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Shinsa43
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古明地さとりは妹?!
〜あらすじ〜
地霊殿の主として、怨霊の管理から各種の書類仕事まで、休む間もなく働き続けてきた古明地さとり。
誰にも弱音を吐かず、周囲の心を読みながら自分だけは無理を重ねた結果、その心はついに限界を迎える。
診察した八意永琳は、さとりの状態を見て静かに告げた。
「これは病気ではありません。心が休息を求めた結果です。少なくとも一週間は、仕事から完全に離れさせてあげなさい。」
しかし、その代償はあまりにも大きかった。
さとりの精神は幼児退行を起こし、普段の冷静沈着な姿は消え失せ、小さな子どものように甘え、泣き、笑うようになってしまう。
主の突然の変化に最初は戸惑うお燐だったが、「今度は私がさとり様を守る番」と決意。仕事を引き受けながら、幼くなったさとりの世話にも奔走する。
一方、いつも姉に甘えていたこいしは、突然「お姉ちゃん」ではなく「妹」のようになってしまったさとりを前に複雑な気持ちを抱える。
果たして、お燐は地霊殿を守り切れるのか。
そして、さとりは再び”みんなのお姉さん”として戻ってこられるのか──。
これは、いつも皆を支えてきた少女が、今度は皆に支えられる一週間の物語。
1日目・朝
朝の地霊殿。
いつもなら、誰よりも早く起きて仕事の準備をしているはずの古明地さとりの部屋は、今日に限って静まり返っていた。
障子をそっと開けるお燐。
「さとり様、朝ですよ。ご飯の時間です。」
布団がもぞもぞと動く。
「やぁ〜……。」
小さく伸びをすると、さとりは眠そうな目をこすりながら、お燐へ両手を伸ばした。
「おねむなの〜! おりん、ねかせて〜♡」
そう言うと、ぎゅっとお燐の腕に抱きつき、そのまま離れようとしない。
「えぇっ!? さ、さとり様!?」
「むにゃぁ……。」
すりすりと頬を寄せ、今にも寝息を立てそうになるさとり。
お燐は困ったように笑いながら、その頭を優しくなでた。
「永琳様に『ゆっくり休ませてあげなさい』って言われてるしねぇ……。」
時計を見る。
仕事は山積み。
けれど今は、それよりも目の前の小さな主が優先だ。
「しょうがないですねぇ。あと少しだけですよ。」
「えへへ〜♡」
安心したように笑ったさとりは、お燐の腕を抱えたまま、すぐにすぅ……すぅ……と寝息を立て始めた。
「……本当に赤ちゃんみたいになっちゃったなぁ。」
お燐は苦笑しながらも、その寝顔を起こさないよう静かに布団を掛け直した。
こうして、地霊殿の慌ただしくも優しい一週間が始まった。
1日目・午前
大量の書類を抱え、お燐は地霊殿の廊下を慌ただしく走り回っていた。
「はぁ……はぁ……。」
机の上には、怨霊の管理記録、各所への報告書、点検表が山のように積まれている。
「やはり管理量が多い……。さとり様は、こんな仕事を毎日一人で……。」
額の汗をぬぐいながら、お燐は改めて主の負担の大きさを実感していた。
その時だった。
「おり〜ん!」
元気な声とともに、こいしが廊下の向こうから駆け寄ってくる。
「お姉ちゃんは?」
お燐は作業の手を止め、優しく答えた。
「さとり様は今、休暇をいただいています。しばらくはゆっくり休んでもらうんです。」
「ふーん……。」
こいしは少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
お燐はそんなこいしを見つめながら考える。
(そうだ……。)
(怨霊の誘導くらいなら、こいし様でもできるのでは……?)
