コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
真昼は三角公園のベンチに腰掛けると爆弾処理班のような真剣な面持ち、かつ、慎重な手付きで小包のガムテープをペリペリと剥がした。
「・・・・・・え?」
そこに入っていたのは渋い和柄の長細い包み、手に持つとずっしりと重かった。裏返すと白いシールが貼られていた。
「賞味期限は来週なんだ、意外と早いわね」
目を凝らして見ると主原料は小麦粉、餅米、砂糖、小豆、塩とあった。
「温泉饅頭、なんで温泉饅頭」
真昼が首を傾げて梱包材を退かすと水色の封筒が入っていた。便箋には週末に郵便局の慰安旅行で温泉に行って来た事、お土産になにを買って良いのか迷ったが思い付かず名物の温泉饅頭を買ったのだと書かれていた。
<元気出して下さい 玉井>
どうやらここ暫く龍彦との離婚問題で頭を悩ませ沈んだ表情で気落ちしていた真昼を気遣ってくれたのだという事が見て取れた。和菓子はあまり好きではないが、その気持ちが嬉しかった。
(龍彦とは大違いだわ!)
不倫が明らかになった頃、龍彦は言い訳がましくニューグランドホテルのミルフィーユを買って来た。あれ以来、真昼は大好きなミルフィーユが|辛《つら》にくく二度と食べるものかと心に決めた。
それに比べてこの玉井真一の心遣いは優しさと思い遣りに溢れ、その存在は癒しではなく異性として好意の対象になる事は至極当然の事だった。
(玉井さんが好きーーーーー!好き好き、大好き!)
そして封筒の中には玉井真一の名刺、裏には090-94**-****個人携帯番号が添えられていた。
「えっーーーーなに、これ!」
真昼は名刺を両手で摘むと空高く掲げ、それの匂いを嗅いで封筒の中に戻した。整髪料なのか、ウッディな香りがした。
(・・・・・・)
一度封筒に戻しては見たものの、ピンクゴールドの腕時計の針を確認すると閉局時間はとうに過ぎていた。
(お仕事終わったかな)
封筒を開いて名刺を眺める。
(お礼、しなきゃ)
真昼はポケットから携帯を取り出すとその画面を凝視した。玉井真一の携帯電話番号を打ち込み、発信ボタンを押そうと人差し指を伸ばしたがそれは躊躇われた。
(い、いきなり電話、なに話して良いか分かんないじゃない)
無難なところで、とショートメールメッセージを打ち込んだ。
玉井さん田村です
お饅頭ありがとうございました
明日、渡したいものがあるので都合が良ければ、お仕事の後、三角公園でお会い出来ませんか
返信がなくハラハラしていると数十分後にピコっと着信音が聞こえた。自宅に戻り手洗いうがいをしていた真っ最中で、真昼は口の周りを拭く事もそっちのけで携帯電話を手に取った。
わかりました17:45に待っています
おやすみなさい
なんとも素気のないメッセージだったが「まぁ、こんなものか」とエプロンを着け、ブラウスの袖を捲るとボウルや測りを準備し始めた。
「おい、こんな時間からなにするんだ」
振り返ると父親が温泉饅頭の包装紙をビリビリに破いて箱を開けている。
「ああーーーーー!なんで勝手に食べるかな!」
「おまえ、和菓子食べねぇじゃねぇか」
「それは普通の和菓子じゃないの!」
「饅頭じゃねぇか」
あっという間にそれは口の中に頬張られていた。
「お父さん!」
「もう一個食べて良いか?」
「もう好きにして!糖尿病になれば良いのよ!」
そして真昼は小麦粉の粉を篩い、甘い砂糖とバターを練り込んだ。型抜きは大小のハート、今回は食紅も準備した。
「なに作ってんだ」
「お父さんの分はないから!」
「親不孝な奴だな!」
「うるさい!」
そのクッキーは160℃でじっくりと優しく焼き上げられた。
金曜日
午後になり鈍色の雲が重く垂れこめて来た。16:00を過ぎる頃には黒い雲が空一面を覆い始め「今日は早めに郵便出して来い」と社長に背中を押されて郵便局の自動ドアを踏んだ。
真昼としては玉井真一とメッセージをやり取りした昨日の今日でどんな顔をすれば良いのかと思い悩んでいた。
(あれ?)
然し乍らそこに玉井真一の姿はなく、プロレスラー小動物系女子がつけまつ毛をバサバサと上下させていた。
(いつもに増して化粧が濃いわね)
大牟田美々子はまた不敵な笑みを浮かべて真昼の顔を見上げた。これもまた女性の勘、明らかに牽制している。
(ーーーーうっ、しかもこの角度は下顎が垂れて見える!)
若さを武器にされれば32歳、木っ端微塵。悔しい思いをしながら会社に戻るとポツポツと雨が降って来た。
「こりゃあ、本降りになるな」
「やっぱり?」
「やっぱりもスッパリもねぇだろ、土砂降り確実だ、早く帰れよ」
「う、うん」
待ち合わせの時間は17:45、それ以前に待ち合わせ場所の三角公園に|東屋《あずまや》はない。
(えぇ、どうしよう)
真昼は玉井真一にショートメールメッセージを送信してみたが返信はなかった。郵便局にもその姿はなかった。心の中まで雨模様になってしまいそうだ。
(もしかしたら、土壇場ではい、やーーーーめた!とか)
「おい、真昼、早く帰れ」
「う、うん」
はぁーーーと大きなため息が漏れる。
(そりゃそうよ)
相変わらず傘を持たない真昼は玄関ポーチを一歩踏み出した。
(あんな若い男の子がこんなおばさんを相手にする訳ないじゃない)
パッパーーーー!
突然の車のクラクションに飛び上がった。街路樹の路肩にセダンタイプの白い車が停車していた。打ち付ける激しい雨、幾筋の雫がフロントガラスを流れ落ちて中が見えない。真昼が首を傾げていると運転席の扉が開いた。