テラーノベル
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「……ふふふ。今日こそは完璧なご挨拶をしてみせよう。さぁ、鏡よ、鏡。私が笑えば、人間は恐れずに返してくれるだろうか……?」
漆黒の甲冑に身を包み、燃えるような紅い瞳の魔王は、大広間の鏡の前で「にこっ」と笑ってみせた。
だがその顔は、笑顔というより牙をむいた獣の威嚇にしか見えない。
「……だ、だめだな。これでは人間を安心させるどころか、恐怖を倍増させてしまう……。笑顔とは難しいものだ」
魔王は爪で顎を撫でながら深いため息をついた。
「私は千年に一度現れる大魔王と呼ばれている。人間たちは恐れ、討伐を企てる。だが本当は……私は人間と仲良くしたいのだ。ただ一緒に食事をし、酒を酌み交わし、笑い合いたいのだ」
そう呟き、魔王は立ち上がった。
――その日の昼、人間の村。
「きゃーっ! 魔王だーっ!」
「逃げろーっ!」
黒いマントをはためかせて現れた魔王に、村人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
魔王は慌てて両手を広げ、大声で叫ぶ。
「ま、待て! 今日は戦いに来たのではない! これを見よ!」
どすん、と地面に置かれたのは大きなバスケット。
中には焼き立てのパン、果物、野菜がぎっしりと詰め込まれている。
「差し入れだ! わが城の畑でとれた新鮮な作物と、私が一晩かけて焼いたパンだ! 人間の皆と仲良く食べたくてな!」
村人たちのざわめきが止む。
「……ど、毒が入ってるんじゃないのか?」
「魔王がパンを……?」
魔王は必死に首を振った。
「違う! 決して毒など入っておらぬ! むしろ体に良い! 魔界麦を練り込んだパンは腹持ちが良く、子どもでも安心して食べられる!」
恐る恐る子供がパンを受け取り、一口かじる。
「……あ、あまい!」
「だろう!? 魔界のはちみつを混ぜてあるのだ! 美味かろう!」
「うん!」
子供の笑顔が広がり、大人たちの表情も少し和らぐ。
村長が前に出てきた。
「……魔王よ。本心から仲良くしたいと言うのなら、今夜の宴に加わるがよい」
魔王の瞳が輝いた。
「おお……! 本当に良いのか!」
――その晩、村の広場は大騒ぎとなった。
焚き火を囲み、人間と魔物が肩を並べて歌い、踊り、食べる。
「おかわりだ、魔王さま!」
「よしきた! パンも肉もまだまだあるぞ!」
魔王は感極まって涙を流す。
「……夢にまで見た光景だ。人間と魔物が杯を交わし、共に笑う日が来ようとは……!」
そこへ、勇者が現れた。
「待て、魔王! その命もらい受ける!」
剣を構えて広場に飛び込む勇者に、村人たちが慌てて止めに入った。
「勇者さま、違うんだ! 魔王さまは今日は敵じゃない!」
「なに……?」
勇者が目を凝らすと、魔王は大きな魚を焼き網に乗せ、うちわで扇いでいた。
「よし、そろそろ焼けたぞ! 勇者も食べるか!」
勇者は唖然としながら魚を受け取り、一口。
「……う、うまい!」
「だろう!? 魔界香辛料で味付けしてあるのだ!」
勇者はしばらく黙って魚を食べ、やがて剣を鞘に収めた。
「……戦うの、やめてやる。お前がこんなに楽しそうなら、それでいい」
「そうか! ならば一緒に宴だ!」
人間も魔物も勇者も入り混じり、夜明けまで宴が続いた。
――それから。
魔王は人間と畑を耕し、学校を建て、祭りを催した。
勇者はその隣で子供たちに剣を教え、村人たちは魔物と協力して森を守った。
「なぁ、魔王さま」
「なんだ?」
「……ほんとに、人間と仲良くしたかっただけなんだな」
「もちろんだ! それ以外に何がある!」
魔王は笑った。今度は心からの、恐ろしくも優しい笑顔で。
――こうして世界は滅びるどころか、かつてないほど平和でにぎやかなものになったのだった。
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