普段なら危険な仕事を任せるつもりはない。
だが今回は、お燐一人では手が回らない。
(もちろん、危ない仕事は任せない。簡単な案内だけなら……。)
「こいし様。」
「なぁに?」
「ちょっとだけ、お手伝いしていただけませんか?」
こいしはぱっと表情を明るくした。
「お手伝い!? やるやる!」
その無邪気な返事に、お燐は少しだけ肩の力を抜いた。
「ありがとうございます。でも、無理はしないでくださいね。」
「うん! 任せて!」
こうして、お燐は地霊殿を守るため、こいしにもできる範囲で仕事を頼むことにした。
こいしは、お燐から地図を受け取りながら首をかしげた。
「どこまで案内すればいいの?」
お燐は地図の一点を指さす。
「旧地獄から来る怨霊のみんなを、あっちの残無さんのところまで案内してあげてください。」
「迷っている怨霊がいたら、『こっちだよー!』って声をかけるだけで大丈夫です。危ないことはしなくていいですからね。」
「はーい!」
こいしは元気よく返事をすると、地図をくるくる丸めて駆け出した。
「いってきまーす!」
その後ろ姿を見送りながら、お燐は小さく息をつく。
「これで少しは仕事が進められるかな……。」
そう言って再び机へ向かうが、積み上がった書類の山はほとんど減っていない。
「……まだこんなにあるのか。」
苦笑しつつも、お燐はペンを取り、一枚ずつ書類に目を通し始めた。
(さとり様が安心して休めるように、あたいが頑張らなきゃ。)
そう心に決め、お燐は再び仕事に没頭するのだった。
1日目・昼
昼を知らせる鐘が鳴る頃。
お燐はようやく書類を一区切りつけ、大きく息をついた。
「ふぅ……。まだ半分も終わってない……。」
そのとき、廊下の向こうからぱたぱたと小さな足音が聞こえてきた。
「おり〜ん!」
勢いよく部屋へ飛び込んできたのは、幼児退行したさとりだった。
「昼ごはぁ〜ん! おなか減ったよぉ……。」
しゅんと肩を落としたかと思うと、目に涙を浮かべる。
「ぐすっ……。」
「はいはい、大丈夫ですよ。」
お燐はすぐに立ち上がり、しゃがんでさとりと目線を合わせた。
「ちゃんとお昼ご飯を用意してありますからね。」
「ほんと?」
「もちろんです。」
その言葉を聞いた瞬間、さとりの表情はぱっと明るくなった。
「やったぁ〜!」
嬉しそうにお燐の手をぎゅっと握る。
「おりんといっしょに食べる〜♡」
「ええ、一緒に食べましょう。」
お燐は微笑みながら、さとりの手を引いて食堂へ向かった。
(……まずは、ちゃんと食べてもらわないと。)
仕事は山積みだ。
それでも今は、主の心と体を休ませることが何よりも大切だった。
お燐はそう思いながら、幼い笑顔を見せるさとりと並んで食堂へ歩いていった。
1日目・昼・食堂
食堂には、温かな湯気が立ちのぼっていた。
お燐が用意した昼食を前に、さとりは目を輝かせる。
「いただきま〜す!」
一口食べると、頬をぱっと緩めた。
「おいしい〜!」
その満面の笑顔に、お燐も思わず微笑む。
「ありがとうございます。」
さとりは夢中でご飯を食べ、幸せそうに足をぶらぶらさせている。
その姿を見ながら、お燐はふと考えた。
(昔のさとり様も……こんな感じだったのかね。)
(地霊殿ができる前のさとり様について、そういえばあまり聞いたことがなかったな……。)
すると、さとりが不思議そうに首をかしげる。
「う〜ん? むかしー?」
お燐は少し驚いて目を丸くした。
「……心を読む能力は健在なんですね。」
さとりは「えへへ〜」と照れくさそうに笑う。
お燐は優しく言い聞かせるように続けた。
「でも、その力は今はあまり使わないほうがいいと思いますよ。」
「いっぱい休んで、元気になることがお仕事ですから。」
「……うん!」
さとりは素直にうなずくと、再び目の前のご飯に夢中になる。
「もぐもぐ……おいしい〜♡」
その無邪気な様子に、お燐はほっと胸をなで下ろした。
「焦らなくて大丈夫ですよ、さとり様。」
「今はゆっくり、休んでくださいね。」
1日目・昼食後
最後の一口を食べ終えたさとりは、満足そうにお腹をぽんぽんと叩いた。
「ごちそうさま〜! おなかいっぱ〜い♡」
にこにこと笑うその表情は、とても幸せそうだ。
お燐は食器を片付けながら、優しく微笑んだ。
