佐々木咲は井浦から取り上げたプラチナのエンゲージリングをアルコールのウェットティッシュで消毒した。そして左手の薬指に嵌め、朝日に翳して見た。指輪は風に揺れるレースカーテンの陽射しに瞬き、その幸せそうな笑顔を恨めしく見る井浦の目には痛かった。
「しまじろー」
「何ですか」
「お前の指輪のサイズは何号だ」
「知りませんよ」
井浦は胸ポケットから手帳を取り出すと白いページを破いて源次郎の左の薬指にくるくると巻き付けた。そして丁度の長さで折り目を付けた。
「ちょ、あんた、何してんのよ!」
「何がだ」
「それ、どうするのよ」
「宝石屋に持って行く。当たり前だろ。何、寝言言ってるんだ」
「ちょ、返しなさいよ!」
「うるせえ!」
現次郎は口を窄め、熱いコーヒーをズズズズと啜った。
「井浦さん、今度は何が分かったんですか?」
「おう」
井浦は角1の茶封筒から日に焼けた古めかしいカルテのカラーコピーを取り出した。
「大野和恵の旦那はやはり二十五年前、二十九歳で死んでいた」
「旦那さん」
「大野達也、1974年6月1日生まれA型」
「はい」
二十五年前に記入されたカルテの文字は万年筆のインクが色褪せ、かろうじて(大野達)と読み取る事が出来た。
「内灘の廃業した町医者の棚からこのカルテが見つかった」
「そうですか」
「ただな、そこの婆さんの証言が」
「お婆さん?」
「二十五年前、町医者で働いていた看護婦だ」
「今は看護師って言うのよ!」
「あぁ、今は看護師っつぅのか」
「その元看護師の証言が曖昧なんだわ」
「曖昧?」
「二十五年も前の記憶で、今年で八十三歳」
「あぁ、なるほど」
井浦は胸の前で左手を握り親指を立てた。
「チワワ、こっち見ろ」
「何してんの」
それを右の手のひらで隠しスっと横に引くと左手の親指は消えていた。
「えっ、なに!?井浦、あんたマジシャンなの!?」
「ぶわぁぁぁか」
「きいい!」
「井浦さん、それはどういう意味ですか?」
「親指がねぇんだとよ」
「親指が、ない?」
「その婆さんが言うには、大野達也は牧草と一緒に親指まで刈っちまったんだと」
「親指が、ない」
「左手の親指?」
「そうだ」
三人は屍蝋化死体の写真をまじまじと見た。
「五本揃っていますね」
「あるね」
「こいつは大野和恵の旦那じゃねぇ」
井浦はベッドで眠る源次郎の横にひざまづき、その左手を取ると薬指を持ち上げプラチナの指輪を静かに嵌めた。井浦の左の薬指にも同じ螺旋を描いたデザインの指輪が煌めいている。両膝をフローリングの床に突くと背筋を伸ばし首を傾ける。鼻先が触れる、唇が、とその時にインターフォンが連打された。
「チッ!」
「井浦!そこに居るんでしょ!出て来なさい!」
「そう易々と犯人が投降すると思うなよ!」
「お母さんが泣いているぞ!」
「そんなもんはいねぇ!」
「不憫だな!」
その騒々しさに目を覚ました源次郎は後頭部をボリボリと掻きながらベッドから起き上がったが、左手の薬指に違和感を覚えた。
「・・・・・?」
そこには煌めく二本目のプラチナの指輪。目を凝らすと玄関扉に向かって仁王立ちしている井浦の左手の薬指にも同じデザインの指輪があった。
「おはようございます」
「おう、しまじろー起きたか。」
「はい」
「そのデザインは気に入ったか」
「ええ、でも良いんですか。これ、プラチナでしょう?」
「良いんだ」
「ありがとうございます」
玄関先で金切り声を挙げている婚約者を出迎えた源次郎だが、鍵を開けた瞬間、佐々木咲は別の意味で悲鳴を挙げた。
「げん、源次郎!それ!」
「あぁ、井浦さんに頂いたんです」
「あんた馬鹿なの!?」
「頂けるものなら頂いておいた方が良いかと」
「井浦ーーーーーー!」
「ザマァ」
二本のエンゲージリングを重ね付けした源次郎は佐々木咲が手にしている封筒に目を遣った。かなり大きな靴底の跡が付いている。ざっと見て28.0cm、咲は24.0cm、自身は27.0cmと踏み付けた犯人は井浦で間違いなかった。
「咲さん、それは?」
「階段に落ちていたわよ!」
「あぁ・・・」
「俺のじゃねぇか」
「警察が証拠資料を落とすな!」
「すまんすまん、これに気を取られてて」
佐々木咲に見せたのは紺色のビロードの小箱。エンゲージリングが入っていたものに違いなかった。
「そんなもん、返して来い!」
「無理だね」
「クーリングオフ!」
「特注品だからな、無理だね!」
「キィぃぃぃ!源次郎、外しなさい!」
源次郎が佐々木咲の手から封筒を取ると中を確認した。中には一枚の顔写真、それは何処か歪な表情をしていた。
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