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私は一人。窓辺で洋館の庭を見つめていた。庭には見事な薔薇が咲き乱れ優雅だった。
まるで童話の中に迷い込んだような美しさ。
その庭では犬のリキが、メイドさん達とお庭で遊んでいた。
いいな。私もリキと遊びたい。
リキはあの雑木林で出会った犬。桐生様の飼い犬で珍しい西洋犬。とても賢い犬で、ここでは私が心を許せる一番のお友達だ。
リキは綺麗なお庭を駆け回る。桃色や黄色の薔薇が風にそよぐ。
そんな綺麗なお庭を見ても──澪様のお庭でみた花々達の方がずっと綺麗だと感じていた。
連れて来られた広い洋館は綺麗で、食事もお風呂もちゃんと用意して貰える。皆優しい。庭や館内は自由に過ごすせる。素晴らしい環境だ。ありがたいと思っている。
しかし、一人では外に出して貰えない。
今いるのは大阪のどこかもよくわからない。
「それも仕方ないことか」
自分の意思で来たのだから、不満を持つべきでない。
部屋もいつもの和室、なんてことはなく。
大きなベッドに猫足の机、猫足の椅子。ソファにランプ。天井にはチューリップを逆さにしたかのような硝子の照明。
まるで西洋のお姫様みたいな部屋だった。
今、着ている洋服も白い襟のついた水色のワンピース。この部屋に相応しい姿をしていた。
「私に似合っているかは、わからないけど」
もう一度、窓を見つめると澪様の家にいたときより髪が伸びた私がいた。
あれから──澪様と別れて三ヶ月も経ったのだ。髪ぐらい伸びる。
少し、女の子らしくなったとは思う。でも窓に我ながらつまらなさそうな表情をした私がいて、ダメだと思い頬をパチパチと叩く。
足の怪我もすっかりよくなった。今では靴擦れなんかせずに、靴を履きこなしていた。体は元気だ。
「うん。大丈夫。私は大丈夫……」
頬を叩いて程よく気合も入り。机の上の立派な大理石の置き時計をみると、十三時。もうそろそろ先生がやってくる。
今から数学の勉強の時間。
数字はあまり得意ではなかった。漢文や国語。倫理、哲学は好きだ。
物理、化学もちょっと苦手。でも勉強するのは楽しい。
ここでは私は本当に来賓扱いで、何もすることがなかった。その時間が勿体なく。
桐生様に相応しい教養を身に着けると言う建前で、勉強をさせて欲しいとお願いしたのだ。
だって今の私は──桐生黎夜様の婚約者だから。
今は丁寧に扱って貰っているが、また状況が変わるかも知れない。
桐生様が私と心からの結婚を、望んでいる訳じゃないのを知っているから。
いざとなったとき、勉強はきっと私の役に立つと思った。
今度こそ何かあったら。先生を目指せるその準備をしておきたいという──希望でもあった。
「うん。だから今日も頑張ろう。大丈夫」
気合いを入れると、コンコンと扉を叩く音がした。
きっと先生だと思い、椅子にさっと座ると。
扉を開けたのは桐生様だった。
桐生様は白いシャツに黒いズボンを身に付けていた。飾り気ない、スッキリとした出立ちが良く似合う。身長が高くお顔も整っている。まるで西洋の彫刻みたいな人。
その整ったお顔が私をみて微笑した。
あの雑木林で見せた鋭い視線はない。
私はマナー教師に教えて貰った通り。椅子から降りてお辞儀をした。
「こんにちは。桐生様。本日もご機嫌麗しく、お慶び申し上げます」
「こんにちは千里様。今日は勉強は少しお休みして、私と喋りませんか」
そう言うと、丁度部屋にメイドさんが銀色のお盆に紅茶とクッキーを運んで来た。
机の上に紅茶とクッキーを置いて、メイドさんは静かに部屋を出て行った。
桐生様と私。部屋で二人っきりのお茶会。
桐生様が私の椅子を引いたので着席をした。
今まで時々こう言う時間があった。お菓子もお茶もとても美味しい。向かいに座る桐生様も穏やかだ。
でも──なんだか……上手く言えない。自分の気持ちがはっきりしない。
それもいつものことだと、諦めていると桐生様が紅茶をどうぞと進めて来た。
今日のカップは白磁に金の彩り。とても麗しいカップだ。
お礼を言ってからカップに口をつけると、桐生様が口を開いた。
「千里様。ここに来て三ヶ月ですが、調子はいかがですか? 最近はとても勉強に力が入っているとか」
芳醇な香りの紅茶で唇を潤してから、そっとカップを机の上に置く。