「お粗末さまでした。いっぱい食べてくれてよかったです。」
「えへへ〜。」
さとりは椅子から降りると、お燐の服の袖をちょこんとつまむ。
「おりん、ありがと〜♡」
「どういたしまして、さとり様。」
お燐はそっと頭をなでる。
「お腹もいっぱいになりましたし、少しお昼寝でもしますか?」
「うん! おひるねする〜!」
元気よく返事をしたさとりは、お燐に手をつないでもらいながら、自分の部屋へ向かって歩き始めた。
その後ろ姿を見つめ、お燐は静かに息をつく。
「ちゃんと食べて、ちゃんと眠る……。」
「今はそれだけで十分です。」
そうつぶやくと、お燐は再び仕事の山が待つ執務室へと戻っていった。
1日目・夕方
夕暮れの光が地霊殿の廊下を赤く照らしていた。
執務室では、お燐が机に向かったまま必死に書類を片付けている。
「はぁ……はぁ……。」
山のように積まれていた書類はだいぶ減ったものの、まだ終わりではない。
「あと……ちょっと……ある……。」
疲れで肩を落としながらも、ペンを動かし続ける。
そのとき、廊下の向こうから元気な声が響いた。
「ただいま〜!」
勢いよく扉が開き、こいしが笑顔で入ってくる。
「みんな送ってきたよ〜!」
お燐は顔を上げ、ほっとしたように笑った。
「おかえりなさい、こいし様。」
「お疲れさまでした。無事に案内できたみたいですね。」
「うん! みんな『ありがとう』って言ってくれた!」
こいしは得意げに胸を張る。
「迷った怨霊もいたけど、『こっちだよ〜!』って言ったら、ちゃんとついてきてくれたよ!」
「それは助かりました。本当にありがとうございます。」
お燐は深く頭を下げた。
「こいし様のおかげで、今日は仕事がずいぶん進みました。」
「えへへ〜!」
褒められたこいしは、照れくさそうに笑う。
その様子を見て、お燐は少しだけ肩の力を抜いた。
(まだやることは残っている……。)
(でも、一人じゃない。)
地霊殿のみんなで支え合えば、この一週間もきっと乗り越えられる。
そう信じて、お燐は再び机へ向かった。
1日目・夜
地霊殿はすっかり静まり返っていた。
さとりの部屋では、小さな寝息だけが静かに響く。
「すぅ……すぅ……。」
布団をぎゅっと抱きしめ、幼い表情のまま眠るさとり。
今日はたくさん食べて、たくさん笑って、たくさん休んだ一日だった。
一方、その頃――。
執務室。
最後の書類に判を押したお燐は、震える手で筆を机に置いた。
「……。」
数秒の沈黙。
そして――。
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……。」
息を切らしながら、机に突っ伏す。
「……終わった。」
しばらく動かず、やがて力を振り絞るように顔を上げる。
「終わったよ……!」
積み上がっていた書類の山は、すべて片付いていた。
「今日の分は……全部……終わった……!」
その瞬間、全身から力が抜け、お燐は椅子にもたれかかる。
「一日目で……これかぁ……。」
苦笑しながら天井を見上げる。
「さとり様……毎日こんな量を一人でこなしてたんですね……。」
その言葉には、主への尊敬と心配が入り混じっていた。
「明日も頑張らなきゃ。」
お燐はゆっくり立ち上がると、最後にさとりの部屋をそっとのぞく。
規則正しい寝息を立てるさとりを見て、安心したように微笑んだ。
「おやすみなさい、さとり様。」
静かに障子を閉めると、お燐も自室へ向かう。
こうして、慌ただしくも穏やかな一日目の夜は更けていった。
2日目・朝
朝の地霊殿。
今日は、お燐にとって仕事の少ない日だった。
昨日のうちに大半の業務を終わらせていたおかげで、今日はさとりのそばについていられる。
(今日は休みだ。)
(昨日は食べて、寝て、笑って……それだけで一日が終わった。)
(精神は休めば少しずつ回復するはず。でも、昨日のさとり様はあれほど甘えてきた。)
(……相当、心が疲れ切っていたんだろう。)
お燐は静かにさとりの部屋へ向かう。
障子を開けると、さとりはまだ布団の中で気持ちよさそうに眠っていた。
「すぅ……すぅ……。」
幼い寝顔を見て、お燐は微笑む。
(焦る必要はない。)
(今日は、一緒に遊んだり、お話をしたり……無理のない範囲でいろいろ経験してもらおう。)
