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机の上に並ぶバイナ海料理が温かな湯気と馨しい香りを振りまいている。川魚と比べると海魚は、とユカリは考えたが特に違いには気づかなかった。海藻なんて本当に食べられるのだろうか、と怪しむ。川底の藻なんか全然美味しくなかったけど、と怪訝に思う。それに海老のあの芋虫のような奇怪な姿、食べても大丈夫なのだろうか、冒涜的な力が手に入ってしまうのではないだろうか、とユカリは勘繰る。


彩り豊かな海の幸に目移りするユカリとは対照的に、チェスタはある一点を見つめていた。見つめているかのようだった。仮面をつけており、その向こうに両の瞳がないことをユカリも分かっていたが、しかし彼はちゃんと周りが見えているらしい。その視線の先にはユカリの合切袋があり、その口から隻腕のクチバシちゃん人形がはみ出している。しかし特に何も言われなかったので、ユカリも何も言わなかった。


「それでなぜこの街に?」とチェスタは単刀直入に尋ねた。


しかしユカリが勇気を出して海老の酒蒸しを口に放り込む方が少しだけ早かった。海老の大きさとその歯ごたえもさることながら、橄欖オリーブ大蒜にんにく、青紫蘇の蠱惑的な香りが食欲を煽る。冒涜的な美味さだ、とユカリは思う。


なぜこのような状況になったのかというと、チェスタに促されるまま、早朝に仕事を終えた船乗りたちのたむろする酒場兼食堂へ移動し、奢りだというので昼食をとることにしたのだった。

昼間だというのに酒場は珍奇な葡萄酒ワインを呷る船乗りたちで溢れかえっており、朝までは外にうろついていた喧噪が管を巻いている。漁の成果に嘆き、海を渡って来る噂を囁く。酔客の世迷言はある種の悪戯小人を惹き寄せるが、この酒場は抜け目なく小人除けのおまじないが窓に吊るされていた。

しかしいかに頭の捻じれた酔っ払いといえども、異様な鉄仮面の方へ視線を向けないように気を配っていることはユカリにも分かった。


チェスタ自身は何も注文せず、ただ向かいの席に座っている。その隣の机に他の焚書官たちが、彼らもまた何も注文せずに控えていた。オンギ村の生家にやって来てユカリを一時拘束した焚書官、あの魔法使いの女もいる。その女の身に纏う僧衣が一人でに動いている、まるで見えない蛇が這っているかのように。


時間をかけて海老を咀嚼し、その弾力と味わいを楽しみつつ飲み込むユカリを、チェスタたちは何も言わずに待っていた。その間にユカリは何とか言い訳を拵えた。


「村を出たのはあれ以上迷惑をかけたくなかったからで、この街に来たのはたまたまです。流れ着いてきました」


それを聞いたチェスタの、口元の表情には何の感慨も浮かんでいないようだった。


「お義父上はどうされたのですか?」とチェスタに尋ねられる。


それが何より気になっていた。ユカリは自分を助けた矢を思い出す。きっと彼らはなぜ義父ルドガンが魔法少女ユカリを助けたのか、それを気にしているに違いない。

だが下手に嘘を取り繕うよりも何も分からない風を装うのが得策だとユカリは判断する。


「生きているんですか!?」


ユカリはできるだけ哀れな娘を演じようと努めた。


「さあ、ただ遺体は見つかっていない、と報告を受けています」チェスタがあの女の魔法使いに視線をやる。

応えるように女も頷く。「焼け跡に遺体はなく、次席殿による周辺の捜索でも発見には至りませんでした」


ユカリは心底ほっとする。この旅の間中、そのことがずっとユカリの足を捕まえて、後悔と悲嘆の暗く冷たい底なし沼に引きずり込もうとしていた。


「そう、ですか」と言ってユカリは小さく嗚咽する。「それでも、良かったです。生きているかもしれないと思えるだけで救われます」

「はぐれたのですか?」とチェスタは淡々と問いただす。

「ええ、でも分かりません。いつまで一緒にいて、いつの間にはぐれてしまったのか。火に巻かれて、煙を吸って、あの時の記憶は定かではありません。ただ命からがら、でしたから」

「申し訳ないことをしました」とチェスタは口元の表情だけで後悔を滲ませた。「とはいえ、私の本意ではなかったのです。彼女にはただ見張っていろと命じたのですが。先走ってしまったようで」


そう言ってチェスタは隣の席の女魔法使いに目配せする。女魔法使いは会釈した。今のは挨拶だろうか、謝罪だろうか、とユカリは考える。あれが家を燃やしたことに対する謝罪なのだとしたら、と思うと怒りが煮えくり返る。


チェスタが口を開く。「ここまで身一つで旅するのは大変だったでしょう」

「ええ、まあ。やりようはあります」ユカリはそれらしい適当な相槌を打ち、魔法少女ユカリではないただの村娘らしい会話を繋ぐ。「義母にも義父にも多くのことを教わりましたから。それで、私の家で魔導書は見つかったのですか?」


