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MOMO🩲
ひな
104
けだま15号🍓🐾໊
6,356
夕鳴
128
その日。
旅僧は山道を歩いていた。
久しぶりの一人旅。
穏やかで。
静かな道。
風が吹く。
木々の葉が揺れる。
鳥の声が。
遠くから聞こえてくる。
足元には。
春の花が咲いていた。
どこまでも。
何も起こらない。
そんな道だった。
旅僧は。
それを少しだけ。
物足りないと思っていた。
けれど。
同時に。
それが嬉しくもあった。
しばらく歩いたところで。
小さな石碑が見えた。
旅僧は。
足を止める。
「……ここでしたか」
見覚えのある場所。
昔は。
何もなかった。
ただの山道だった。
石碑など。
もちろん。
花もなかった。
けれど。
今は違う。
石碑の前に。
一輪の桔梗。
その両脇に。
一輪の菫と紫苑。
三つの花が。
並んで咲いていた。
旅僧は。
しばらく黙っていた。
そして。
静かに微笑む。
「来ましたぞ」
声を掛ける。
返事はない。
もちろん。
返ってくるはずもない。
それでも。
不思議と。
誰かが聞いている気がした。
旅僧は。
石碑の前へ腰を下ろす。
持っていた杖を。
脇へ置いた。
それから。
ゆっくりと話し始める。
昔話を。
少しずつ。
ゆっくりと。
鬼哭村のこと。
餓狼のこと。
花守のこと。
渡守のこと。
鐘撞きのこと。
墓守のこと。
そして。
桔梗のこと。
時々。
旅僧は言葉を止めた。
思い出せないのではない。
言葉にしてしまうと。
何かが変わってしまうような。
そんな気がしたからだ。
それでも。
話した。
何度も。
同じ話をした。
名前を忘れないために。
あったことを。
無かったことにしないために。
桔梗が。
確かにここにいたことを。
旅僧は。
最後まで話した。
長い時間が経った。
いつの間にか。
陽が少し傾いている。
旅僧は。
小さく息を吐いた。
「……さて」
立ち上がろうとした。
その時だった。
「何してる」
静かな声。
旅僧が。
振り返る。
思わず。
笑った。
そこにいた。
見慣れた旅装。
腰の刀。
相変わらず。
不機嫌そうな顔。
風に揺れる。
黒い髪。
葛城佐衛門。
「来ましたか」
佐衛門は。
答えない。
ただ。
石碑を見る。
長い沈黙。
風だけが。
二人の間を通り過ぎていく。
やがて。
佐衛門は。
小さく頷いた。
「……ああ」
静かな声だった。
昔より。
ほんの少しだけ。
柔らかい。
けれど。
相変わらず愛想はない。
旅僧は。
肩を竦める。
「桔梗殿も喜びますな」
佐衛門は。
何も答えなかった。
ただ。
石碑の前へ。
しゃがみ込む。
懐から。
一輪の花を取り出す。
紫色の花。
菫だった。
それを。
そっと供える。
桔梗の隣へ。
風が吹く。
四つの花が。
揺れた。
しばらく。
二人とも。
何も言わなかった。
それで。
十分だった。
その時。
どこからか。
懐かしい声が。
聞こえた気がした。
『遅い』
佐衛門の目が。
僅かに細くなる。
そして。
本当に珍しく。
柔らかく笑った。
「知るか」
小さな声だった。
旅僧は。
何も言わない。
ただ。
笑った。
風が吹く。
桔梗が揺れる。
菫も揺れる。
まるで。
誰かが。
二人の会話を聞いているようだった。
春の日差しが。
山道を照らしている。
暖かな光だった。
一人の旅人と。
一人の剣士は。
しばらく。
そこに座っていた。
何も言わず。
ただ。
花を眺めていた。
やがて。
旅僧が口を開く。
「随分と長い旅でしたな」
「ああ」
「いろいろありました」
「ありすぎだ」
「違いありません」
旅僧が。
笑う。
佐衛門も。
少しだけ。
口元を緩めた。
鬼哭村。
名を失った者。
忘れられた者。
そして。
桔梗。
佐衛門は。
石碑を見る。
名前が。
そこに刻まれている。
消えないように。
忘れないように。
誰かが。
残した名前。
佐衛門は。
しばらく見つめたあと。
立ち上がった。
「行くぞ」
旅僧も。
立ち上がる。
「そろそろ行きますかな」
「ああ」
二人は。
山道へ戻っていく。
何度も歩いた道。
けれど。
今日は。
少しだけ違って見えた。
旅僧が。
ふと振り返る。
石碑の前に。
三つの花が咲いている。
桔梗。
菫。
紫苑。
風に揺れている。
ただ。
それだけだった。
それでも。
旅僧は。
微笑んだ。
「……また来ましょう」
佐衛門は。
振り返らない。
「好きにしろ」
「では」
旅僧が笑う。
二人は。
そのまま歩いていく。
春の山道を。
ゆっくりと。
どこまでも。
風が吹く。
花が揺れる。
遠くで。
鳥が鳴く。
何も起こらない。
何も追ってこない。
それが。
少しだけ。
寂しいような。
そんな気もした。
けれど。
佐衛門は。
歩みを止めなかった。
旅僧も。
隣を歩く。
しばらくして。
どこか遠くで。
鐘が鳴った。
ゴォォォォン――。
二人は。
振り返らなかった。
ただ。
歩いていく。
道の先へ。
その背中が。
山道の向こうへ消えていく。
風だけが。
後に残った。
石碑の前で。
桔梗が揺れる。
菫も揺れる。
紫苑も揺れる。
そして。
その間を。
一枚の花びらが舞った。
誰のものかは。
分からない。
けれど。
春の風に乗って。
どこまでも。
遠くへ飛んでいった。
『覚えていてくれるなら』
『私は居た事になるから』
その約束は。
守られた。
名前は。
残った。
記憶も。
残った。
そして。
今日も。
誰かが。
その名前を呼んでいる。
桔梗。
その名は。
もう。
忘れられない。
――完
コメント
1件
読了しました……最終話、この静けさがとても沁みました。旅僧が一人で石碑に向かって語りかける場面から、佐衛門が現れて無言で菫を添えるところまで、すべてが「約束」の重みと優しさをそっと運んでくれましたね。桔梗の言葉「覚えていてくれるなら、私は居た事になる」――その約束が、ちゃんと守られた。何も起こらない春の道を二人並んで歩く背中に、涙が出ました。素敵な物語をありがとうございました🌷