(心を休めながら、少しずつ安心できる時間を積み重ねる。それが今のさとり様には一番大事だ。)
そう考え、お燐は朝食の支度を始める。
しばらくすると、布団がもぞもぞと動いた。
「んぅ……おりん……?」
眠たそうな声が部屋に響く。
「おはようございます、さとり様。」
「今日はゆっくり、一緒に過ごしましょうね。」
「うん……♡」
さとりは安心したように微笑み、お燐へ向かって両手を伸ばした。
穏やかな二日目が、静かに始まろうとしていた。
2日目・午前「いっしょにあそぼ!」
朝食を食べ終えたあと。
さとりは、お燐の服の裾をちょんちょんと引っ張った。
「おり〜ん。」
「どうしました、さとり様?」
「いっしょにあそぼ〜?」
期待で目を輝かせるさとり。
お燐はにっこり笑った。
「もちろんですよ。今日は一緒に遊びましょう。」
「やったぁ〜!」
さとりは嬉しそうに、その場でぴょんっと跳ねる。
まずは積み木遊び。
「ここに置いて……。」
「えへへ〜!」
さとりは一生懸命に積み木を重ねていく。
少し曲がってしまっても気にしない。
「おっきいおうち〜!」
高く積み上がった積み木を見て、満足そうに拍手する。
「ぱちぱち〜!」
お燐も一緒に拍手した。
「上手ですよ、さとり様。」
褒められたさとりは、照れくさそうに笑う。
次は、お絵描き。
大きな紙を広げると、さとりは色鉛筆を手に取った。
「これ、おりん!」
赤い猫を描く。
「これは……あたいですか?」
「うん!」
「おりん!」
続いて、小さな帽子をかぶった女の子を描く。
「これは?」
「さとり!」
さらに二人の間を、大きなハートではなく、手をつないでいるような線で結んだ。
「いっしょ!」
お燐は思わず笑みをこぼした。
「ありがとうございます。」
「大事に飾りますね。」
さとりは満面の笑みを浮かべる。
「ほんと?」
「もちろんです。」
しばらくすると、今度は庭へ。
「しゃぼん玉しよ〜!」
「はい。」
お燐が息を吹き込むと、きらきら光るしゃぼん玉が空へ舞い上がる。
「わぁ〜!」
さとりは夢中になって追いかける。
「まって〜!」
一つ割れても、また次が飛んでくる。
そのたびに、楽しそうな笑い声が庭いっぱいに響いた。
縁側でその様子を見ながら、お燐は静かに思う。
(昨日より、笑顔が増えてる。)
(焦らなくていい。)
(いっぱい遊んで、いっぱい笑って、いっぱい眠る。)
(それが今のさとり様に、一番必要なんだ。)
「おり〜ん!」
「今行きますよ!」
お燐も庭へ駆け出す。
「つかまえた!」
「きゃははは!」
地霊殿には、久しぶりに子どものような笑い声が響き渡る。
その笑顔を見て、お燐は心から願った。
――この穏やかな時間が、さとり様の心を少しずつ癒してくれますように。
7日目・朝
あっという間に、一週間が過ぎた。
この七日間、さとりはたくさん食べて、たくさん眠り、たくさん笑った。
積み木で遊び、お絵描きをして、しゃぼん玉を追いかけ、お燐やこいしと穏やかな時間を過ごした。
その積み重ねが、少しずつ心を癒していった。
そして七日目の朝――。
障子が静かに開く。
「お、おはよう……ございます、お燐。」
部屋から出てきたさとりは、以前のような落ち着いた服装のままだったが、その話し方はまだ少したどたどしい。
「おはようございます、さとり様。」
お燐は、その一言を聞いただけで目を潤ませた。
「……丁寧に話そうとしている。」
「はい……えっと……が、頑張ります。」
少し照れながら笑うさとり。
以前のように幼い口調ではない。
けれど、まだ言葉を選ぶのに少し時間がかかる。
「焦らなくても大丈夫ですよ。」
お燐は穏やかに微笑む。
「この一週間で、さとり様は本当に元気になりました。」
「……そう、でしょうか。」
「ええ。」
「まだ無理はできませんけど……心はずいぶん落ち着いているように見えます。」
さとりは自分の胸にそっと手を当てる。
「……以前より、頭の中が静かです。」
「休むことが、こんなに大切だったなんて……忘れていました。」
お燐は優しくうなずく。
「さとり様は、ずっと誰かのために頑張り続けていましたから。」
そのとき、廊下の向こうから元気な声が聞こえてきた。
「お姉ちゃーん!」
こいしが駆け寄ってくる。
「おはよー!」
「お、おはようございます……こいし。」
