テラーノベル
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数日後、
「春川さん、これ」
白石さんから小さな包みを渡された。
「……これは?」
袋を開けると、中身はネイビーのひざ掛けだった。
「寒いし、身体を冷やしすぎるとよくないですからね♡」
「……ありがとうございます」
僕の身体を気遣ってくれる、その優しさが身に染みる。
別の日はというと、
「はい、今日のお弁当」
「え?」
「お昼に食べてくださいね♡体……あ、ううん。元気になってほしくて」
中身は、鶏むね肉とアボガドとブロッコリーのサラダ。牡蠣のバター炒め。
僕のために作ってくれたのが嬉しくて、写真を撮ってから完食した。
***
僕は感謝を込めて、彼女にLINEを送った。送信して数秒。彼女から、ハートのスタンプと共に返信が届いた。
『お弁当、ごちそうさまでした。すごく美味しかった!なんだか元気が出てくる気がするよ』
『本当!? よかった。……もっと、もっと元気になってくださいね♡』
ベッドに入りスマホを見ると、白石さんからメッセージが届いていた。
『今日もお疲れさま。忙しいだろうけど無理しすぎないでね』
彼女から大事にされているんだと思うと、胸がいっぱいになった。
***
夜、自宅のキッチンで彼から送られてきたLINEを見つめながら、私は深く頷いていた。
「……うん、陽一さんったらとっても順調♡」
カウンターは、教科書のように広げられた一冊の本が置かれている。ページには付箋がびっしりと貼られている。
表紙には、一際目立つ赤のフォントでこう書かれていた。
『男の元気を最大化する栄養学』
ページをめくる。
・牡蠣(亜鉛):男性のコンディションを支える、最重要の栄養素。
・鶏むね肉(タンパク質):筋肉を維持し、長時間の活動を支えるスタミナの源。
・ブロッコリー(ビタミン・ミネラル):身体の調子を整え、毎日の元気を支える。
そして、卵、アボカド、大豆製品……。恋人として一緒に過ごす時間を、もっと元気に楽しむための栄養知識が、熱量高めに紹介されていた。
***
数日前。有明・東京ビッグサイト。BL同人誌を求めて数万人の「業」が渦巻く戦場を後にした私は、戦友の桐原真帆と、駅近くのカフェにいた。
テーブルの上には、いつもなら山のように積み上がるはずの薄い本が、今日は数冊しかない。
「……ねぇ、ひより。今日どうしたの? 完売で買えなかったわけじゃないでしょ。いつもの半分、いや三分の一も買ってないじゃない」
真帆が不思議そうに、私のスカスカな戦利品袋を覗き込む。
「……あ、わかる? 実はね、今、リアルの方が充実してて」
「リアル? あんた、2次元こそが真実の愛だって言ってたわよね? 」
「そうなの。そうなんだけど……私、唯一無二の『推し』を見つけちゃったの! 」
私は、熱いココアを一口飲み、蕩けるような溜息を漏らした。
「この人なんだけどね」
スマホの画面を突き出す。オフィスでPCに向かう少し猫背な彼の背中。
「春川陽一さん。システム部のSEなの。この前の忘年会で、酔った勢いでBL好きぶちまけたのに彼だけは私を肯定してくれたの」
「……へぇ。そのおっさん……じゃなかった、春川さん、度胸あるわね」
「でしょ!? しかも、泥酔した私をちゃんと家まで送り届けてくれたの。……私、酔うと記憶なくすじゃない? 抱きついたり、変なこと言ったりしたかもしれないのに――何事もなかったの」
「……あんた、最初から飛ばしすぎじゃない!?」
私は身を乗り出し、声を潜めて続けた。
「彼、私をベッドに寝かせて、朝までソファで横になってただけ。そんな真面目男子、この令和の日本に実在すると思う!? もう、そのストイックすぎる禁欲美が尊すぎて一気に心臓ぶち抜かれたの……!」
「それで、自分から告白したってわけ?」
「そう! 付き合いませんか?って、彼に言ったの」
私はココアのカップをソーサーに置いた。カチリ、と音が響く。
「だから決めたの。彼を私だけのものにするって」
「ひより……それ、監禁予告に聞こえるんだけど」
「違うの。私はただ、あの人の奥に眠ってる男らしさを、一番近くで見たいだけ」
「……だいぶアウト寄りだけど、ギリ恋愛の範疇ね……」
「私、彼を『最高の獣』に育て上げる!」
「……ぶふっ!!」
真帆は飲んでいたカフェラテを盛大に吹き出した。
「ゴホッ、ゴホッ……! ちょっとあんた、何言ってんのよ!」
口元を拭いながらも、真帆はテーブルを叩いて笑った。
「あーはははは! もはや恋愛じゃなくて育成シミュレーションじゃない。いいわ、そこまで言う『素材』、もう一回じっくり見せて」
真帆はストレートのロングの黒髪を耳にかけ、縁なしのシャープな眼鏡を指先で直した。
画面をピンチアウトし、細部をじっくりと凝視する。同人誌の作画クオリティをチェックする時のように、その目は極めて冷徹で、一片の妥協も許さない鋭さに満ちていた。
「……気を悪くしたらごめん。ぶっちゃけ、ただの『地味なおっさん』じゃない?」
「真帆、わかってないなぁ!」
私は勢いよく身を乗り出した。
「陽一さんは一見、枯れ果てた草食系。でもね、その奥に眠る本能は、まだ誰にも荒らされてない純白のキャンバスなのよ!」
「あんた……顔が完全に悪役令嬢だよ。必死すぎて、ちょっと引くわ」
真帆は呆れながらも、ニヤリと不敵に笑った。
「……まぁ、あんたがそこまで言うなら、相当なポテンシャルがあるんでしょうね。確かに適切な『栄養』を与えれば、一気に化けるかもよ」
「わかってくれたのね、真帆……!」
オタク仲間としての解釈。そして「素材」への評価が一致した瞬間、私たちの間に謎の連帯感が生まれた。
「よし、それじゃあ行くわよ」
「どこへ?」
「決まってるでしょう?」
「その『純白のキャンバス』を染め上げるための材料を見に。製薬会社研究員の私が、最高の栄養計画を教えてあげるわ」
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