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二十一
紅上は途方に暮れていた。今回のターゲットである稲垣恵理を殺した帰りであった。
電車は先程の殺人手段により運航停止。今頃警察や救急隊員が仕事をしているので勿論最寄り駅は使えない。
そして運のないことにここは田舎。つまり、次の駅までかなり距離がある。そもそも徒歩圏内にある他の駅に行ったところで結局運航停止になっているので電車は止まっている。
詰んだ。確実に詰んだ。
「――――というわけで、どうしたらいいと思う?」
『んっふ、馬鹿じゃん、お前っ、馬鹿じゃん! ふふっ、ぶはははは!!』
「笑い事じゃねえんだよ」
というわけで、只今絶賛東本に電話中である。最初は自身の兄である漣斗に電話を掛けたのだが、何故か繋がらなかったので渋々東本に電話したのだ。
『ヒー……! やっべおっかし……んふっ』
「いい加減落ち着け」
『悪い悪い。ふっ……! んふふっ』
「おい」
『ごめっ、ふっ……! ……んで、どうするかだっけ? ふっ』
「……おう」
ようやく平静を取り戻した東本が、どうにかこうにか議題を口にした。半笑いなのは気にしないようにした。
『えー、でも漣斗さん繋がらなかったんだろ? 珍しくね?』
「ああ。まあ、あいつもあいつで用事があるんだろ」
『そっかー、漣斗さんも紅上にべったりって訳じゃないんだな』
「お前はあいつにどんな印象を抱いてるんだ……」
『ブラコン』
「それはそう」
東本からは帰る方法としてタクシー、バス、沈む太陽の十倍速く走る等の案が挙げられたが、どうやら東本は走れメロスの世界で生きているらしい。紅上がメロスならセリヌンティウスは東本なのだろうか。なら王は誰なんだ。十二人の元カノか。
「もうちょっとマシな案はないのか」
『はー? タクシーとかバスとかめっちゃ真面じゃんか』
「このド田舎にタクシーはいないし、バスはあと二時間後に来る」
『タクシーアプリG●使えよ』
「ご……? すまん、聞こえなかった。つか、俺タクシーアプリ持ってねえ」
『あると便利だぞー、飲み会の時とかすぐ呼べるし』
「飲み会行ったことねえ」
『紅上ボッチ乙』
「死ね」
『無理』
その後、十数分にわたる壮絶な罵り合いとなり、最終的にもう一回漣斗と連絡を取ってみるという話で落ち着いた。東本にはとりあえず嫌がらせとして色んな出版社の走れメロスを新品中古関わらずに郵送で送っておいた。多分数十冊程の本が東本宅に送られることだろう。紅上はとりあえずスッキリした。
というわけで本日二度目のフロム漣斗電話大会である。どうせ出ないだろうという思いでかけた電話は、驚くことにいつもと同じツーコール目で繋がった。
『もしもし漣!? ごめんねさっき電話出れなくて。大丈夫? どうかしたの!?』
凄い勢いである。紅上は引き気味で答えた。
「あー、いや、実は、帰れなくなったから迎えに来てほしいんだが……」
『わかった! 大丈夫? 体冷えてない? 今どこにいる?』
現在地を伝えると、すぐ向かうねと言われて電話を切られた。恐らく法定速度は無視されるだろうなと思った。
*
漣斗にはそこから動かないでと言われているので、そのまま道路の端に寄って暫くスマホをいじっていれば、右からライトが光った。
来たか、と思い顔を上げると、いつもと違う黒い軽自動車。紅上の目の前で停まったので、これが迎えの車で合っているのだろうが、何やら嫌な予感がする。
そして、そういう予感は大抵当たるものだ。
ドアノブに手を伸ばし、後部座席のドアを開けると、そこには先客がいた。
「よお、久し振りだなあ、漣」
軽薄な笑みを浮かべるスーツ姿の男。自身にこのような口を利く奴は一人しかいない。
紅上家長男の漣真が、ゆったり足を組んで座っていた。
紅上は勢いよくドアを閉めた。
が、抵抗空しく漣真の手により再びドアが開けられる。
「酷ぇじゃねえか。折角オニイサマ直々に田舎に取り残された弟を迎えに来てやったんだぜ? 漣斗に車まで貸したんだ」