少しぎこちないながらも、さとりは自然に微笑んだ。
その笑顔を見たこいしは、ぱっと顔を明るくする。
「お姉ちゃん、笑った!」
「よかった〜!」
お燐もその様子を見て、胸をなで下ろした。
(完全に元通りではない。)
(でも、一番つらい時期は乗り越えられた。)
(ここからは焦らず、少しずつ――。)
地霊殿には、穏やかな朝の空気が流れていた。
さとりの心は、確かに回復への道を歩み始めていた。
7日目・午前
穏やかな空気が流れる地霊殿。
お燐は食器を片付けながら、小さく息をついた。
(本当によかった……。)
(さとり様も少しずつ元気になってきた。)
(これなら、焦らず元の生活へ戻っていける。)
そんなことを考えていた、その時だった。
「……あれ?」
お燐の手が止まる。
部屋を見回す。
さとりがいて、こいしがいて、地霊殿の使用人たちも忙しく動いている。
だが――。
「そういえば……。」
お燐は首をかしげた。
「お空は?」
その一言で、その場の空気が止まった。
「……。」
こいしも辺りを見回す。
「そういえば、見てないかも。」
お燐は慌てて時計を見る。
「朝ごはんにも来てない……。」
いつもなら、お腹を空かせて真っ先に食堂へ来るはずの霊烏路空。
しかも、この一週間――。
「……。」
お燐の表情が青ざめる。
(待って。)
(あたい、この一週間ずっと仕事と、さとり様の看病で……。)
(お空のことを、一度も確認してない……!?)
嫌な予感が胸をよぎる。
「こいし様!」
「うん!」
「手分けして、お空を探しましょう!」
「わかった!」
二人は急いで廊下へ飛び出した。
回復へ向かうさとりの陰で、もう一つの出来事が、静かに進行していたのだった……。
7日目・旧地獄
お燐は急いで旧地獄へ向かった。
こいしは別の場所を探し、お燐は鬼や怨霊たちに声をかけて回る。
「すみません!」
「霊烏路空を見ませんでしたか?」
旧地獄の鬼は腕を組み、少し考え込む。
「空か?」
「ここ数日は見てねぇな。」
別の鬼も首を横に振る。
「いや、見てない。」
「そういえば最近、姿を見かけなかったな。」
お燐の胸がざわつく。
続いて、旧地獄を漂う怨霊たちにも尋ねる。
「誰か、お空を見ませんでしたか?」
一体の怨霊が、おずおずと口を開いた。
「七日前に、一度だけ見ました……。」
「七日前!?」
「はい……。」
「あの日、地霊殿の方を見ながら、何か寂しそうにしていました。」
「それから、一人でどこかへ歩いて行って……。」
「その後は、誰も見ていません。」
「そんな……。」
お燐は思わず言葉を失う。
(七日前……。)
(ちょうど、さとり様が休養に入った日。)
(あたいは仕事に追われて……。)
(さとり様につきっきりで……。)
(お空の様子を、一度も見に行っていなかった。)
胸の奥が締め付けられる。
「ごめん……お空。」
お燐は拳を強く握り締めた。
「どこにいるんだい……。」
旧地獄の静かな空気の中、お燐の声だけが小さく響いていた。
7日目・午後
旧地獄のさらに奥――静寂と熱気が入り混じる場所。
こいしは息を切らしながら駆け込んでいた。
「残無さん! お空を見なかった!?」
そこにいたのは、泰然と座す存在。
旧地獄の管理者、残無。
彼はゆっくりと目を開ける。
「お空……あのカラスのことか?」
「そう!」
即答するこいしの声は切迫していた。
残無は腕を組み、少しの間沈黙する。
「わからないな。」
その一言に、こいしの表情が一瞬曇る。
だが、次の瞬間だった。
「しかし……」
低く落ち着いた声が続く。
「この地獄はわしの掌の上じゃ。」
「絶対に見つけてやろう。」
こいしは目を見開いた。
「ほんとに!?」
残無はゆっくりと立ち上がる。
その存在感だけで、周囲の空気がわずかに揺れる。
「お前……いや、あの猫には何度も助けてもらったからな。」
その言葉に、こいしは一瞬きょとんとする。
「お燐のこと?」
「そうだ。」
残無は静かにうなずいた。
「地獄は広いが、完全に見えぬものではない。」
「怨霊の流れ、熱の揺らぎ、魂の痕跡……すべては繋がっている。」
彼は片手を軽く振った。
その瞬間、地面の奥から淡い光が揺らぎ始める。
「探すぞ。」
短い言葉。
だが、その一言で空気が変わった。
こいしは頷く。
「うん!」
(お空……どこにいるの?)