「調子は問題ありません。優秀な家庭教師をつけて頂き、感謝しております」
「そうですか。家庭教師が言ってましたよ。千里様はとても優秀だと。
「ありがとうございます。これからも頑張ります……」
『頑張ります』そのあとの言葉が思い浮かばず。
代わりに窓の向こうで、リキがワンっと元気よく鳴く声がした。
でも私はそれ以上、言葉を続けることができなくて。
「…………」
「…………」
口が石のように固くなってしまった。
桐生様の言葉もぴたりと止まった。
あぁ。
なんで私は桐様と上手くお喋りが出来ないのだろうか。ここに来て事情は全部説明して貰って、あの雑木林の乱暴な出迎えは、今では一応は納得はしているのに。
桐生様も紅茶を一口飲んで。
軽く咳払いしてから違う話題を振ってきた。
「──すぐに本題に入れば良かったですね。失礼しました。実は、我々の結婚のことについて、話したいことがあり来たのです」
「結婚……」
「そうです。式はまだ調整中ですが二週間後に侯爵、仙石家現当主のお婆様。百合子様が催されるお茶会があります。そこで我々の婚約報告して、見届け人になって頂くことになりました」
「仙石百合子様……!」
その名前にびっくりする。
私の家に口伝で伝わっていた系譜によると、その仙石様とは実は遠縁ではある。
祖先を身籠った方が──淀君様。
その高貴な名をずっと澪様と臣様に言えなかった。
淀君様は浅井三姉妹の長女。
次女、三女の方もそれぞれ高名な武将や家柄に嫁ぎ。この現代にも血を残している。その血脈の中には天子様と続くものがある。
そして仙石家は浅井三姉妹の次女。お初様の血脈。
だから元を辿れば私は恐れ多くも、仙石様と遠縁になる。
これが私の家に伝わる誰にも言えない秘密。
自らは決して言わないことではあるが、私の家にはそう伝わっていた。
「で、でも。桐生様は問題なくても、私が本当に仙石様にお会いしても、大丈夫なのでしょうか」
系譜はあくまで口伝。戸籍にはそのような証明がない。
そう思って桐生様を見ると、何も心配ないと微笑された。
「それも何も問題ありません。千里様が家に伝えていた、数々の宝物。書物、茶碗、茶道具、着物、装飾品……桐生の分家が荒らしたもの全ては、回収しております。それらは鑑定して本物だと証明されました。そのほとんどが重要文化財、中には国宝にも匹敵するものもあるとお伝えしたはずです。その宝物達があなたの血筋を証明している」
「…………」
私の祖先。大爺様──千利休と淀君様。
大爺様が処刑後。
ご落胤のその子供は表向きには死産とされた。表の記録にも残ってない。
けど実はこっそりと宇治の山奥のお寺に預けられ、生き延びていのだ。それが私の祖先。
そうして私達一族はひっそりと山に住み。その出自を隠して生きてきた。
法螺だと言われたら、それまで。
しかし代々引き継いで来たものの多くに豊臣縁の品物と、千利休の名が入った書物にお椀もあった。
伝わっているものが本物かどうかは私には分からなかった。
それでも漆器や掛け軸。銀細工の簪、鼈甲の櫛。どう見ても高価なものも沢山あった。
それらが本物だと証明されなくても別に良かったのだ。
祖先がどうであれ、私達は自然の中でお茶を愛でて生きていけたら、それで良しとしていたから。
でも、桐生様が……いや。桐生家が全てを暴いた。明るみにした。
お父さん、お母さんが生きていたらどう思うだろうか。どうしたら──いいのか。
何が最善かは分からないが、祖先が繋いでくれた命を、私で終わってはいけないと言うことだけは分かっていた。
「千里様は今も、桐生が手荒なことをしてしまったことを気に病んでいるのですね。大変申し訳ございません。これからは私が千里様をお守りします……家系のことも含めて正しく後世に伝える準備をさせて頂きますので、ご安心してください」
私の沈黙を心の迷いとして、桐生様に見抜かれたかと思った。
きっと大人の立場として、桐生様の行動は正しいのだろう。それでも「はい」としか返事が出来なかった。
胸に迷いを秘めたまま。答えを出さずに桐生様の凛々しい瞳を見つめる。
「……桐生様のご祖先様は淀君様の信頼も厚い上級家臣。戦場で数々の武功を立て、台閣様から『桐紋』を賜った家系。その武勲で今は華族であり。代々の警察官僚、軍人の一族となったんですよね」
教えて貰ったことを、間違いはないかと確認するように尋ねた。