「お前にまで迎えを頼んだ覚えはない」
紅上が露骨に顔を顰めると、漣真は更ににやりと笑みを深めた。
「何だ? オレが迎えに来ちゃ嫌か?」
「嫌だ」
「そうかそうか。漣は漣斗お兄ちゃんが大好きだもんなぁ」
一々癪に障る言い方をするな、と紅上は苛立った。明らかにこちらをおちょくって楽しんでいる。真面に言葉を交わすようになったのはここ最近だが、紅上は漣真のことをよくは思っていなかった。
しかし、この車に乗る他に紅上に帰る術はない。今日は秋にしてはかなり暑い。明かりもなく虫も出るこのド田舎で一晩を越すのは絶対に嫌だ。
思わず眉を寄せながら、紅上は車に乗り込んだ。不本意ながら漣真の隣である。
「ふ、いい子じゃねえか」
満足そうに漣真は笑い、シートベルトを締めている紅上に手を伸ばしてきた。げ、と思った紅上は咄嗟に振り払おうと手を上げる。
しかし、それより先に第三者の手が漣真の腕を掴んだ。
「――――漣に触れるな」
見ると、運転席に座った漣斗がこちらに乗り出し、漣真の腕をガッシリと掴んでいる。その表情は、いつも穏やかな笑みを浮かべる彼とはまるで別人で、冷ややかな瞳で漣真を貫いていた。
「っはは、痛えなぁ。そんなに強く掴まれちゃあ、女の腕だったら折れちまうんじゃねえの?」
「余計なお世話だ。漣に少しでも触るようなら今すぐ助手席に移動しろ」
一瞬、漣真から笑みが消えた。部屋の温度が数度下がるような無表情で漣斗を見つめる。
「……へぇへぇ、オレが悪ぅございましたよ」
しかし、またいつもの人を小馬鹿にするような表情に戻った。パッと漣斗の手をほどき、漣真は降参だとでもいうように両手を上にあげた。
漣斗はぎろりと漣真を一睨みした後、渋々運転席へ身を引いた。
漣斗は、紅上に漣真が触れることを酷く嫌う。何なら、紅上が漣真に話しかけられることも、紅上の視界に漣真が映ることさえも。
紅上が物心つく前から、傍には漣斗がいた。
ただ、漣斗も最初から漣真を嫌っていた訳ではないと思う。
ある時から、漣斗は徹底的に紅上に漣真を近づけないようにしていた。
食事の席も離れたところ、自室は常に漣斗の隣。紅上に話しかけられる漣真の言葉は全て漣斗が遮った。
成長した今だって、本家に住む漣真に極力近づけさせない為に大学進学と共に一軒家を建てさせたのだ。
異常だとは思ってきた。
漣斗が漣真に抱く感情は、嫌悪感なんて小さなものではない。
なにか、もっと大きな、そう――――憎しみのような。
何故、そんなにも漣斗は漣真を憎むのだろうか。
そんなことを考えていた時、漣斗から「漣はシートベルト締めたね?」と訊かれた。
「おう」
黒い軽自動車が、緩やかに発進した。
「そういや漣斗、さっきオレに敬語使わなかったな」
が、すぐに急加速した。
*
ギスギスとした気まずい空気のドライブを何とか乗り切り、紅上は無事に家に帰り付いた。
車から降りて扉の鍵を開け、漣斗を招き入れると、当然のように漣真も入ってきた。
「何であなたも入ってるんですか」
すぐに漣斗が口を出した。
「いいだろ別に。オニイチャンがオトウトの家に入ったって。それに、家主はお前じゃねえだろ」
なあ、漣? と漣真はこちらを見た。そうして追い打ちのように、「オニイチャンを夜道に放り出すなんて酷い真似、漣はしねえよな?」なんて、勝利を確信したような笑みを浮かべて言った。
言い方や表情にはかなりイラっとしたが、そう言われると追い出しにくい。紅上はぐっと言葉に詰まり、少し間を置いた後「好きにしろ」となんとか口にした。勿論漣斗が不快そうに漣真を見たのは言うまでもない。
腹減ったなと思いながら紅上は洗面所へ行き手洗いうがいを済ました。本当に胃が空っぽなので、何かないかとキッチンの冷蔵庫を覗くも、虚しいかな、卵と牛乳しかなかった。昨日の残りも何もない。できたとして煮卵とホットミルクくらいである。勿論そんなもので足りる訳がない。
「漣斗、夕食になりそうなものがなにもねえ……」
「え、そんなになかった?」
「卵と牛乳しかない」
「目玉焼きでも作る?」
