コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
決勝の舞台は、これまでのどのステージよりも輝いていた。
観客席は満員で、ライトがクロエの顔を柔らかく照らす。
だが、クロエの体は限界に近づいていた。
息は浅く、咳が止まらない。医師からは「もって2日」と告げられていた。
楽屋でクロエはハルに小さく微笑む。
「決勝、ひとりでも出て……あたしの歌を届けて」
「そんな……」
「お願い。あたしはステージで生きるから」
ハルは言葉を失う。涙が頬を伝う。
だが、クロエの意思を前にして、ただ頷くことしかできなかった。
「……わかった。あんたの音を、世界に届ける」
クロエは深呼吸をして、ステージへ向かう。
ギターをハルに託し、最後の力を込めた笑みを浮かべる。
「これを持って……私たちの音を鳴らして」
ハルはギターを抱きしめ、目を閉じて心を落ち着かせた。
観客の熱気と歓声が、胸に突き刺さる。
ステージ上、ハルはギターを鳴らし始めた。
クロエの遺した未発表曲『Butterfly’s End』のイントロが会場を包む。
♪ ひとひらの羽音が 海の匂いを運んで
あなたの声を思い出すたび
この胸に、青い蝶が舞う ♪
観客は息を呑む。
曲の途中で、ハルはクロエの姿を思い浮かべる。
あの静かな笑顔、夜の橋、涙を流した日々……
胸が締め付けられるが、指はギターのコードを正確に押さえる。
観客席からすすり泣く声が聞こえる。
涙をぬぐう手、声を震わせる人、拍手と歓声が会場を満たす。
ハルは心の中でクロエに誓う。
「クロエ、俺が代わりに歌う。あんたの音楽は、絶対に消させない」
曲の最後の一音が静かに消えると、会場は大歓声に包まれた。
その瞬間、観客の涙と笑顔が、クロエの魂に触れるようだった。
青い蝶のタトゥーを思い浮かべ、ハルは胸に熱いものを感じる。
クロエはもういないが、音楽の中で確かに生きている。
葬儀の日。
マッド、バンド仲間、誘拐事件で救った少女――誰もがクロエを悼むために集まった。
ハルは棺の前に立ち、ギターを抱える。
涙をこらえ、深く息を吸い、静かに呟く。
「クロエ……届いたよ」
突然、窓から一匹の青い蝶が舞い降り、棺の前でひらりと揺れる。
風に乗って、棺の周りを舞う青い蝶は、まるでクロエ自身がそこにいるかのようだった。
マッドは静かに手を合わせ、バンド仲間も目を潤ませる。
誘拐事件で救った少女は、少し震えながらも「ありがとう……」とつぶやいた。
ハルはギターを弾き始めた。
曲は静かで、でも魂の奥まで届く音色。
棺の前で、青い蝶が舞う中、音楽はクロエの存在を確かに伝えた。
数年後。
ハルは音楽活動を続けながら、教育の道に進んでいた。
ある日、あの少女と再会する。
凛とした大人の女性になった彼女と静かに寄り添い、やがて結婚した。
そして女の子が生まれた。
「君の名前は……クロエ」
「君の名前は、あの人からもらったんだ。世界で一番強くて優しい人から」
夕暮れ、庭で娘が少し音程を外しながらクロエの歌を口ずさむ。
ハルはギターを手に取り、そっと伴奏を添えた。
空を見上げると、一匹の青い蝶が風に乗って舞っていた。
クロエはもういない。
でも、音の中に、生の中に、確かに生きている。
ハルは目を閉じ、微笑む。
「ありがとう、クロエ。俺たちは、ずっと一緒だ」