを選ぼうとしていた廉の美咲さんに対する愛に嫉妬していた。しかし、それは遥に対する愛とは別物ね。親が子に向ける愛じゃないかしら。母親が子供の彼女に嫉妬する感覚と似ている気がするわ。親離れする子供の態度が寂しかったのと同じ。はっきり言って、廉と恋人になるなんて嫌よ。あんなストーカー気質の男……、付き合ったら最後、全てを監視されそうで息がつまるわ」
残念そうな視線を美咲へと向ける静香から目をそらす。
「あらっ、ごめんなさい。そんな粘着男のことが好きだったわね。あなたは」
「ははは、まぁ……」
憐みを含んだ瞳で見つめられ、渇いた笑いが美咲の口からこぼれる。
「でも、廉と別れたんでしょ? 最近の廉の沈んだ様子を見ればわかるわ。とうとう、廉に愛想を尽かしたのかしら?」
「違います。あえて離れることにしただけです」
「そう。あなたも今回の事で色々と思うところがあったのでしょう。美咲さんと廉がどうなろうと全く興味はないけど」
そんな言葉を言い捨てた静香が、もう話は終わりとでも言うように、視線を外へと向けため息を吐く。
「静香さん、あなたがわたしと廉の関係をめちゃくちゃにした事実は変わりません。しかし、何も聞かず別れを選んだ私にも責任があります。そして、私はあなたの愛する遥の人生をめちゃくちゃにした。
お互いの存在が憎い。今のままではやり切れない思いを抱え、前に進めません」
「……何が、言いたいの?」
美咲の鬼気迫る勢いに、静香の喉がゴクリと鳴る。
「一発ずつ殴って、終わりにしましょう」
「えっ!?」
美咲は静香の否の言葉を聞く前に、手を挙げ振り下ろした。
小気味良い破裂音が店内に響く。
「やったわね!!」
間髪入れずに振り下ろされた静香の手に頬を打たれ、ジンジンと痺れるような痛みが走る。
この痛みが私の罪。
美咲はゆっくりと立ち上がると、静香へと深く頭を下げた。
「廉のこと、よろしくお願いします」
顔を上げた美咲の目に、意地悪そうに笑う静香の顔が飛び込んでくる。
「いいの? 私が廉の側にいて。あなたから廉を奪うかもしれないわよ」
「静香さんが廉を奪っても、必ず奪い返しますから」
美咲もまた、静香を見据え不敵に微笑む。
もう弱い自分には、戻らない。
静香がスッと立ち上がると伝票を持ち踵を返す。流れるような所作に、女としての格の差を見せつけられているようで、憮然としてしまう。
こんなところが、子供なんだろう。
美咲は悔しさまぎれに、静香の背へと問いかける。
「そうそう。なんで、廉の車で遥とキスなんてしていたんですか?」
「あぁ、あれ。カモフラージュよ。遥の車はパパラッチに知られているけど、廉の車は知られていない。あの地下駐車場は、住人しか入れないようにセキュリティが門扉にあるでしょ。遥との密会に最適だったのよ。あの中まではパパラッチは入れないしね。それに、廉と遥は背格好も似ているでしょ。だから、万が一バレても幾らでも誤魔化しがきくと思っていたけど、甘かったわ。まさか、あなたが見ていたなんて思わなかった」
「そうですか……、本当最低ですね」
「あらそう? これくらいしなきゃ、あの業界じゃ生き残れないわよ。みんな女狐ばっかり。人生楽しまなきゃ損でしょ」
不敵な笑みを残し去っていく静香を見送り、その背に悪態をつく。
やっぱり、静香さんとは相入れないわ。
そんな女狐が廉の側にいるリスクもわかっている。でも、今は彼の側にいる時ではない。
廉を信じる。
私が誰にも惑わされない強い女性になるまで待つと言った、廉の言葉を。
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みぅです🤍🥀 第32話、読み終えたよ…。 静香との対決シーン、めっちゃ手に汗握った。三年前の真実が重くて、美咲の後悔がひしひしと伝わってきた。でも、お互いを殴り合って「決着をつける」っていう選択、すごく美咲らしいなって思った。弱い自分から変わりたいって決意して、ちゃんと前に進もうとしてるのがかっこよかった。 「必ず奪い返しますから」って微笑んだシーン、痺れたよ。続きが気になる…!