またピアスの話が止まるし初っ端から長いし……、ごめんなさい。
もっきー視点。
「今日元貴の家行ってもいい?」
スタジオでのレコーディングを終え、細かな編集なんかは残っているけれどジャケット写真も撮り終わっているし、無事に新曲をリリースできそうだと安堵していると、片付けをしながら涼ちゃんが言った。
こてんと首を傾げる恋人の可愛らしい仕種に、これで三十路過ぎてるって奇跡だよな、と頭の中で思いながら快諾する。
多忙ながらも刺激的な仕事の数々、癒しをくれる可愛い恋人によって満たされる日々。がむしゃらに生きてきて、やっと手に入れた幸福。
満たされても満たされきれないし、人はどこまでも貪欲で渇きを覚えるから俺の音楽が潰えることはないけど、それでも公私共に豊かな毎日を送れている。
「いいよ。明日は俺も涼ちゃんも午後からだし……、泊まってくでしょ?」
周囲に若井以外誰もいないことを確認し、仮に誰かいたとしてもいつもの戯れ合いだと思ってもらえる程度に涼ちゃんに抱きつく。涼ちゃんは俺を受け止めながら少しだけ考えて、そうだね、元貴が良ければ、と微笑んだ。その笑顔が可愛くてぎゅう、としがみつく。
いいに決まっている。最近は殊に忙しかったから、久々にゆっくりいちゃいちゃしたい。
夜ご飯を一緒に作って、一緒にお風呂入って、ベッドでくっついて寝たい。
少し顔を上げて、お酒も飲んじゃう? と悪戯っぽく笑い掛けると、飲んだら元貴すぐ寝ちゃいそう、と涼ちゃんは寂しそうに眉を下げた。え、寝ないで欲しいってこと? それはつまりそういうこと?
思わずにやけそうになって、涼ちゃんの首元に顔を押し付けてついでににおいを嗅ぐ。涼ちゃんに似合う香水のにおいがして、ふわっと心があたたかくなる。くすぐったいよ、と笑いながら俺の頭を優しく撫でてくれる。
「……俺も朝からじゃなければ泊まりたかった」
俺たちの戯れ……正しくいちゃつきを見慣れている若井が残念そうに言う。俺たちの関係を知ったときには祝福をし、今でも気を遣ってはくれるけれど変わらない態度はありがたくもくすぐったい。
若井の拗ねたような表情に、ふふ、と涼ちゃんがやさしく笑う。その可愛い笑顔は俺にだけ向けてくれる? まぁ若井だから許すけど。
「恋人の甘い夜を邪魔しないでもらえますぅ?」
「邪魔はしないけどさぁ……最近みんなで遊べてないじゃん」
仕事では毎日顔を合わせるけど、それはやっぱり“仕事”であって、ラジオで楽しくおしゃべりをしていても、プライベートではない。楽しいけど気を抜けないというか、当たり前だけど“Mrs.の三人”になる。
「まぁ……どっかで時間作ろ。明日はしっかり働いてくださーい」
「働きますけどぉ……」
拗ねたまましょんぼりとする若井を見て、するっと俺の腕の中から抜け出した涼ちゃんが、椅子に座る若井をやさしく抱き締めた。ぅおい! と叫びたくなったけれど、拗ねている若井が可哀想だし今回だけだぞと目を瞑ってやる。若井も大切な友人だし……いやまじで今回だけだからな。
抱き締めたままなにも言わない涼ちゃんに微かに違和感を覚えるが、なにも言わずに包み込んでくれるのは彼のやさしさの真髄でもあるから、くすぶる嫉妬を飲み込んで黙って眺める。
「……頑張れそう?」
「ふは! うん、ありがと」
ちら、と目を上げて笑う涼ちゃんに、若井も力を抜いて噴き出した。ぎゅ、と一度強く若井が涼ちゃんを抱き締め返して、にっこりと笑う。
涼ちゃんは安心したように若井の頭を撫でて、帰ろっか、と笑った。
三人並んで車へと向かい、マネージャーに送ってもらう。最初に若井の家に寄って若井と別れ、二人揃って俺の家で降ろしてもらった。迎えの時間を確認し、お疲れ様でした、と車を見送り、手を繋いだまま俺の家に帰る。
「何か食べたいものある?」
