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◆第十一章【呪ってしまう】
角仙鬼《かくせんき》は半年に一度、村にやってくる。
作物と家畜と、妙齢の娘一人をもらうためにやってくる。
村を鬼から救うため、何人もの少女が供物として捧げられた。
それを幼い頃から見て育った。
次は私の番であると、両親はいった。
順番なので仕方がないと思っていた。
しかしある日、黒瀬家の者が「鬼を殺せる毒を作った」と声を上げた。
「これが鬼の体内に入れば、鬼は必ず死ぬ。その死体を食った鬼も死ぬ。鬼はきっと全滅するはずだ」
鬼は死んだ仲間を食べる習性がある。それを村人たちは知っていた。
この毒があれば、鬼を根絶やしにできる。その希望に村人たちは歓喜した。
「この毒は、農作物や家畜に仕込むことはできない。しかし人間にとっては、遅効性の毒であることは確認した。先月生まれたうちの子は双子だった。口減らしのために一人は間引くことが決まっていたから、この毒を飲ませてみたが、赤子は一ヶ月後に死んだ」
毒を宿した赤子が一ヶ月も生きたなら、十六才なら半年以上は生きられるはずだ。
黒瀬家の者はそういった。
村人はみな、次に差し出される娘が私であることを知っていた。彼らは期待するような目で、私を見つめていた。
私が犠牲になることに、なんのためらいもない様子だった。
毒を作った黒瀬家の者が、すでに自分の子どもを犠牲にした。
元々鬼に差し出されることが確定していた私が、その毒を飲むことを拒めるはずもなかった。
そして鬼がやってくる日の朝、私は村人に見守られながら、その毒を飲み干した。
村人は希望に満ちた顔をしていた。
その顔を今も忘れられない。
◇
鬼に攫われて驚いたのは、鬼は村人以上に食べるものに苦しんでいたことだった。さらにはあれほど村人が恐れていた鬼たちは、七体しかいなかった。
その鬼たちは一家族らしく、奪った作物や家畜たちを譲り合って食べていた。
一番若いと思われる鬼は、私の世話役として毎日新鮮な水を運んでくれた。
そしてその鬼は、毎晩私の体を愛でた。
毒に侵されたこの体を愛でた。
何人もの少女が供物として鬼に捧げられたが、少女たちのその後を知る者はいない。
もしかしたら鬼たちは、妙齢の少女を食うためでなく、種族を残すために欲していたのかも知れない。しかし身ごもったとしても、この環境では生き延びることはできなかったのだろう。
鬼に生かされ、そして愛でられる生活が三ヶ月も経った頃、若い鬼は死んだ。
私が宿していた毒が、ついにその鬼を死に至らしめたらしい。
嬉しさはなかった。若い鬼が死んだことが悲しくて、涙が出た。
鬼たちは家族が死んだことを嘆き悲しみながらも、その肉を食べた。
そして鬼の子を孕んでいた私にも、その肉を食べるようにと促した。
私は、その肉を口にした。
そして何日もせずに、鬼たちは全滅した。
しかし私は、生きたままだった。
そして目の前には、鬼の死体が六体あった。
私はお腹の子を守りたい気持ちしかなかった。
死んだ鬼の肉を保存食にして、私は生き延びた。
数カ月後、子どもが生まれた。
ツノが生えた女児だった。
鬼の子である。
娘を立派に育てたいとは思えど、私もすでに毒に侵されていた。
現実とも夢とも境がわからず、朦朧としている時間が多くなった。
そうしているうちに、村人に保護されたらしかった。
いつの間にか、私は暖かい布団で眠れるようになっていた。
細かった子どもも、ずいぶんふっくらとしていた。
「お前は、この村を救ってくれた。この子は私たちの神として、ちゃんと育てるから」
大人たちはそんな言葉を並べた。
しかし私はぼんやりとした頭で、自分が守りたかったのは村人だったのだろうかと思うようになっていた。
誰かを犠牲にすることを善《よ》しとして、その上で生きている村人たちを、少なからず薄情だと思っていた。
村人の顔を見る度に、泣きながら仲間の肉を食らっていた鬼たちを思い出す。
「このままでは村を、村人を、呪ってしまう」
私はときどき正気に戻っては、そう口にした。
村人の中でどんな取り決めがあったのかはわからないが、私の世話は黒瀬家の者の役目になっていた。
私と子どもの世話をしてくれていたのは、黒瀬家の暗墨《あんぼく》という女性だった。暗墨は、私よりも先に毒の犠牲となった双子の母だった。
