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雪斗と別れマンションに戻った。
今日も湊の姿は無い……もう帰って来ないつもりなのだろうか。
彼の部屋の状態が気になるけれど、今は入る気になれなかった。
入った途端にタイミング悪く湊が帰って来て、またこの前のように乱暴に部屋から追い出されたらと考えると怖かった。
真っ直ぐ自分の部屋に行き、だいたいまとめて有った荷物の確認をする。
宅急便で送る分がダンボール3箱と旅行鞄が一つ。
引っ越し先も適当に決めた部屋だし、まるで夜逃げみたいだ。
でも暗い気持ちになるのはやめよう。
この部屋から出たら、新しい生活が始まる。
まだ消える事の無い痛みや後悔、未練、執着。持て余している感情からきっと解放されるはずだから。
部屋とリビングを点検して、気になる所を片付けて準備は完了した。
湊と暮らした思い出いっぱいの部屋……住みやすくて好きだった。
でも、もう過去に縋ったりしない。湊との日々は忘れてやり直そう。
憂鬱な恋は、もうしたくないから。
マンションを出て駅に向かい電車に乗った。
新しい部屋は五駅離れているから、偶然、湊や彼女に会ってしまう心配はない。
空いていた席に座り、メッセージを送った。
一通は湊に対する要件だ。
来月で部屋を解約し、私は荷物の整理の時まで帰らないこと
それから、簡単な別れの言葉。
もう一通は雪斗へ。
『今、電車。あと三十分ちょっとで新しい部屋に着くから』
雪斗からの返信は、驚く位、直ぐに来た。
『駅まで迎えに行くから待ってろよ』
――もしかして、私の連絡待っていてくれたのかな。
まだ慣れない駅で下りて改札に向かう。
「美月」
雪斗はもう着いていて、私を直ぐに見つけてくれた。
「荷物それだけか? 夜逃げみたいだな」
雪斗は呆れた様に笑いながら、私の手から荷物を引き取ってくれた。
「私も同じこと、思ってた」
雪斗が来てくれて良かった。
少し感じていた寂しさや切なさがいつの間にか消えて行く。
「結構、狭いな」
新しい部屋のドアをドキドキしながら開けた瞬間、雪斗が言った。
確かに玄関から廊下の先の部屋のベランダまで、部屋の殆どが見通せちゃう程の広さしか無いけれど、一人で住むんだし問題ない。
「部屋自体は綺麗だよ」
白い壁には汚れも無く、不快なところは見当たらない。
小さなロフトも付いてるし、思ったよりはゆったりとした空間だった。
「私にはちょうどいいよ」
一通り部屋を見回してから言うと、雪斗は少し不満そうな顔をした。
「けど、あれじゃちょっと狭いだろ?」
「あれ?」
雪斗の視線を追うと、そこには壁際に置かれたシングルベッドが。
「二人で寝るには狭いだろ? それに激しい動きしたら落ちそうだし」
雪斗は本気で心配しているのか真顔で言うけれど、泊まる気なの?
それに激しい動きって……何をする気なのか聞くのが怖い。
「やっぱり、狭いよな……」
雪斗はぶつぶつ言いながら、私を振り返った。
「今日は俺の部屋に泊まれよ」
「えっ?!」
な、何でそんな話に?