「んー……元貴のトマトパスタ食べたい」
「またそれぇ? まぁいいけど」
簡単にできるし、美味しいと笑ってくれるのは嬉しいし。
並んで手洗いとうがいをして、キッチンに立つ。涼ちゃんも料理ができないわけではないから、サラダにするきゅうりを切ったり、レタスを千切ったりしてもらう。
深めの鍋で麺をふたり分茹でて、タイマーをセットする。その間にフライパンでオリーブオイルを敷いてニンニクを炒め、香りが出てきたらベーコンを入れて軽く炒めていく。色がついたらホールトマト缶をぶち込んで潰しながら煮込み、少し塩を入れて味を整える。
「涼ちゃん、パスタ湯切りしてー」
「はーい」
鍋の火を止め、ザルをシンクにセットする。
「あっつ……!」
フライパンの様子を見ていた俺の耳に、ガシャン! っていう大きな音と、涼ちゃんの小さな叫びが聞こえた。慌てて横を見ると鍋がシンクに落ち、手を引っ込めた涼ちゃんが眉を寄せていた。
「ちょ、なにしてんの!」
「ごめ、麺が……」
「そんなんいいから!」
涼ちゃんの手を掴み、急いで流水で手を冷やす。鍋からこぼれた麺が流れていくが、そんなのどうでもいい。冷やしててよ、と伝えて、ぐつぐつと煮立つフライパンの火を消す。
「ごめんね……」
「気にしなくていいよ」
水に浸って食べられそうにない麺を片付けながら涼ちゃんに微笑みかける。鍋に指先が触れたのか、湯気が熱かったのか、なんにせよ大きな火傷ではなくて良かった。
トマトソースの方はできているわけだからドリアにしようと、冷凍庫に保存していたご飯を取り出して電子レンジにセットする。解凍されたご飯を耐熱皿に移して、フライパンのソースを混ぜ込む。チーズを乗せて今度はオーブンに切り替えてセットする。
「元貴のトマトパスタ食べたかったのに」
「また作ってあげるって」
「……うん」
こんな簡単なもので良ければ、明日にでも作ってあげる……あ、無理だ。俺、明日移動だったわ。でもそんな機会、これから先いくらでもあるから。
もう大丈夫、と水を止めた涼ちゃんの手を、見せて、とそっと掴む。水でひやっとしていたが、赤くなっているところはなかった。安堵して、よかった、と俺の両手で包み込んで唇を寄せた。
びっくりしたのか照れたのか、赤く染まった涼ちゃんの頬にもキスをする。
タイミングよくオーブンから完成を知らせる音が鳴ったので、涼ちゃんにサラダをリビングに持っていってもらう。また火傷されたくないからドリアは俺が持っていきます。
机の上の木製の鍋敷きの上にドリアを置くと、涼ちゃんの顔がぱっと華やいだ。
その笑顔だけで俺はしあわせになれる。
「美味しそう!」
「でしょ? 大森シェフのなんちゃってトマトドリアです」
すごいすごいとはしゃぐ涼ちゃんが可愛くて仕方がない。冷める前に食べよ、とお皿に取り分けてあげると、いたたぎます、と手を合わせて口に運んだ。
ぱぁっと明るくなる顔に、本当に素直だな、と笑みがこぼれる。俺も裏表はなくフラットに人に接するけれど、それでも頭のどこかで自分をどう演出するか、っていうのを常に考えている。“涼ちゃん”を演じる涼ちゃんではなく、素の藤澤涼架はみんなが思うよりももっとずっと感情が豊かだ。
「すっごい美味しい! 大森シェフ天才!」
「はいはい、あぁもうこぼしてるよ」
喜んで食べてくれるのは嬉しいけれど、スプーンからご飯がぽろぽろ落ちている。口の端についていた米粒を取ってやると、恥ずかしそうに、ごめんと涼ちゃんは照れ笑いで謝った。
公の場なら「しっかりしてよ最年長」と言うけれど、ここはプライベート空間なのでただ恋人を甘やかすだけだ。
サラダはレタスをちぎってきゅうりを乗せ、オリーブオイルと塩を振っただけの簡単な味付けだったけど、煮立ったせいでちょっと濃くなってしまったドリアが中和されてちょうど良かった。
