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スーパーに寄って帰宅すると、夫は既にテレビ画面でサッカーを見ており、娘はタブレットで動画を見ていた。円が真っ先にわたしに気づいた。「ママー。おかえりー」
「ただいま」とわたしは円に微笑みかける。キッチン内に入り、買ってきた食材を冷蔵庫に仕舞う。それから――夫には。
「……『あの話』、断っておいたから」とだけ告げる。
いつも通り画面から目を離さずソファーに座る夫は面倒臭そうに、「……あの話って」
「……お手伝いに来て貰う話」わたしは円に悟られぬよう意識して答えた。「正直、この家のことは、なんとか回していけるし。よそのかたにお手伝いまでして貰わなくてもいいと思うの。……お金もかかることだし。円の鍵、返して貰ったから」よそのかたに、と言うときに不必要に力が入った。
「ふーん」とつまらなさそうに夫は言う。「友達と会ってきて言うことがそれか。ふーん。分かった。じゃ、この家のことはおまえひとりで回していけるんだな?」
「や、そこまでは……」どうしてそんな話になるのだろう。共働きで、まだ小学校一年生の娘がいて、まだまだ手がかかる。ここはふたりで頑張ろうってなるのが……筋でしょう? 「わたしもフルタイムで仕事をしているし、大変なの。これからも、協力して貰えると助かるな……」
どうして、こんなにわたしが下手に出なければならないのだろう。理不尽に思いつつもわたしは夫の反応を待った。「ふぅん」と夫。
「分かった」
夫は自分が趣味に没頭しているあいだ、話しかけられるのをとことん嫌がる。――勿論、『狙って』のことだ。下手に円が寝たあとだと、会話がエキサイトしかねない。伝えるべきことは伝えた。今日会っていたのが美冬だと露見しようがーーこの際どうでもいい。わたしは大音量でサッカーをする夫を尻目に、携帯と本を手に、別室へと逃げ込んだ。
* * *
――本は、いい。裏切らないから。最後までちゃんと見せてくれるから。見せるべきものを。かつ――素敵な世界を提供してくれるから。甘酸っぱい初恋――すれ違いの恋。切なさ。ひとを好きになることの尊さ。リリカルで刺激な言葉の数々――。
ミステリー小説も読むわたしだが、最近は意識的に恋愛小説を読んでいる。特に、恋愛小説を書いている作家に出会い、その作家の作品にすっかり心酔している。――不倫ものも読む。いまのわたしには地雷かな? と思いつつも、何故、ひとが不倫をするのか――その正体を知りたいのだ。
結論は、様々だ。昨今の、不倫に対する風当たりの強さを考慮してか、不倫女が不幸になるエンディングのものも目立つ。夫以外の男に抱かれ、最終的には妊娠を目論む女。最愛の男と繋がったまま毒を含み、自殺する男女。なにもかもを失い、かつての不倫相手の男の元に行き、その男や娘の面倒を見ることを決意した女。――不倫女には成敗を! その鬱憤を晴らす趣向を意識した作品もある一方で、不倫ものは基本的に――作者は達観した視点を貫いている。そこを見落としてはならないとは思う。
ウェブ小説で面白いものもあるが、エタるものも多いので、わたしは基本的に、紙媒体で書籍を読む主義だ。図書館で常時十冊本を借りている。超人気の作品は予約多数でなかなか借りられないが、半年も経てばかなり落ち着くので、旬を過ぎれば果物がやわらかくなるように、ちょっと間を置けば人気作でも借りられる。だからわたしは図書館を活用している。それに、最近視力が落ちたので、裸眼で読むにはブルーライトはきつい。わたしが紙媒体を好むのはそれも理由のひとつである。
ミステリィ小説であれば第一作から順番に読むスタンスだ。森博嗣あたりはシリーズもののどの作品から読んでも入れるように作り込んでいるが、あれはレアケースだ。大概の作家が、第一作から読まねば話が分からないように作り込んでおり――そのメソッドには従う主義だ。が、恋愛小説だと一冊だけのものが多い。短編集も多い。ミステリー小説があれだけ冊数を重ねるのに対し、恋愛ものは長く続くと飽きるのか――この違いはなかなか興味深いところではある。
さて今日は――主人公がそれぞれ、好きな男にさよならをする短編集を読んでいる。こちらの作家は、携帯電話が普及しない時代の小説を多数書いており、興味深い。携帯で待ち合わせが出来ない、ゆえに、会社や自宅の固定電話に電話がかかってくる。香ばしい匂いがする。懐かしいものである。携帯電話が普及したのはわたしが高校を卒業する頃である。よって青春時代の大半を、携帯電話なしで過ごした。だから、携帯電話がない時代の不便さを、多少は知っている。そして――さよならを告げる形態がさまざまであることにも驚かされる。いずれにせよ、旬を過ぎた恋を見極め、主人公たちは軽やかに――相手のいない明日へと旅立っていく。別れという、一見すると悲しいテーマを扱いつつも、不思議と読後は穏やかな気持ちになれる。勿論この率直な感想も、書評ブログに盛り込むつもりだ。いい気分で読書を終えた。時刻は――十六時。そろそろ、頃合いか。
わたしは名残惜しくも本を置き、リビングへと向かった。すると――わたしのテレビで娘と夫がゲームをしていた。娘を放置されればされたでむかつくが、一緒に遊んでいればいたで腹立たしい。まあ――釣りや泳ぎをする平和なゲームであるのが救いだけれど。ふたりで、あれが連れただのきゃっきゃ騒いでいる。そこに――わたしの居場所はない。寂しい気持ちになった。
娘が生まれてからわたしの生活スタイルは激変した。すべて――娘中心。とはいえ、書評を書く趣味があるゆえに、娘を放置することもあるが――例えば、寝る前の時間は娘と遊ぶ時間。一日の出来事を聞き出す時間を大切にしている。仮に娘が、積極的に話す女の子であればわたしはそれに合わせるが――彼女は彼女で一日何時間か動画に没頭する時間が必要なのだ。学童に行く日はそれが顕著であり――彼女の意志を尊重したいとわたしは思っている。
とはいえ、休日くらい娘とたっぷり遊んでやったら――と、思って、ちょっと前までは、日曜日は娘をショッピングセンターに連れて行っていたのだが。最近はお友達と遊ぶことが増え――近所の公園で遊んでいるらしい――外の世界に触れつつある娘が眩しく見える今日この頃である。
さて土曜日の夕方は塾がある。送迎はサッカーがないときだけは夫の担当であるので――夫はわたしの険しい目線に気づいたらしい――そろそろ円ちゃん宿題やるよ、と言って、やらせて、慌ただしく円を連れて出かけていった。――やれやれ。やっと家が静かになった。
寒くなってきたので今日は、鍋にしよう。鳥むね肉を切るときにふと思う。――これが、人間の肉ならわたしは『怖い』と思うのだろう。気づかず混入されていれば、気づかず断ち切ることだろう。――夫を解体する作品があったのを思い返す。厳密にはヒロインが勤め先の、DVに遭った女性の夫の――だが。彼女はどんな気持ちで切ったのだろう。他人の肉を。他人の夫の肉を。――これが。この肉が紘一だと思えば、わたしの鬱憤は晴らせるのか?
その晩、鍋を食べている夫が不思議そうに言った。「――あれ。なんか、鶏のひき肉団子多くない? いつもむね肉入れるでしょう? これ」
わたしは笑顔で答えた。「――全部ミンチにしてやったの」
*