「その通りです。そう言った高い地位にあるのも、全ては我々の祖先を召し上げてくれた、淀君様のおかげです。淀君様が居なかったら我々桐生家は戦乱の渦に飲み込まれ、この時代に居なかったことでしょう」
いつもの口調より、やや熱が入った桐生様のお言葉は今でも淀君様への信頼と忠誠を誓っていると感じた。
桐生様は微笑み、紅茶を一口飲む。
「それで、桐生家はとこしえの忠誠を淀君様に誓った。だから、ずっと私を探していた……『古き命』とは。淀君様のお言葉『子供をどうか守って欲しい』という願いのことですよね?」
「そうです。その命を全うしようにも時は戦乱と流れ、生き残るのに必死だったと家に記録が残っています」
桐生様は凛々しい瞳を曇らせ、そうして私の祖先を見失ってしまったと呟いた。
でも次の瞬きには私を見つけて本当に、良かったと微笑むので私は下を向いてしまった。
「ですが今は昔みたいに桐生家も一枚岩ではなく。桐生は私の本家筋、分家筋に別れてしまい。気持ちも志も別れてしまった。我々本家は古き命を全うしたいが、分家筋は命よりも残されたお言葉よりも、残されているであろう。宝を見つけ出そうと躍起になった」
そうして運悪く。
分家筋の桐生家が私の家を見つけてしまったと言うことが、全ての始まりだった。
分家は本家筋に私のことが見つかる前に、荒くれ者を雇い。全てを物にして私と婚約関係を結ぼうとしていたらしい。
しかし、それはすぐに本家の桐生黎夜様に露見し。私が逃げ出すという予想しないことが起きたこともあって、桐生家は大いに揉めたらしい。
結果、本家筋が私の家にあったものを全て回収し、今後も管理出来るようにと鑑定に出した。
そうして私は本家当主。桐生黎夜様が迎え入れるとと言うこで意見が一致したのだと言う。
私の意思はまるで無視である。
でも……このまま何も桐生様が手を打たなかったら、私の家にあったものは全てバラバラになり。私は分家筋に捕まり、とんでもない目にあっていたのだろう。
桐生様は宗南寺の一件で私が藤井屋の一員となってしまい。全てを正直に藤井屋に話すことは無理だと判断して、あのような一幕になったそうだ。
それについては、乱暴だと思うしかない。
じゃあ、他に何か良い手段があったのかと言われると返答に困る。だから一連のことは納得せざるおえない。
「千里様に狼藉を働いた者達は然るべき処罰をして、律しました。私のそばにいれば何も問題ありません」
にこりと笑う桐生様。
やはり返答に困る。
どう、律したのか大変気になるが──桐生様の家系は武士。侍なのだ。
桐生様は現役の警視庁幹部。警視正様。
家系から見ても実直にして真面目。一本気、誠実。言い換えれば頑固な気質なのだろう。
だから、本当にこのまま私達は結婚していいのか問う。
「桐生様は私を守るといいましたが、私以外に守りたい人はいないのですか? その、好きな方はいないのでしょうか。仙石様に婚約を見届けて貰うことは、もう二度と約束を違えることは出来ないのでは」
「世間では恋愛をして結ばれるのが良いことなのでしょう。それは否定しないが、人は恋愛だけで生きて行く生物でもない。使命、誇り、仕事に命を捧げる人間もいる。私は後者だったということだけです」
その言葉は私が、婚約を受け入れたときの言葉と変わらない言葉だった。
恋愛感情で私と結婚するのではなく。昔の命令で結婚を決めてしまう。
それを私は潔いと思った。
人にはそれぞの生き方がある。決めると言うのは覚悟があることだ。
「不粋な質問をしてすみませんでした」
「いえ。疑問に思うのはごもっともですから」
私も覚悟を決めてここに来たから、桐生様が本音で話してくれたから、婚約者と言うのを受け入れたのだった。
そうすれば澪様も臣様も。今後、誰にも迷惑を掛けずに生きていけるはず。
これはいわゆる政略結婚なのだろう。
それを口の中で反芻し。咀嚼し。紅茶でお腹に落とし込もうと思ってカップを手にした。
カップの中の紅茶に私の顔が写り。ゆらりと表面が揺れたそのとき。
私の顔が歪み『それでいいの?』とカップの中の私に言われたような気がして、思わずカップを置いてしまった。
その問い掛けを無視するように、カップから目線を逸らし。
迷って彷徨う手はクッキーを摘み。
全てを飲み込むように、口へとさくりと食んだのだった。