チェスタは首を振る。


「それがですね。何と言ったものか、どちらとも言えないというのが正直なところです」


ユカリは不思議そうに首を傾げるにとどめた。


「あのあと不思議な人物が現れましてね。魔導書を盗んでいったようなのです」

ユカリは眉根を寄せてみる。「盗んでいったって、私の家にあったというのですか?」

「そうとは限りませんが、その可能性は高いですね。火事場泥棒というわけです」


地下室を発見したことを明かすつもりはないらしい。少なくとも地下室の本体は森の方にあったということだろう。その地下室と繋がっていた生家の屋根裏部屋はもう存在しない。細い手がかりを手繰り寄せようとかまをかけているのだろう、とユカリは推し量った。


「まさか!」ユカリはのけぞってみたりする。「義母が魔導書なんて持っているはずが……」

「あくまで推測ですよ。魔導書がどこにあったのかは分かりません。ただおかしなものを土の下で見つけましてね」

「土の下? 村中を掘り返したっていうんですか?」


ユカリは不思議そうに首を傾げる。地下室とでも言わせたかったのだろう。そこまで単純ではない、とユカリは心の中で舌を出す。


「いえ、掘り返したのは一か所だけですよ。何もありませんでしたがね」

ユカリは見開いた瞳で、口角の上がったチェスタの唇を見る。「どこを掘り返したんですか?」


チェスタは黙って足を組み替え、小さく首を傾げる。


「どこを掘り返したのかって聞いてるんだ!」ユカリは机を叩き、身を乗り出す。


しかし、あの時と同様に、見えない蛇に体を縛られてしまう。


「だから先走らないでください、地潜ルキーナさん」焚書官の女にチェスタは言った。「心配なさらずとも故人を冒涜するような真似はしていませんよ、ユカリさん」

「どの口が言ってるんだ! 人でなしの狂信者め!」


ユカリはチェスタとルキーナを睨みつける。

チェスタはうんざりした様子でため息をつく。


「いけませんね。ルドガン氏がいなくては、どうも喧嘩になってしまう」と言ってチェスタは机の上に銀貨を一枚置いて立ち上がった。「平穏に生きたければ魔導書などに関わらず、敬虔に生きることですね」


そうチェスタは言い残し、焚書官たちを引き連れて酒場を去った。身動きが取れず、しばらくしてユカリがもがくのをやめると見えない蛇はするりと離れ、どこかへ去った。


机の上の皿を全て空にし、沢山のお釣りを貰って、ユカリも店を出た。チェスタの姿はなかったが、港の方へと走る。そちらに寺院があるからだ。

すぐにチェスタたちの姿を見つける。この暑い太陽の下で影法師のような真っ黒の姿をしている者たちは他にありえない。




取引が行われ、ハルマイトが霊薬を受け取った後に、秘密を暴く魔法の魔導書を焚書官から奪い取る。可能であればチェスタが所有する魔導書も奪いたい、とユカリは考えていた。しかし取引がいつ行われるのか、そもそも取引相手がチェスタなのかどうかも確信はない。それが分かることを期待して、ユカリはしばらくチェスタの様子をうかがうことにした。


酒場を出た焚書官たちはその足で真っすぐに、入り江の小さな寺院へと入って行った。


取引などなければ乗り込んですぐに奪い取ってやるのに、とユカリは思った。

しかし、まさか取引が始まるまで寺院の前で待ちぼうけるわけにもいかない。少し離れた場所だがユカリは寺院がよく見える宿をとることにした。


あてがわれた最も安い三階の部屋の小さな露台には、バイナ海に人知れず浮かぶ無人島から夕暮れの涼やかな潮風が吹いてくる。夕日はこの街の屋根に似て橙色に輝く。その美しさは幸が集い、寝息を誘う炉辺の美しさだ。


潮風に目を細めつつ、雄大な景色に似合わない世俗の悩みにユカリは唸る。


「そろそろ財布が寂しくなってきたよ。フロウに貰った羊の財産を手に入れた時と比べると」

「無駄遣いするから」とグリュエーは囁いた。

「そんなことないと思うけどな」ユカリはため息をつき、手すりに持たれて頬杖をつく。「両替商とか関所とか、世の中ぼったくりが多いんだよね」


神話の英雄たちと違い、どこに行くにも何をするにも金、金、金だ。怪物退治の英雄様、どうぞ通ってください、これを食べてください、というわけにはいかなかった。


一日をもたらした黄金の太陽を海が隠してしまい、代わりにと西風が運んできた傲慢な雲が空を支配する。眩い月も無数の星の一つも見えない、暗黒の夜がやってきた。波の音が昼間の喧噪を押し流し、厚い静寂が我が物顔でトイナムの街に横たわる。


救済機構の寺院の姿が朧になる前に篝火が灯され、少なくとも人の出入りが遠目にも分かる明るさは保たれた。


さらに夜は更け、街道の真ん中を歩けない夜盗とねぐらを離れた邪な蝙蝠が月の不在を知った頃、人影が三人、堂々と寺院から出てきた。

魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。

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