「卵一個しかない」
「足りないねえ」
うーん、と漣斗は一通り思考した後、
「じゃあ、俺が何か買ってくるよ。お惣菜とか」
と言った。
「いいのか?」
「勿論」
すると、家主に断りも入れずソファでくつろいでいた漣真が話を聞きつけて口を挟んできた。
「買い物行くなら酒も買ってきてくれよ、漣斗」
「は? 自分で買ってくればいいじゃないですか」
「漣の迎えだけかと思ってたからな、金持ってねえんだ」
「役立たずすぎるでしょう……」
軽蔑した眼差しを漣真に送った漣斗は、「大人しくしておいてくださいね」と釘を刺して行ってしまった。
後に残ったのは、気まずい沈黙。
紅上が漣真と言葉を交わしたことがあるのは、今まで極わずかだった。勿論漣真を深く知る機会はないに等しい。どんな会話をすればいいのかすらも、わからない程に。
そんな静かすぎる部屋の中、動くことも躊躇われるように思えて、紅上はキッチンに立ち尽くした。漣真もソファに座ったまま、身じろぎ一つしない。
どれ程時間が経っただろうか。数分にも、数十分にも感じられるような静けさを破ったのは、やはり漣真だった。
「なあ」
「……なんだ」
ちらりと漣真に視線を移すと、漣真もまた紅上に視線を向けていた。
「殺した奴の死体って、何処にあるんだ?」
「……見るか?」
「……おう」
漣真はいつもの彼らしくない淡白な答えを返した。答えるときに少しの間が空いたのは、今まで関わってこなかった弟との距離を測りかねているからだろうか。
紅上は金縛りから解けたように、キッチンを抜け出して下に続く階段を下りた。漣真も大人しく紅上に続く。
そのまま階段を下り続け、地下室に到着する。窓もなく暗い室内の電気をパチリとつけると、一瞬眩しさで目が眩んだ。
続けてやってきた漣真の、息を飲む音が聞こえた。
コンクリート打ち放しの部屋には、ホルマリン漬けになった死体が入った水槽が二十程鎮座している。焦げ具合は死体によってまちまちで、性別すらわからないものがほとんどだった。
部屋の端に敷かれたブルーシートの上には、まだ燃やしていない中宮里奈の死体が置いてある。最初に言葉を交わしたときよりも更に酷くなった顔色は、もう二度と元に戻ることはないだろう。
「……すげぇな」
「……ああ」
「これ、どれが誰だとか、漣はわかんの?」
「おう」
「じゃあこれは?」
と、漣真は一番手前の水槽を指さした。
「それは矢部ほのか」
「じゃあ、あの一番焦げてるのは?」
「あれは大島佐喜子。一番綺麗になった」
「あれは?」
「田中愛奈」
「ああ、盗ってきた奴か」
「おう」
「……」
「……」
また、沈黙。
しかし、前と違って気まずくはなかった。
漣真が紅上の作った焼死体達に、見入っていたから。
綺麗だと思って集めたものを、すごいと見てもらえるのは、紅上にとっても嬉しい事だった。
しかし、同時に意外でもあった。
漣真のことだ、死体を見たら変な趣味だとおちょくってくるのではないかと、少し警戒していた。だが、そんなことは全くなく、不器用ながらもこちらに歩み寄ろうとしていることが窺える。
今思えば、漣真は漣斗がいなくなってから、こちらを煽るようなことも、癪に障ることを言うこともしなくなった。釘を刺されたとおりに大人しくしている。
もしかしたら、本当に分からないのかもしれない。
今まで関わったことのない弟との、関わり方が。
漣真が紅上に話しかけるとき、常に傍に漣斗がいた。
車内でのやり取りも、玄関でのやり取りも、紅上をおちょくって楽しんでいたのではなく、紅上と話し、触れることでの漣斗の反応を楽しんでいたのではないか。
漣真はきっと、漣斗との歪な関わり方に慣れ過ぎたのだ。だから、違う弟との関わり方に戸惑っているのかもしれない。
そんなことを、考えた。
「……そこの」
「ん?」
「ブルーシートにある奴は燃やさねえのか?」
漣真が指を差したのは、中宮里奈の死体だった。結局、中々機会がなくてまだ燃やせていないのだ。
紅上は少し逡巡した後、漣真にこう告げた。