「問題ないだろ? この部屋の片付けなんて二人でやったら直ぐに終わりそうだし
「そうだけど……」
「今日は離さない。お前、一人になったらまた余計な事考えて寂しくなって泣くだろうしな」
「そ、そんなこと……」
「早く用意しろよ。こっちはやっておくから」
雪斗はそう言うと、バスルームに行きテキパキと掃除を始める。
その手際は相変わらず完璧で、私は雪斗に流される様に、荷物の整理を始めた。
雪斗の活躍のおかげで、部屋はあっという間に綺麗になった。
戸締まりをして、予定通り雪斗の家に向かう。
雪斗の住まいは私のアパートから、三駅先に有る真新しい高層マンションの十五階だった。
玄関の前に立つとなんだかドキドキした。
この中に、会社の人が知らない雪斗のプライベートが溢れてると思うと……緊張しながら鍵を開けた雪斗に促されて中い入る。
私のアパートとは違い長い廊下を通り、リビングへの扉を開ける。
その瞬間、私はその場で足を止めた。
「どうした?」
「この部屋……」
完璧な男の藤原雪斗が暮らす高級でお洒落なマンション。
外観から想像した通り、広々としたリビングのガラス窓からは、都会の景色が広がっていてとても綺麗だ。
普段の雪斗のイメージ通りの、スタイリッシュでハイクラスな生活に相応しい部屋。
でも実際の雪斗の部屋は私の想像とは違っている……違い過ぎる。
テーブルの上にはビールの缶とあたりめの袋。
脱ぎ捨てられた服や、適当に積まれた新聞。
めちゃくちゃ生活感に溢れる部屋だった。
「おい、どうしたんだよ?」
雪斗は怪訝な顔で私を見下ろす。
「ごめん、ちょっと意外だったから」
「意外?」
雪斗は更に不思議顔になる。
「……あたりめ好きなの?」
「ああ、ビールには一番合うよな」
「家ではビールなの?」
「そうだけど」
良く見るとキッチンのテーブルだけでななくリビングのローテーブルにもあたりめとビールが……一体どれだけ好きなんだろう。
「……嫌いなのか?」
私の視線を追った雪斗が少し考えるようにして言う。
「そうじゃないけど雪斗のイメージじゃ無かったから」
「は? 何だよそれ」
「だって雪斗ってワインとかウイスキーとか、グラスを傾けちゃうようなイメージだったし。おつまみももっとお洒落な感じの……」
少なくとも缶ビールに袋のままのあたりめは無い。
「それで経済誌とか読んでそうなイメージだったけど」
「何だよそのイメージ」
雪斗は呆れたように言う。
「でも会社でのイメージそんな感じだよ。それなのに実は真面目な顔して怪しいサイト閲覧してました……だったらビックリする」
「普通に見るだろ? そんなことくらいで驚くなよ」
……見てるの?
雪斗は私の腕を引き、ソファーに座らせた。
さすがに気になるのか、ビールとあたりめを素早い動きで撤去して行く。
「勝手に変なイメージ持つなよ」
ブツブツ言ってるけど、変なイメージでは無い気が……むしろ実生活よりお洒落なイメージだったんだから。
「ワインに経済誌って、そんな男が実際居る訳ないだろ?」
「……居るかもしれないでしょ」
知り合ったことは無いけれど。
「お前変な妄想して……意外にも白馬の王子を待ってるタイプか?」
雪斗が凄く嫌そうな顔で言う。
「まさか、そんな夢見がちじゃない」
ただ、普段の雪斗のイメージと周りの噂からそう思っただけで、私はそんな男が好きって訳じゃないし。
「ふーん……けど、そうだな。今日は美月のリクエスト通り、王子っぽく抱いてやるよ」
「な、何それ?!」
そんなのリクエストしてないし!
しかも王子っぽくって何?
と言うより、何で直ぐにそういう話に持っていくのか。
呆れてしまうけれど、缶ビールとあたりめとエロサイトが好きな普通の男、雪斗はそれでもやる事は素早かった。
テキパキと部屋を片付け、気付けばスッキリとしたシンプルな部屋に変わっていた。
「いろいろ有って疲れてるだろ? 今日はゆっくりしてろよ」
雪斗は温かいコーヒーまで用意してくれていて、私に手渡してくれた。
「ありがとう」
コーヒーにはミルクと砂糖がたっぷり入れて有り、私好みの味だった。
雪斗は自分の分のブラックコーヒーをテーブルに置くと、私の直ぐ隣に座って来た。
それからいろいろな話をした。
好きな映画の話とか、学生の頃の話……嫌な顧客の愚痴とか。
雪斗とこんなに話したのは初めてかもしれない。
それはとても楽しい時間であっという間に過ぎ去り、思いがけない形で終わりを告げた。
「……んんっ?!」
雪斗の腕が突然伸びて来て、抱きしめられ、キスされた。
それは止まることなく、どんどん深いキスに変わって行く。
な、何で急に? そう思いながらも抵抗出来ない。
頭の中がボンヤリして力が抜けてしまう。
しばらくすると身体がフワリと浮いた。
「ゆ、雪斗?」
慌てる私に、雪斗はニヤリと笑って言った。
「今日は王子だからな、お姫様だっこ。好きだろ?」
き、嫌いじゃないけど。
雪斗はスタスタ歩き、寝室のドアを開け、私を大きなベッドの上に置き、そのまま直ぐに覆い被さって来る。
「これのどこが王子なの?!」
こんな強引な王子様なんて聞いたこと無いですけど?
それにさっきゆっくり休めって言ってたのに……これじゃあ、とても休めない。
でも私は結局逆らえなくて……気が付けば雪斗の背中に腕を回してしまう。