テラーノベル
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ゆっくりと目を開けたウィルは、ザザザという大きな音に頭を叩かれ目を覚ました。
暗さと重だるさで頭を起こす気にならなかったものの、次第に戻る記憶に尻を叩かれ、全てを思い出すと同時に飛び起きた。
音の正体は頭上の岩盤を叩く水の音だった。
谷底よりさらに底の窪地で寝かされていたのか、ウィルが横になっていた場所には、枕代わりの布のようなものが丁寧に敷かれていた。
「ここは? そうだ、僕は犬男に押されて谷底へ……。しかしどうやらまだ生きているようだ。一体誰が」
暗闇で効かない目を諦め凝視を使ったウィルは、薄暗い窪地を注意深く見回した。
滝壺のダンジョン内部であることは確かで、近くにモンスターがうろついているのがわかった。
しかしウィルが寝ている周辺には小さな結界が張られており、何者かの手によって守られていたことを知った。
「ああ、良かった。気がついたんだ」
呆然としたウィルに何者かが声を掛けた。
すぐ真上方向へ視線を移すと、中腰でウィルを見下ろす者の姿があった。
「え、ああ。どこの誰かは存じ上げないが、助けていただいたようで。ありが、と、……う?」
首の角度を変え、身体を捩り正面へ回り込み、改めて下から覗き込んだウィルは、思わず絶句した。
小麦色の柔肌。
艶めかしいほどの肌の露出。
無防備すぎるほどに小さな身を隠す布切れ。
バカンスでも楽しむような水着スタイルのラフな装備に身を包んだ誰かは、天真爛漫に、一つの気構えもなくウィルに小さく手を振った。
「なんという美し、いや、ハレンチ、いや、素晴らしッ??!」
「どうやら大丈夫そうだね。叩いても起きないし、死んでるかと思ったよ」
薄くひらひらした腰元では、パレオのような布が揺れていた。
イヤらしい目で見ていたウィルの手を取った女は、握手した腕をブンブン振りながら自己紹介をした。
「私はエミーネ、ここでモンスターの生態調査をしてる学者だよ。これでも一応《メドリードル王立魔術院》から派遣されてる偉い人だから、尊敬してくれてもいいよん♪」
フフフと不敵に笑ったエミーネは、もう一人と今度は背後に隠していた何かをウィルの前に差し出した。
ギチュギチュと嫌な音を奏でたその生物は、数えきれない無数の脚を蠢かせながら、不気味なナリを見せびらかし「ウゴゲェ」と鳴いた。
「こっちは可愛い可愛い介助モンスターであられるウーゲルくん(※甲虫百足)よ。可愛いすぎるけど、絶対ゆずってあげないからね」
鼻先五センチでグネグネと動き回る脚の動きにヒィと仰け反ったウィルは、少しずつ距離をとりながら、僕はウィルだよと名乗った。
「それで、ウィルはどうしてここへ?」
「どうしてって。た、滝壺に落っこちて、気が付いたら……」
「落っこちたぁ?! ハハ、ウィルは間抜けだね。だけど運は良いみたい。何せまだ生きてるんだから」
含みのある言い方をするエミーネの言葉に嫌な予感を覚え、恐る恐るウィルは聞いた。
「ええと、それはどういう意味かな?」
歯を見せ微笑んだエミーネは、上を指さしながら、岩を叩く水の音を聞くようにジェスチャーをした。言われるまま耳を澄ませたウィルは、それだけでは意味がわからず、もう一度同じ質問をした。
「鈍いねぇ。上から滝を見たんでしょ。だとしたらおかしいと思わない。あれだけ大きな滝なのに、下でこれだけの音しかしないと思う?」
ハッとしたウィルは、結界から首だけ出して外の世界を覗き見た。
袖に溜まっている微かな光に照らされた泉にはジョロジョロと水が流れ込んでいたが、ほとんどは岩肌に分散して跳ね、霧状に広がり空気に溶け込むようになくなっていた。
「ええと、……ここは?」
「滝の底だよ」
「滝の……。あの爆流の?」
「そ。地下1万2000メートル下の底」
「い、いちまッ、ハァ?!」
地の底と言って過言ない距離を想像し、ウィルは頭上高くを見つめた。
言われてみれば空はどこにも見当たらず、茶色の岩盤と微かな光だけがウィルの視界を埋め尽くしていた。
「水のほとんどは辿り着く前に吸収されたり霧になっちゃうから、底の底まで流れ込んでくる量はこれっぽっちしかないの。光もほとんど届かないから、底周辺は一日中薄暗いままだね。あ、ただ底とは言っても、そこの泉を潜ればまだ先はあるんだけど、私は陸の生態調査専門だからさ。私的にはここが底ってわけ」
ズドンと抜けた円柱状の穴の底をフィールドワークの拠点として活動していると話したエミーネは、緊張感なく身の上話を語りながら、ウーゲルの甲羅に付いた岩藻を摘んで吹き飛ばした。
「しかし僕は運が良かった。まさかこんな穴底で、エミーネさんのような聡明な女性に巡り会えるなんて」
「ハハ、ありがと。でも運が良いかかは微妙だと思うよ」
歯切れ悪く首を傾けたエミーネは、ウィルの格好を隅まで見てから、言いにくそうに言った。
「ところでさ、……ウィルは冒険者?」
「ええ、こう見えてなかなか腕利きの、ですよ」
鼻を高くして胸を張りながらウィルが言った。しかしエミーネは、申し訳無さそうに言葉を続けた。
「ええと、それでウィルの冒険者ランクは?」
「ああ、ランクかい? ランクはええと、……Fだね。だけどあれだよ、これは僕の実力とは別で、力の半分も出していないというか」
「だとしたら本来はDかEくらいってこと?」
「え゛?! いやまぁ……、そうだね。それくらいの実力はあるかな、ハハ」
笑っていない目をして頷いたエミーネは、抱いていたウーゲルに何か呟いてから、今度は耳元にウーゲルを寄せた。
「だけどそんなこと」と気味悪い甲虫百足との会話を終えたエミーネは、百足に背を押される形で、意を決し最後の言葉を絞り出すように言った。
「――じゃうかも」
「うん、なんですって?」
「ええと、だからさ」
「はっきり言ってくださって構いませんよ。僕はこうしてドンと――」
ウィルが胸を叩いた時だった。
ペコリと頭を下げながら言ったエミーネの言葉は、あまりにも非情なものだった。
「その程度だと無理かも。多分だけど、ここで死んじゃうかなって」
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