食べ終わると涼ちゃんが洗い物は任せて、と言ってくれたけど、指の怪我が心配だったから俺がやるからお風呂沸かしてとお願いをする。過保護だなぁと言いながらも嬉しそうな涼ちゃんが、足取り軽くバスルームに向かった。
お風呂が沸くまで俺は明日の仕事の確認をして、涼ちゃんは俺の横で俺に寄りかかりながら眠そうにぼんやりとしていた。
見てください、いや、やっぱり見なくていいです。ぱやぱやの涼ちゃんも可愛いんですよ。目がとろんとしてね、ふんわりした雰囲気がさらにやわらかくなんの。
「眠い?」
「んー……眠い、けど」
「ん?」
「寝るのもったいないから、寝ない」
はー……かわい。たまらないでしょ、このひと。
スマホを置いて涼ちゃんの顎を掴んでちゅ、とキスをする。目を閉じてキスを受け入れた涼ちゃんの口の中に舌を差し込み、並びのいい歯列をなぞって舌を探る。
「ん……」
そっと漏れた涼ちゃんの吐息に、肌がざわついた。
思えば数週間ぶりのゆっくりとした触れ合いだ。明日も仕事はあるけれど、こんなにもまったりしたのは本当に久しぶりで、すぐに身体に熱が籠るのを感じる。
このまま押し倒したい、でも、初夏と呼ぶには随分と気温が高かったから、涼しいスタジオにいたといえど汗はかいているからさっぱりしたい。
「……お風呂入っちゃおう」
「ふ、ふふ。我慢できなくなっちゃう?」
「そういうこと!」
涼ちゃんの手を引いてバスルームへ移動する。豪快に脱ぎ捨てお湯をかけて湯船に浸かる。先に頭を洗うという涼ちゃんはシャワーコックを捻ってお湯を出した。
丁寧に髪を濡らしシャンプーを馴染ませ泡立ててゆく涼ちゃんをバスタブの縁に腕と顎を乗せて眺める。
「あれ、涼ちゃん、そこ青くなってる」
「え、どこ?」
「肘のちょっと上くらい。ぶつけたの?」
「えーどうだろ?」
青く変色したところをつついてみるが、痛みはさほどないらしい。涼ちゃんは首を傾けて思い出すような仕種をするけれど、思い当たらないのだろう。気づいたら怪我をしていた、というのはよくある話だが、気をつけてね、と心配しておく。
髪も身体も洗い終わった涼ちゃんと場所を交代し、今度は俺が頭を洗う。じっと見つめてくる涼ちゃんの視線に気付き、ちら、と視線を送ってニヤリと笑って言った。
「えっち」
カッと涼ちゃんの顔が真っ赤になった。
「なっ、元貴も散々見たでしょ!」
「はははッ、うそうそ、じっくり見ていいよ」
「見ません! もう!」
ふん、とそっぽを向いた涼ちゃんは首まで真っ赤になっていた。のぼせちゃう前に湯船から上がり、てきとうに身体を拭いてバスローブを羽織る。
スキンケアとドライヤーをして、歯磨きも済ませて、腕を組んで途中のキッチンで水分補給をして寝室へと向かった。
ベッドにそっと押し倒し、涼ちゃんの身体にぴったりくっつくように身体を乗せた。とくとくと響く涼ちゃんの心音に包まれて、一日の疲れや働かせすぎた脳が安らいでいくのを感じる。
「あー……しあわせ」
ぽつりと呟くと、涼ちゃんがふふ、と笑った。
「ほんとに?」
「ほんとに。めっちゃしあわせ、ずっとこうしてたい」
曲を作って、俺の中にある渇望や絶望、希望を歌うのはもはやひとつの使命のように思っているけれど、愛おしい人と共に在れる幸福は、幸運であり奇跡だ。俺だって人間なんだから、それを噛み締めて身を委ねたくなる。
「俺も、しあわせ」
とろけるように目を細めて笑って言葉を紡いだ涼ちゃんの唇を優しく塞いだ。枕元のリモコンで照明を少し落とし、あとは欲望のままに熱を交わし合った。
情事後の、しっとりとした熱の余韻を残した空気が好きだ。どろどろに溶け合った後、形を取り戻そうとして抱き締め合うのが好きだ。