「明日空いてたら、燃やしに行かねえか」
「……漣斗は」
「さあな。ただ、依頼人は連れてく予定だ」
「依頼人?」
「東本っつー、こいつらの元カレ。同じ大学」
「へえ」
「……どうする?」
漣真の顔を見上げる。漣真は、中宮里奈の死体をじっと見つめて、それからようやく、言葉を発した。
「…………行く」
「決まりだな」
その時、玄関のチャイムが鳴った。どうやら漣斗が帰ってきたらしい。
「帰ってきたな。戻るか」
「そーだな。顔見せたらブチギレられそうだけど」
「そりゃ漣真が悪い」
「そうかぁ? オニイチャンなりの歩み寄りなんだがなぁ」
電気を消し、二人は一階へと戻っていった。
*
結局漣真と漣斗は紅上の家に泊まった。理由は簡単、夕食にて全員酒を飲んだせいだ。どれだけ過度な犯罪を犯していても、飲酒運転による事故で怪我しましたなんてことにはなりたくない。皆我が身が可愛いのだ。
そうして一晩経ち、アルコールが抜けた午前十時。漣斗は朝早くに本家に戻り不在。漣真はリビングで寛いでいる。
「っつーわけで、今日の夜に中宮里奈の死体を燃やしに行くぞ」
そして紅上は、今日の予定を東本に連絡していた。
『……お、おう……。それはいいんだけど……』
「あ? なんかあるか?」
『いや、その……もう一人のお兄さんって……』
「ああ、漣真か。ま、問題ないだろ。そんな心配しなくても、お前は前回と変わらず見張りをやってくれればいい」
『あ、ハイ……』
なにやら煮え切らない感じの答えを返した東本だが、紅上は特に気にせずに「時間になったら来るまで迎えに行く」と言って通話を切った。
そうしてリビングに戻ると、ソファに寝転んだ漣真が、東本の持ち込んだ一口カルパスを大量消費していた。たしか五十個入の箱を買ってきていたはずだが、もうほぼなくなっている。
ええ、とドン引きした視線に気づいたのか気づいていないのか、漣真はこちらを見て「これ、美味いな」と放った。
そんな漣真に紅上はただ、「そうか……」とだけ返した。東本の金で買った物が買った本人でも顔見知りの自分や漣斗でなく、漣真によって消費されている事実に、少しだけ罪悪感を覚えた紅上だった。
*
休日なので惰眠を貪っていれば、紅上から電話がきて、『今日死体燃やすから来い』と言われた。毎度のことながらいきなりすぎる。
しかも、今日は紅上の一番上の兄である漣真さんもくるらしい。いや、どういう面子だよ。漣斗さんでさえ死体を燃やすときは一緒に行ったことないのに。
会ったことない人が一緒という事実に少しばかり緊張しながら東本は一日を過ごし、星の瞬く午前零時。
ピンポーンというチャイムの音が東本宅に響いた。
すぐに紅上だろうと思い、「はーい!」と返事をして最低限の荷物を背負って玄関に向かった。
ガチャリと玄関の扉を開くと、そこには紅上と、紅上や漣斗さんにそっくりな顔立ちの男。
この人が漣真さんか、と東本は思った。うなじまでのサラサラの黒髪も、冷ややかな釣り目も、どこをとっても紅上家の血縁だとわかる。
「あ、どうも、初めまして。えっと、東本幸十です」
ぺこりと軽く会釈をして、漣真さんを見る。漣真さんはフッと、何処か人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて「お前が『依頼人』か」と言った。その言葉に東本は首を傾げる。その様子を見ていた紅上が、「東本がこの件の依頼人だと説明した」と注釈を入れた。
「紅上漣真だ。よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
差し出された手を取り、二人は握手した。
「んじゃ、行くか」
*
いつもと同じ車内で、いつもと同じように小さな音量でラジオが流れている。
でも、隣には漣真さんがいる。その存在だけで、この日常が非日常に変わったように感じた。
漣真さんはよくこちらに話を振ってくる。何が好きかとか、バイトは何やってるかとか。あれが好きでこれをやっててと答えると、ハハッと小馬鹿にしたように、しかしどことなく楽しそうに相槌を打ってくれる。
