「ねえ、あれって西園寺さんじゃない?」
ちょうどお昼を姫野さんと一緒にした後会社に戻って来ると、受付で女の人が言い争っているのが見えた。
──この人の存在すっかり忘れてた……
社長が彼女からの電話を全く受け付けないので、ここ最近電話もかかってこなかった為かすっかり頭から抜け落ちていた。
西園寺さんは長いモカブラウンの髪を緩く巻き、大きな目と赤いぷるぷるの唇はまるで大人になったばかりの少女のような女性だ。
淡い水色の上品なカーディガンとそれとお揃いになったロングスカートを着ていて、服は体の曲線がはっきりわかる少しタイトなものになっている。それに何よりも目立つのは、体の線が細いのとは対照的な派手な……というか大きな胸がある事だ。
お昼休みが終わり社員がポツポツと帰ってきていて、西園寺さんを皆興味深げにチラチラと見ている。そんな中、突然彼女は振り向き私の存在を認めると、勢いよく私の方に向かってきた。
「あのー、颯人に会いたいんですけど、あなたが彼の今の秘書?」
彼女は私を頭の天辺からつま先まで何度もジロジロと見た。急に以前彼女が前の秘書と取っ組み合いの喧嘩をしたと、姫野さん達が話していた事を思い出した。
「はい。社長の秘書を務めております、七瀬蒼と申します。社長は先日より出張で来週まで不在となっております。もしご用件がございましたらお伺いします」
私は丁重に頭を下げた。
「ふーん。あなたが七瀬さんね……」
西園寺さんは目を細めて私を値踏みするように見た。
「私、西園寺流花と言います。颯人とは幼馴染で彼の家族ともとても親しいの。彼にとってとても特別な存在なの」
「……承知致しました。あの、何か言伝がありましたらお預かり致します」
私は社長の不在中に何か揉め事を起こしてはならないと、必死にこの場をやり過ごすよう彼女に再び頭を下げた。彼女はそんな私をつまらなさそうに見た。
「……颯人には無いけど、あなたにあるわ。私の颯人には手を出さないで」
彼女はそう言い残すと颯爽と去って行った。
次の日の土曜日、社長と西園寺さんのことを考えながらシャワーから出た私は、部屋の惨状に絶句した。
「きなこ!!」
やっとシャワーから出てきた私を待ちわびたかの様に、尻尾を大きく振りながら飛びついてきた犬を見た。
この子はこの週末フォスターさんが急な用事で面倒を見れなくなり、私が代わりに預かる事にした保護犬だ。
生後七ヶ月の子犬で、ダックスフンドとダルメシアンの雑種。茶色と白の混ざった体に黒い斑点があり、とても可愛い見た目をしている。すでに何人もの里親からこの子を引き取りたいと連絡がきていて、選ばれた家族と明日顔合わせをする事になっている。
西園寺さんと社長のことでもやもやしていた私は、喜んできなこを預かる事にしたのだが、極度の分離不安症があり全く気が休まらない。とにかく私の後をピタリとくっついて片時も離れない。トイレに行く時も寝る時も私にべったりとくっついている。とても可愛いのだが、一瞬でも見えなくなると不安で吠えながら大慌てで私を探しまわる。
先ほどシャワーを浴びる為少しの間大丈夫だろうとドアの外に追い出したのだが、その間不安で暴れてゴミ箱やソファーに置いておいた洋服などをあちこちに散らかしてしまった。
「きなこぉー」
私はため息をつくと、怒りたいのをぐっとこらえ黙々と片付け始めた。こういう時は怒っても意味がない。逆に怒る事で悪化する事もある。
きなこは黙々と片付ける私にじゃれつきながら、ボールを一生懸命持って来る。
「もう、しょうがないなぁ」
ぐちゃぐちゃに散らかった部屋を呆れて見ながら、きなこを抱きしめた。その小さな頭にキスを落とすと、きなこは大喜びして尻尾を振りながら私の顔を舐めた。
「ちょっと待っててね。これを片付けたら一緒にお散歩に行くからね」
その後大きめのバッグに水や袋など散歩に必要な物を詰め込むと、きなこと一緒に外に出た。
「あら、七瀬さん。可愛いわねー。この子は新しい保護犬?」
このアパートの大家さん、成瀬さんがやって来て、きなこに近寄ると頭を撫でた。きなこは大喜びで地面に寝転がりお腹を見せている。
成瀬さんはこのアパートの後ろの家に住んでいて、何かあるとすぐに対応してくれるとてもいい大家さんだ。彼女自身も家族で犬を飼っていて、私が保護団体から時々犬を連れて帰ってくるのを快く許してくれる。
ここは一応大型犬可のところだが、入れ替わり見知らぬ犬を連れて来るのを嫌がる人もいるので、なるべく一ヶ月に1回か多くても2回程度で、私が必ず家にいる週末だけにしている。
「そうなんです。でも飼い主が既に決まっていて明日引き取られる予定なんです」
「あらそうなのね。可愛い犬ね〜。うちも飼えるなら飼いたいわ〜」
成瀬さんは名残惜しそうにきなこを撫でると、どこかへ去って行った。
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