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会社に行くと、案の定だった。
「春川ー」
デスクに着くや否やシステム部の同僚の佐藤が、ニヤニヤしながら近づいてくる。
「昨日、白石さん送ってったんだろ?で、どうだった?」
「なにがですか?」
わざと視線を逸らし、モニターを見つめるが、
「うわ、逃げた。分かりやすっ」
と笑われた。
「で、付き合ってるのか?」
「えっと、その……」
言葉に詰まると、同僚は満足そうに頷き、ポンと僕の肩を叩いた。
「お前なかなかやるじゃん。堅物の春川が……。はい、ごちそうさまー」
違う。本当に、神に誓って手は出していない。
何もしていないからこそ、昨夜の感触を思い出して頬が火照るなんて、誰にも言えるはずがなかった。
***
昼休み、ポケットの中でスマホが震えた。
『春川さん、今日のお昼なに食べたか写真送って?』
写真?首をかしげながらも、社員食堂の定食を撮って送った。
焼き魚。鶏むね肉とブロッコリーのサラダ。ご飯と味噌汁。
即座に返信が来る。
『いいね!鶏むねとブロッコリー最高♡夜もタンパク質とミネラル意識してみてね〜』
健康に気を遣ってくれるんだな。鈍感な僕は、それくらいにしか思わなかった。
***
夜、自宅のキッチンで送られてきた写真を見つめながら、ひよりは深く頷いていた。
……うん、陽一さんったらとっても順調♡
カウンターは、教科書のように広げられた一冊の本が置かれている。
表紙には、一際目立つ赤のフォントでこう書かれていた。
『男の活力を最大化する栄養学』
ページをめくる。
・牡蠣(亜鉛)
・鶏むね肉(タンパク質)
・ブロッコリー(テストステロン向上)
そしてマカ、栄養ドリンク……夜の生活に役立つ知識が、熱量高めに紹介されていた。
理論上は、完璧。付き合ったばかりでいきなり飛ばしたら引かれる。
大事なのは、下準備だ。まずは、身体づくりから♡
「……ふふ」
いつ頃効果、出るのかな。
急にムラムラして、襲ってきたりしないかな。
……完全に方向性がズレていることに、本人は微塵も気づいていなかった。
***
数日後、
「春川さん、これ」
白石さんから小さな包みを渡された。
「……これは?」
袋を開けると、中身はネイビーのひざ掛けだった。
「寒いし、下半身冷やしすぎるのよくないからね♡」
「……ありがとうございます」
僕の身体を気遣ってくれる、その優しさが身に染みる。
別の日はというと、
「はい、今日のお弁当」
「え?」
「お昼に食べてね♡精……あ、ううん。元気になってほしくて」
中身は、鶏むね肉とアボガドとブロッコリーのサラダ。牡蠣のバター炒め。
僕のために作ってくれたのが嬉しくて、写真を撮ってから完食した。
***
その夜、ベッドに入りスマホを見ると、白石さんからメッセージが届いていた。
『今日もお疲れさま。忙しいだろうけど無理しすぎないでね』
彼女に大事にされているんだと思うと、胸がいっぱいになった。
彼女が一体どんな研究をしているかなんて、僕は知る由もなかった。
──獣は、牙を研ぎ、獲物が最高のコンディションに仕上がるのを待っていた。
***
その週の水曜日。
仕事を終え、駅へ向かう人混みの中で、僕はスマホを何度も見返していた。
『今週の土曜、空いてますか?』
送信ボタンを押すまでに三分以上かかった。
数分後。通知音と共に画面が光る。
『はい、空いてますよ』
画面の文字を見ただけで、スマホを握る手に力が入る。
『よかったら、映画でもどうかなと思って』
既読がつく。……あれ?返事が来ない。一分、二分。永遠のような時間が過ぎる。
映画って、無難すぎた?まずは食事だけのほうがよかった?そもそも、彼女は映画好きなのか?
考えすぎて、スマホを落としそうになった、その時。
『映画!いいですね。楽しみです』
よかった……。僕は決意した。完璧なデートにしよう。
彼女は僕より八歳も年下で、若くて綺麗で、きっと今まで色んな男性と素敵なデートをしてきたはずだ。だから、失敗は許されない。
僕は真剣に「付き合う前 映画デート 失敗しない ジャンル」
を検索した。
・話題に困らない
・気まずくならない
・恋愛要素は少なめ
そして辿り着いた一本。
《世界的に評価の高い、スタイリッシュなアクション映画》
凄腕の暗殺者による重厚なストーリー。これなら安全だ。
公開情報を三回確認し、レビューも読み、上映時間もチェックした。完璧だと思っていた。
──この選択が、死ぬほど気まずいデートの幕開けになるとも知らずに。