発達障害の僕
この小説は発達障害を持つ僕が経験した人生の話
⚠️身バレ防止のため少しフェクショを挟んで描いたりします
なので話が少し合わないと思ってもスルーしてくれると嬉しいです
またこの小説を通じて発達障害について知ってもらいこんなことに対して困っているなど
発達障害を持つ人の本音を知ってんもらえると嬉しいです
また発達障害にもそれぞれの特性などがあり全員の人が僕と同じというわけではありません
それを理解したうえで読んでもらえると幸いです
___________________________________________
2話僕と発達障害
僕発達障害と診断されたのは小学3年生の時
僕の持ってる障害を詳しく言うと
自閉症(知的障害) 発達障害(ADHD:注意欠陥/多動性障害)がある
診断されタイミングで療育手帳も取得し今はB判定になっている
療育手帳は
A判定が最重度(IQ20以下 )
A判定が最重度(IQ21〜35)
B判定が中度(IQ36〜50) B判定が中度(IQ36〜50)
C判定が軽度(IQ51〜75)
となっていて18歳未満は2〜4年に1回 成人したら10年に1回更新をする必要がある
僕が小3の時に診断はされたが親は勘づいていたらしい
勘づいていた理由はお姉ちゃんよりも発達が明らかにゆっくりだったからと言っていた
それもあり発達を促す教室に幼稚園の時から通っていて小学校に入ってからは 言葉の教室に
通っていたそして小学3年生診断されその後は小学校の特別支援学級に入った
支援学級は他学年も同じ教室だが勉強自体はそれぞれペースに合った勉強をしていた
なので教科書とか使わずプリント学習がほとんどだった
そして普通習うような理科や社会、英語はやっていなかった
ただ支援学級だけじゃなくて普通科(普通の学級)の授業に何教科か入ることができたので
僕は英語、音楽、体育、家庭科にお入っていた
もちろん支援学級でしかできないことも沢山あった
例えばいろんな野菜を育て職員室に売りに行ったりもしたし収穫した野菜でいろいろなものを
作って食べた トラブルもありながらも楽しく過ごした
よく一番印象に残っている学年を聞かれることがあるのだが
僕は小学5年と中学3年生と答える 中学校の事は後から話すとしてなぜ小学5年生が印象に残っているかというと先生との関係だと僕は思っている
小学5年生の時の先生は特別だと感じたなぜか他の先生とは違うやり方だったからだ
他の先生とは違い頑張ればご褒美があるようにししてくれていた
頑張った時にボールをもらうそれが10個で1個の金ボールになるその金ボールを5個集めたら1時間自由タイムを作ってくれたりダンボールハウスを作る時間を作ってくれていたそしてそのボールは道徳の時間に文章を丁寧に写すなど集中力がいる物や授業などに頑張った時やお手伝いを頑張った時などにもらえたその時のクラスは僕と3つ離れている男の子の2人だ
2人で頑張って集めて遊ぶのは楽しかった昼休みなどと違って他の子がいないので遊具などもつかい放題だったそしてその先生は僕達のことをよく見ていた鉛筆やお箸の持ち方がおかしかった僕に
持ち方のグリップや持ち方お箸を買ってきてくれて持ち方を修正できるようにしてくれた
そのおかげで今ではちゃんとした持ち方で出来るようになったと感謝している
他にも今までしなかったカブトムシを育てたりもして一番印象に残っている
本当にいい先生だったと思う
____________________________________________
次回小学6年生と中学生の話をしようと思う
コメント
4件
私の妹もADHDです。 世界に置いていかれる孤独感があるそうです、 そんな姿を見ても私は何もできない無気力感に襲われます… ですがその分楽しいことも多いみたいで笑顔の妹を見るとかわいいとつくづく思います…(姉バカですね) 障害は辛いこともあると思いますがお互い頑張りましょう(⸝⸝⸝´꒳`⸝⸝⸝)