地獄の奥底で、新たな捜索が始まろうとしていた。
7日目・夕暮れ
旧地獄のさらに奥。
そこは、まるで世界の裂け目のような崖だった。
溶けた岩肌。焼け焦げた地形。爆発の痕跡が今もなお赤黒く残っている。
熱気はもうほとんど消えていたが、それでも「ここで何かがあった」とはっきり分かる場所だった。
その崖の上に、一人の少女が立っていた。
霊烏路空。
彼女は空を見上げたまま、動かない。
風に揺れる髪も、どこか力なく見える。
「……。」
何も言わず、ただ遠くを見つめている。
その背中には、いつものような無邪気さも、勢いもなかった。
まるで、何かを待ち続けているように。
しかし、誰も来ない。
誰の声も届かない。
――いや、届いていないのではない。
「届く場所が、分からなくなってしまった」ような静けさだった。
お空は、小さく息を吐く。
「……さとり、さま。」
その名前を口にした瞬間、わずかに肩が揺れた。
地霊殿にいた頃。
怒られながらも、見守られていた日々。
危なっかしい自分を止めてくれる声。
失敗しても、最後には必ず向き合ってくれる存在。
それが、ずっとそこに「ある」と思っていた。
けれど今は違う。
呼んでも返事はない。
どこに行けば会えるのかも分からない。
気がつけば、自分は崖の上に一人で立っていた。
「……あたい、」
ぽつりと声が落ちる。
「もう、どこに行けばいいのかな。」
その言葉は風に消える。
お空もまた、気づいていた。
――自分は“甘える側”でいられた時間を失っていた。
かつて誰かに支えられていた立場が、今は逆転していることに。
そしてそれは、つい最近までのさとりと同じだった。
誰かに頼られ続けてきた者が、突然支える側を失い、心の拠り所を見失う。
お空はその境界に、ひとり立たされていた。
そのときだった。
遠くから、崖の下で土を踏む音がする。
「……お空!!」
聞き慣れた声。
それは、必死に探し続けていたお燐の声だった。
静かな地獄に、ようやく“つながる声”が届き始めていた。
崖の上。
お燐の声が、地獄の静寂を切り裂いた。
「なんでここにいるんだい!?」
息を切らしながら崖を見上げるお燐の姿に、お空は少しだけ肩を揺らす。
「……お燐?」
その声には驚きと、どこか安堵の色が混じっていた。
お燐はすぐさま崖を駆け上がり、お空のそばへとたどり着く。
「ずっと探してたんだよ! 七日も! どこ行ってたんだい!」
「えっと……」
お空は視線を落とす。
「わかんない。」
ぽつりと、それだけ。
お燐は一瞬言葉を失う。
だが、その表情を見てすぐに気づいた。
(怒ってるわけじゃない。)
(……迷ってるだけだ。)
お空は崖の縁に座り込み、両膝を抱えるようにして小さくなった。
「さとり様がいなくなって……」
「おりんも忙しそうで……」
「気づいたら、どこにも行けなくなってた。」
その言葉に、お燐の胸が締め付けられる。
(あたいは……)
(さとり様のことで必死になって、その間ずっとお空を放ってた。)
お空は続ける。
「前はね、怒られても、見てくれる人がいたの。」
「でも今は……」
「怒ってくれる人もいないと、どこに行けばいいのか分かんなくなるんだ。」
風が吹く。
爆発跡の崖は、どこか冷たく、広すぎた。
お燐はゆっくりと息を吐くと、お空の隣にしゃがみ込んだ。
「……バカだね、お空。」
優しい声だった。
「探してたに決まってるだろ。」
お空が顔を上げる。
お燐は、少しだけ笑う。
「さとり様が休んでる間も、あたいはずっとお前のこと心配してたんだよ。」
「ただ……ちょっと、遅くなっただけさ。」
その言葉に、お空の目が少しだけ揺れる。
お燐は続ける。