とろりとした表情の涼ちゃんの、額や頬や目元に触れるだけのキスを繰り返しながら、明日の朝何食べたい? と問い掛ける。
睡魔と闘いながら、元貴は? と訊き返され、うーん、と首を捻る。
「ふわふわのパンケーキ食べたい。ちゃんとしたコーヒーも淹れてさ」
「……ふふ、いいね」
ふにゃ、と笑った涼ちゃんが、ぎゅ、と俺にしがみついて、おやすみ、大好き、とささめくような声で言った。
「俺も、愛してる」
きっとこの声は聞こえていないだろう、それでもいい。俺が言いたいだけだから。
暫く涼ちゃんの寝顔を見つめていたが、涼ちゃんのぬくもりに包まれているうちに睡魔がやってきて、ささやかでかけがえのない幸福を抱きながら、程なくして眠りについた。
そんな俺を叩き起こしたのは、涼ちゃんの優しい声じゃなくて無機質なスマホのバイブ音と振動だった。
涼ちゃんが起きちゃうだろ、と苛つきながら目を開けると、腕の中にいるはずの涼ちゃんがいなかった。
珍しく先に起きたのか、と思いながらスマホに手を伸ばし、若井という文字を確認してから画面をタップする。
『涼ちゃんそこにいる!?』
挨拶をすっ飛ばして、なぜか焦っている若井の大声に苛立ちが募る。今日も仕事だけど、若井は朝イチで俺と涼ちゃんは午後から合流するはずだ。だから朝ごはんの話をしたんだし、昨日のハグを許してやったんだろ。
「朝からなに……?」
『いいから! いるのかって聞いてんの!』
「いるんじゃない?」
『ほんとに!? いるんだな!?』
尋常じゃない様子になにかあったのだろうとは思うけど、なんで涼ちゃんの所在をお前が気にするわけ? しかもそんなに必死になって。
「なんで?」
なんでそんなことを訊くのかとぶっきらぼうに返すと、若井が自分を落ち着けるように深呼吸をする音が聞こえた。
『……チーフが涼ちゃんが今日付で事務所辞めたって』
「………………は?」
『元貴と一緒にいるなら確認して!』
理解したくない言葉が聞こえてきて、力が抜けて手からスマホが滑り落ちた。
何言ってんの? そんなわけないじゃん。
『俺涼ちゃん家向かってるから、おい、元貴!?』
聞いてんの!?
ベッドに落としたスマホから若井の叫び声が聞こえる。弾かれたようにベッドを降り、転びそうになりながらリビングへと走った。
僅か数十歩にも満たない距離なのに、長距離を全力疾走したかのように心臓がバクバクと鳴り、呼吸が荒くなって全身を冷や汗が伝う。
「涼ちゃん!!」
リビングのドアを開けて叫ぶ。
「え、どうしたの元貴。こわい夢でも見た?」
頭の中ではリアルな涼ちゃんがそう言って笑い掛けてくれるのに。
現実では、そう言ってきょとんとする恋人の姿はどこにもなく。
「涼ちゃん! 涼ちゃん!?」
バスルーム、トイレ、俺の作業部屋、そのすべてのドアを開けて確認するけれど、涼ちゃんの姿はどこにもなかった。
なんで? どうして? だって朝ごはんはふわふわのパンケーキを食べるって、コーヒーをドリップして淹れて、それで今日も一緒に仕事に行くって。
しあわせだって、そう言ったじゃん。
静かな部屋の中で何かが崩れていく幻聴が聴こえる。
ふらふらとリビングに戻ると、机の上に昨日はなかったものの存在を認めた。
俺の家の合鍵を重しにして置かれた白い紙。
『ごめんね』
無感情の白い紙には、涼ちゃんの字でただそれだけが書かれていた。
続。
ほのぼのを書いているとどうしても不穏な話を書きたくなる病に罹患しておりまして……。
誰かの好みに刺さるとうれしいです。
コメント
19件
「かくれんぼ」だから涼ちゃんが居なくなるのかな?って思ってたら本当に居なくなっちゃった…
ほのぼの→不穏な雰囲気なシチュが大好きなんです!!まじで最高です本当にありがとうございます…
大好きです❤️💛 ありがとうございます✨✨