「私は鬼を食べて生き延びてしまった、七体もの鬼だ。それが今、無性に悲しい」
朦朧とする意識の中で、私は自分の背負った罪を告白した。
「あなたと、その鬼たち慰めになるのであれば、黒瀬家から七人の贄《にえ》を捧げましょう。私もきっと、それになるでしょう。あなたの悲しみを、できるかぎり背負いたいんです」
暗墨は切実にいった。
その言葉のおかげで、私は悪霊にならずに済んだように思う。
「いらぬ子でいい。いらぬ子が生まれたら、間引く必要のある子が生まれたら、私と鬼たちの鎮魂《ちんこん》に捧げて下さい」
暗墨は「必ずや」と頭を下げた。
「あの子は、私の憎しみを一身に受けてしまった呪いの子です。私の憎しみが消える時、きっとあの子のツノは落ちるでしょう。それまではどうか、あの子をお願いします」
「はい、大切に育てます。あなたにすべてを背負わせたこと、村人を代表して心から謝罪します」
「どうか、お願いします。あの子だけは」
それが最期の言葉になった。
私の産んだ鬼の子は、毒に侵された末期のような状態のまま、二十歳前に死んだ。
その子が死ぬ少し前、黒瀬家には双子が生まれていた。村はまだまだ貧しかったので、その一人が鎮魂のために捧げられた。黒瀬家の子は、私の子と同じ場所に祀られた。
その後も、間引かれた子は同じように祀られた。
私は悪霊にはならなかったが、その憎しみは受け継がれてしまうほどには強いものだった。もしくは死んでいった鬼の怨念も宿っていたのだろう。
朝比奈家には何代かに一人、ツノの生えた娘が生まれるようになった。
その度に黒瀬家の者も、村人も、大切にその子を育てた。
それでも角仙娘は生まれ続けた。
暗墨は生前「黒瀬家の七人の贄によって、角仙娘の呪いが解ける」とは、他言しなかった。
自分が産んだ子どもと、私を犠牲にした結果、贄を必要とする呪いが生まれてしまったことを隠したかったのかも知れない。
暗墨は周囲に「双子が生まれたら、絶対に今まで通り間引くように。そして口減らしをする子どもについても、それらは必ず角仙娘《かくせんこ》とともに祀るように」と、伝えるに留《とど》めていた。
暗墨の誤算は、想像する以上の速さで黒瀬家が豊かになったことだった。
黒瀬家は子どもを間引く必要はなくなり、子どもは多ければ多いほどいいとされるような名家になった。
そして黒瀬家には、双子が生まれたら間引く必要があるという言霊だけが残された。
しかし時代はすでに移ろいでいた。
黒瀬家に双子が生まれたら、養子に出す風習へと変化していた。
そのため角仙娘の呪いは、消えないままだった。
しかし十七年前、黒瀬家の子どもが死んだ。
そして間引かれた子どもたちとともに祀られた。
その子は、七人目の贄となった。
◆◆
暖かい手が、私に触れた。
ずっと溶けることのなかった私の冷たい恨みに、その手が触れた。
娘が目覚めたのだなと、理解した。
触れられた先から体が軽くなり、自分を縛っていた重くて暗い感情がゆるやかに解(ほど)けていく気配があった。
私も、もう自分の呪いから解放されていいらしい。
誘われるようにゆったりと浮上すると、紅娘山からは黒くて大きな手が伸びてきた。
何百年も紅娘山に祀られてきた私が、突然この山を去ろうとしている。山が急な変化を拒むのは自然なことだった。
もしくはこの山が、土地が、ここで生まれ育った人々が、その怨念たちが、私だけが解放されることを許さないとばかりに、手を伸ばしてきた。
その真っ黒な手が私に届かんとした刹那、その手は急速に萎縮していった。
紅娘山を見下ろすと、山の各所に配置されていた人間たちが光る日本刀のようなものを地面に差して、なにかを詠唱しているようだった。
その者らが、私をこの山から逃がそうと尽力しているのは明白であった。
人々もこの村も、何年もかけて強くなった。
ずっとここにいたはずなのに、ずいぶん久しぶりにこの土地を見つめたように思った。
私の視線に気付いたかのように、光る日本刀を握っていた者たちの目がこちらを向いた。
その者らの目に、私がどんな風に映っているのかわからない。
見えているのかもわからない。
しかしその者たちは、その場でそれぞれに一斉に、私に向かって美しい座礼をした。
私が守った村。
私の守った村人たちが、今度は私を守ってくれた。
もうなにも恨むでもない。