「帰るよ。地霊殿に。」
「さとり様も、もうだいぶ元気になってきてる。」
「だから今度は……」
一瞬だけ言葉を区切って、優しく言った。
「みんなで、ちゃんと帰ろう。」
お空はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。
「……うん。」
その声は、ほんの少しだけ前よりも軽かった。
崖の上に、三人分の影が重なろうとしていた。
崖の上に、静かな風が吹き抜けた。
その声は、確かに“いつものさとり”のものだった。
しかしそこに含まれていた気配は、七日前までとは違っていた。
「いや、帰る必要はないわ。」
お空の目が見開かれる。
「その声は……!」
「全員:さとり様?!」
崖の上に現れた古明地さとりは、穏やかな表情を浮かべて立っていた。
だがその瞳は、どこか遠くまで見通しているような静けさを持っている。
「ごめんなさい、お空。」
そう言う声には、かつての幼さも、過剰な弱さもない。
ただ、理解した者の落ち着きがあった。
「結局ね……私は心の奥で、ずっと思っていたの。」
「“みんなは私が見守らなければいけない”って。」
お空が息を呑む。
さとりはゆっくりと視線を巡らせる。
お燐へ。
こいしへ。
そして今ここにいない“残無”へ。
「でもね。」
静かに続ける。
「お燐は、私に“休むこと”と“頼ること”を教えてくれた。」
「ご飯の温かさも、遊ぶ楽しさも。」
「……一人で抱えなくていい時間を。」
お燐は何も言えないまま、その言葉を聞いていた。
さとりは続ける。
「こいしによるとね、お燐は仕事のやり方も、誰かと分け合うことも教えていたそうよ。」
「そしてこいしは、残無さんのところで、この地獄の流れを見ていた。」
そこで一度だけ、さとりは目を閉じる。
「残無さんは、お空を見ていた。」
「つまり――」
ゆっくりと目を開ける。
その瞳は、以前よりもずっと静かで、そして広い。
「この地獄は、もう一人で支える必要なんてなかったの。」
沈黙。
風の音だけが崖を渡る。
さとりはお空をまっすぐ見た。
「お空。」
「あなたには分かる?」
その問いは、命令でも説教でもなかった。
ただ、“気づいているかどうか”を確かめる声だった。
お空は唇を震わせる。
「……あたいは……」
「ずっと、待ってた。」
「誰かに怒られるのも、呼ばれるのも。」
「でも……誰もいなくなって……」
言葉が途切れる。
さとりは静かにうなずいた。
「そう。」
「あなたは“支えられていた側”で、同時に“支えを待っていた側”でもあったのね。」
一歩、さとりが近づく。
「そしてそれは、私も同じだった。」
お燐が小さく息を呑む。
さとりは優しく言った。
「だからね、お空。」
「もう一度“戻る”必要なんてないの。」
「ここから先は――」
少しだけ微笑む。
「みんなで支え合う場所にするのよ。」
崖の上で、静かに時間が止まる。
そしてお空は、ゆっくりとうなずいた。
「……うん。」
その一言は、爆発の残響よりも静かで、確かな答えだった。
崖の上に、しばらく風だけが流れていた。
お空は肩を震わせながら、こらえきれずに涙をこぼす。
「ぐすっ……ぐすっ……!」
止めようとしても止まらない。
長い間、どこにも行き場のなかった感情が、堰を切ったようにあふれ出していた。
さとりはそんなお空を見て、少しだけ困ったように目を細める。
そして、昔と変わらない優しい声で言った。
「ほら……?」
「泣いた時の、いつものハグはどうしたの?」
お空の動きが止まる。
さとりは一歩近づき、ゆっくりと腕を広げた。
「今の私はね。」
少しだけ言葉を選ぶようにして続ける。