「東本は今付き合ってる奴とかいんのか?」
「あ、えっと……」
その質問にも素直に答えようとして、――――何とか思い留めた。
馬鹿正直にこの場で「警察官の女性と付き合ってます」とか言った暁には、紅上に殺されかねない。そもそも、漣真さんだって警察から田中愛奈の死体を奪い返したやばい人だ。最悪紅上の前にこの人に殺されるかもしれない。どちらにしても、殺されるのはごめんだ。
「――――今は居ません」
「ふーん? お前、彼女十二人いたんだろ? 作んねえの?」
「痛い目見たもんで」
「モテる奴は大変だなぁ」
「漣真さんだってモテてそうですけど、どうなんですか?」
そう尋ねれば、「特定の相手は居ねえが、女はよく寄ってくるからたまーに遊んでやってる」と返ってきた。東本と引けを取らないタイプのクズ男だった。
そんなどうでもいい話をしていると、車が駐車場に停まった。
「お、着いたか」
「ああ」
漣真さんは真っ先に身を乗り出し、わくわくした様子で車を降りて行った。あんな吐き気しか出ない行為にあれだけ楽しみそうに出ていけるのだから、やはり紅上家はイカれてる。
東本も漣真さんに続いて車を降りた。前に来た時より数度程温度が下がったように思う。段々と秋に向かっているのかと東本は感慨深くなった。
紅上はトランクに押し込められブルーシートの被さった中宮里奈の死体を取り出し、ひょいと漣真さんに渡した。渡された漣真さんも、中身が死体だとは思わせないような冷静さでブルーシートを抱えた。俺だったら絶対慌ててる。
「じゃ、東本はいつも通り見張りだ。なんかあったら知らせろよ」
「はーい」
「行ってくるなー」
「行ってらっしゃーい」
俺は手を振る漣真さんにふらりと手を振り返した。
*
東本と別れて、漣真と共に現場に到着した。
今日は漣真という東本よりかなり役に立ちそうな協力者がいるので、あれこれと指示を出していく。漣真も少しばかりの文句を垂れつつ、テキパキと指示に従って動いてくれた。東本の時とは大違いである。
そうして準備はすぐに終わり、待ちに待った着火の時間である。
「火、付けてみるか」
と漣真にライターを渡せば、「よっしゃ」とガッツポーズをした。これまた東本とは大違いの反応を見せる。
シュボッと音がして、ライターから火が灯る。午前一時を回った暗闇の中、その光は異様に目立った。
そうして火は死体に撒かれた灯油に移される。火はすぐに燃え広がり、瞬く間に死体を覆い尽くした。
炎に覆われ焼け焦げ、爛れていく死体に、紅上はすぐに目が離せなくなった。段々と黒に近くなっていく身体。人の焼ける独特のにおい。紅く燃える炎。焦げた跡の姿は芸術品のように美しいが、そこに至る過程もまた、芸術体験の一種だと思う。紅上は瞬きを忘れて燃え盛る炎に包まれ、焼けていく死体を見つめた。
ある程度すると灯油が尽きたのか、火の勢いが弱くなった。死体はかなり黒くなり、指先などは炭化している。今回は、この位が丁度良いかもしれない。
「火を消す。水ぶっかけるぞ」
「おっ、もう終わりか」
「まだ燃やし足りないんなら灯油追加するが」
「いんや? 漣に任せる」
漣真にバケツ一杯になみなみと入った水を渡し、ぶっかけて貰う。紅上も蛇口から繋いだホースで炎に水をかけていく。すぐに炎の勢いは衰え、蒸気と共に火は消え去った。それを確認して、ホースの水を止める。
改めて焼けた死体を見る。
ところどころ炭化した死体だが、全体は湿ったような黒色だ。先程水をぶっかけたからというのもあるが、人間は約六十パーセントが水分。要は大きな水袋だ。だから焼き尽くすにはかなりの高温の炎が必要になる。灯油をぶっかけて燃えやすくしたとはいえ、水分は残っている。証拠に、パキリと割れた断面から、ピンク色の液体がどろりと出ていた。
中宮里奈の顔は、最早原型すらわからぬほどに焼け焦げていた。窪んだ眼窩が、辛うじて顔の形を認識させる。
これでようやく、中宮里奈も綺麗になった。
その歪な美しさに、紅上はただ感嘆するばかりだった。