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「意外と、冷凍餃子って美味しいよねえ……ほらうどんも、乾麺や冷凍のが美味しいじゃん……もちもちしこしこしてたっまんないよねえ」
スーパーの冷凍食品コーナーでカートを押しながら広坂がふと見れば――彼女は通路の真ん中で下を向き、頭に手を添え、呆然と突っ立っていた。……どうしたのだろう。
「……夏妃。どうした……?」
はっ、と息を飲み、顔を起こすと彼女は、
「――あたしとしたことがぁああ!」
涙ながらに叫んだ。何事かと見るひとの目線も気にならないのか。舞台俳優になったかのオーバーリアクションで彼女は、
「宇都宮の民だというのに! 結婚して二ヶ月半も経つというのに! あなたに! 嗚呼愛しいあなたに! 餃子を! 宇都宮の民のソウルフードたる餃子を! 作ってあげられていないだなんて! 嗚呼嘆かわしい! この嘆きを! いったいどうしてくれようか!」
汀こるもの先生の小説のキャラさながらの美声をお披露目する。そんな彼女にくすくす笑って広坂は近づき、「いろいろ……忙しかったんだからね。仕方ないよ。気にしないで……って言ってもするか。きみのことだから……」
彼女の細いウエストにそっと腕を回し、広坂は、
「それでは、今宵は宇都宮の女神たるあなたの腕前のお披露目と行きましょうか」
「野菜の水分は、絞らないの。敢えて」
「……敢えて」ふむ、なかなか難しい。一人暮らし歴の長い広坂が餃子の具を包むのはいつ以来か。思いだせないくらい昔のことである。「……あんま自信ないんだけど、こんな感じ?」
「あーいいいい。広坂さん、上手ぅ……」
「きみの教え方が上手だからさ」
「んもう。広坂さんったら……」新婚さんのイチャイチャを邪魔する者など誰もおらぬ、自由な広坂宅のリビングにて。懸命に餃子の具を包んでいくふたりである。
「……出来た」包み終えた餃子の量に目を見張る広坂。……これ、いつ食べれんだ? てか食べきれんのか……? ひぃーふぅーみぃー、……やめた。五十個くらいはあると見た。しかしながらこの場合における広坂の選択肢といえばひとつである。――ギャル曾根さんを見習い、食べきる! ……のみ。
「ホットプレートがあるといいんだけどね」一方、広坂の仰天ぶりに気づかぬ体で餃子を乗せた大皿をキッチンカウンターに置く彼女。「いっぺんに、五十個くらい、ばぁーっと焼けんだけど」
声をふるわせ、広坂は、「……だいたい、何個くらい食べんの? きみ……」
「――三十個くらいかな」平然と答える彼女が怖い。「餃子のときはなんか格別で。白飯わっしわしと味わいながら掻きこむの。なんかもう気が狂ったみたいに。ビールもぎゅいぎゅい行くよ?」
……恐ろしい。その細いからだのいったいどこに消えるのか? この膨大な量の餃子が……。
広坂の当惑知らず、手際よく彼女は準備を進めていく。――いよいよ、餃子を焼く時間となった。
「カンカンにフライパンをあっためんの。煙が出るくらいに」火災報知器が心配になるくらい、フライパンからもうもうと煙が立ち上がっていく。勿論、換気扇は『強』だ。「それでね、ケトルでお湯を沸かしておくの。100cc。お湯を入れるのがポイント。水だとジューシーに仕上がらないんだ」
一旦火を止め、湯が沸くのを待ち、餃子をどんどんフライパンに乗せていく。じゅう! と気持ちのいい音があがる。たまらず、広坂は喉を鳴らした。ああ美味そう……。やがて彼の眼差しに羨望の念が混ざり始める。彼女にいっぱい触れられる餃子さんが羨ましくなる……料理にまで嫉妬するなんて、馬鹿げていると彼自身分かっているけれども。
「次。焼きまぁす!」一気に湯を投入、すかさずフライパンの蓋を閉める。じゅうじゅうじゅう、と餃子たちがうなりをあげている。食欲をそそる匂いが充満する。「さぁて。きみたちきみたち。美味しくたんまり食べたげるから、美味しくなって、待っててね☆」
るんるん『ララサンシャイン』を歌いだす彼女の様子に広坂は笑みを漏らす。こうして一緒に暮らしていても、まだまだ知らないことだらけだ。大体、彼女の性感帯は把握していたつもりでいたが、例えば……山崎といてなにが楽しかったのか。六年もの歳月をかけた理由。それに、趣味嗜好……。辛いものが好き甘いものが好き、ダウンタウンや有吉弘行が好きという共通点はあれど、たった二ヶ月ちょっとの日々で、ふたりがそれぞれ構築してきた三十年余り――広坂の場合は三十九年――その孤独を埋めるにはやや、物足りない。
五分後にキッチンタイマーが鳴り、ミトンをはめた手で彼女は蓋をあける。「わー。美味しそー!」
「……おお」
フライパンのなかでじゅうじゅう餃子が焼けている。湯気に油に……食欲をそそる匂いがハーモニーを奏で、味覚のみならず聴覚視覚をも刺激する。たまらない。
ここで彼女が油を足す。「ちょっと……離れてて」
「はい」素直に広坂が答えるとじゅうう! と強く焼きあがる匂い。火は常に強火。ここで弱気になって火を弱めてはうまくいかないらしい。彼女はフライ返しを使い、餃子のこんがりと焼けた面を上にして皿に盛り付けていく。
「さーて。☆ほっぺが落ちちゃう餃子☆夏妃スペシャル☆の出来上がりぃー!」
ぱちぱちぱち。
と広坂は拍手を送っていた。「その、……これ、あいつにも作ってやったの?」
中華料理屋の店員ばりの見事な料理を披露されたというのに、広坂の口からこぼれるのは何故か、夏妃の過去への追及、だった。