「お姉ちゃん……とは、言い切れないかもしれないけど。」
「それでも、私は私よ。」
「お姉ちゃんである私でも。」
「子どものように休んでいた私でも。」
「どれも全部、私。」
お空は顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃのまま、さとりを見つめる。
その表情は、昔と変わらない“安心できる場所”そのものだった。
さとりは静かに微笑む。
「だから、お空。」
「今のあなたが欲しいものを、ちゃんと受け取っていいのよ。」
その言葉が終わるより早く――
お空は崖を蹴るようにして、さとりに飛び込んだ。
「……さとり様ぁぁぁ!!」
「うん。」
さとりはしっかりと受け止める。
強くもなく、弱くもなく。
ただ、逃げ場ではなく“帰る場所”として抱きしめる。
お空の泣き声は、もうさっきのような孤独な響きではなかった。
お燐はその横で、静かに息を吐く。
(……やっとだね。)
崖の上。
爆発跡の風の中で。
ようやく、地霊殿は“全員がいる場所”へと戻ろうとしていた。
アレから数日後――地霊殿
地獄の空気は、あの日から少しだけ柔らかくなっていた。
あれほど張り詰めていた旧地獄の気配も落ち着き、地霊殿にはいつもの日常が戻りつつある。
……ただし、一点だけ違うことがあった。
「おり〜ん♡ 甘えさせて〜!」
執務室に響く、やけに元気な声。
お燐は書類の束から顔を上げて、思わず固まった。
「またですか!!?」
ソファに寝転がるさとりは、満面の笑みで両手を広げている。
「いや、普通にネコ吸いしたいだけよ。」
「仕事の合間の癒しってやつ。」
「いや、それ完全に“休憩”の範囲超えてませんか!?」
お燐がツッコミを入れると、さとりは気にした様子もなく、お燐の尻尾にそっと顔を埋める。
「ふふ……落ち着くわぁ……。」
「ちょっと!!書類!!まだ終わってないんですけど!!」
地霊殿の主は、かつての重圧から解放された反動か、妙な“サボり癖”を獲得していた。
こいしは遠くでそれを見て笑い、
「お姉ちゃん、前より楽しそうだね〜」
と、のんきな感想を述べている。
お燐はため息をついた。
「……あたいの負担、増えてません?」
そのときだった。
ひょこ、と地獄の管理者・残無の声が響く。
「せっかくのいい話が台無しじゃ。」
空気が一瞬で凍る。
さとりは尻尾から顔を離し、少しだけ視線を逸らした。
「……えーっと、これはその……回復の一環でして。」
お燐は即座に叫ぶ。
「言い訳になってません!!」
こいしは笑い転げる。
「いい感じに元通りだね〜!」
残無は深いため息をついた。
「地獄というのは、こういうものなのか……?」
けれど、その表情はどこか呆れながらも穏やかだった。
騒がしくて、少し理不尽で、でも確かに生きている地霊殿。
それが今の“日常”だった。
そして今日もまた――
お燐の悲鳴と、さとりの甘え声と、こいしの笑い声が地獄に響く。
終わりかけていた物語は、どうやらまだ少し続くらしい。
コメント
1件
わあ…!読み終わったけどもう心がぽっかぽかだよ〜😭💕 さとり様が幼児退行しちゃう設定、最初は切なかったけど、お燐が優しくお世話する姿に何度も胸がギュッてなった…! 特に「おりんといっしょに食べる〜♡」のシーンとか、積み木で遊ぶシーンとか、可愛すぎて叫びそうだったよ! 最後の崖の上の再会シーン、お空が泣きながら飛び込むところで完全に涙腺崩壊した…。 「どれも全部、私」って台詞、さとり様の成長が感じられてめっちゃエモかったです…! そしてラストの「ネコ吸いしたい」には笑わせてもらったwww 完全に元通りどころかパワーアップしてる! 続きが読みたい…!