「えー? 山崎に、ってことぉ? ……ううん」
餃子を皿に並べ終え、フライパンをコンロに置くと、ずい、と夏妃は広坂の顔を覗き込み、
「……譲さん。妬いてる?」
かぁっ、と頬が熱くなった。「や……その」直後、素直に広坂は認めていた。「うん。正直に言う。すっごい、……妬いてる。こんなにも素敵なきみを、六年間も独り占めしてたあいつに嫉妬してる。悔しい、って思う……きみの素敵な一面を見せつけられればられるほど、強欲で情けない自分が顔を出すんだ……なんでもっと早く……動かなかったんだって」
「……広坂さん」
「女々しくてすまない。せっかくいい気分なのに……ごめんな」
「いいのよ」そっと広坂を抱き寄せる彼女は、「……うん。広坂さん、ひとりでいっぱい抱え込んでるから……思ってること素直に言ってくれて、あたし嬉しい……。仕事ばりばりこなせて自信満々の広坂さんも大好きだけれど、ほんのちょっと弱い部分を露出する……広坂さんも、好きだなあたし」
「露出するって」広坂は笑った。「なんか……なんてんだろ。胸が切なくなる。こんな気持ち、初めてだよ……きみと一緒にいればいるほど、おれのなかでいろんな気持ちが膨れ上がっていく……」
「我慢してたんだね広坂さん」エプロンを外すと彼女は、「きっと、広坂さんはそれだけひとりで抱え込んできたんだよ。全部全部。人間、調子が悪いときっていうのは、感情が平坦に感じられるの。情動が普段ほど豊かじゃなくなり、自分のことなのに、どこか遠い世界の出来事を目の当たりにしてる、って感覚が当たり前になってしまう」
どきりとした。あの一件での自分の変化を指摘された気がしたからだ。
「だからね。もう、我慢しない。思ったことはなんでも言って? あたし、広坂さんの気持ちひとりぶんを受け入れるだけの、キャパシティは持ち合わせているつもりよ? 伊達に三十二年も生きちゃいないんだから」胸を張ると彼女は、「さぁ。アッツアツのうちに食べましょう。いっぱい喋ろうね――広坂さん」
あたたかな彼女の情愛に包まれ、凍てついたそこに清流が流れ出す感覚――愛する者を目の前にすると抱かざるを得ない感情――広坂はそれと、向き合っていた。
「――甘えてもいい?」
「勿論よ」
やわらかなそこに顔を埋める――と、たちまち、広坂の目から涙があふれだす。これは――安心だ。すべてを打ち明けて、初めて得られる安堵の感情……。いままで、強い自分を構築するばかりで、認めていなかった自分の正体。弱い自分がどんどん、あふれていく……。
泣きじゃくる広坂の頭を撫でる彼女のやさしい手つき。この年になって、という抵抗感も虚しく、いったい自分はどうしてしまったのか――疑問をよそに、あふれるものが、ただ、止まらない。
彼女は、広坂が落ち着くまでを待ってくれていた。なにも言わず。やさしく背中や髪を撫でる手つきを止めることなどなく。ひとしきり泣き終えると広坂は、
「……あー落ち着いた」
彼女の笑う、気配。顔が見えなくてもなんだか……安心する。その安堵に身を委ねる広坂に、彼女が、
「会社で働いてるだけじゃ分かんなかった。あなたが……どんな男だというのかが」広坂の髪を撫でながら彼女は、「こんなに……情に厚くて。女を可愛がるのが大好きで、自分よりも相手を先に導くことに執念を燃やす、とんだどMさんだってことがね……」
「――女王さまは今日は来てくれないの?」
「どうでしょう……」妖艶に彼女は笑う。「それは……あなた次第ってことで、どうでしょう……んっ」
衣類越しに舐められ、彼女はあえいだ。そんな彼女に、
「……立ってる」
形勢逆転。身を起こす広坂は、
「こっちは……どうかな?」
「やっ……」スカートの下に手を潜らせる広坂の手つきのいやらしさといったら。「そこ、だめ、……んっ」
「――開いてる」
的確に指摘する言葉と動き。猛々しい雄と化した広坂が、「見せて……あなたの、穴……。どんなにぱっくり開いているのか……この目で、確かめたい」
性急にストッキングを脱がせ、スカートをまくりあげ、男を誘うそこを、凝視する。薄闇のなかでてらてらと光る。かがやきを放つそこに口づければ、たまらず女が声をあげる。「やっ……んんっ、んっ……」
魅惑的な嬌声が広坂の聴覚を刺激する。広坂はまだ知らぬ彼女に問いかける。――まだだよ……夏妃。きみのことをもっともっと、気持ちよくしてあげる……それが出来るのはこの世でおれだけだ。
独占欲と支配欲に見舞われる広坂はただ、愛を表現する。唯一無二の女神へと想いを伝える化身と化す。愛という空蝉を映す鏡の。
彼女と繋がると、もっともっと深い部分で結ばれた気がした。いままでにない自分を見せたことで彼自身、気持ちの整理がついていた。もっと深く愛せる……隠し持つ彼の深淵が求めている。彼女という、愛を。
愛を深く表現する広坂は、彼女の一挙一動に目を凝らした。より感じさせることで、自分の興奮も高まる。いままでの価値観を変えるセックスがそこにはあった。まだまだ奥が深いものだと思い知らされる。――愛という行為は。
朝方まで彼女の肌を貪った。いつも、金曜土曜の夜は一晩中セックスをすると決めている。習慣化された習慣。けれども広坂のなかで夏妃への愛は、定型化されることなど許されない、いつまでも鮮明に咲き誇る花であった。
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