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第19話 宮中の隣人たちと、見事な采配
紫苑の太い腕に捕獲されたまま、私は翠蓮に向き直った。後ろの暴君は、私の首筋に顔を埋めたまま、微かに規則的な呼吸を刻み始めている。
あれだけ暴れておきながら、一度満足すればこの無防備さだ。猛獣というよりは、やはり質の悪い大型犬に近い。
「それで、私に助力をと言うことだけれど」
翠蓮は白檀の扇子を広げ、口元を隠した。
彼女の視線は、私の背後で微睡みかける皇帝を一瞥し、すぐに私へと戻る。
「具体的にどうすればいいのかしら。私の直属の侍女を貸すことはできないわよ?」
至極当然の懸念だ。
徳妃の側近が紅玉の宮に出入りすれば、宮内の勢力図に波風が立つ。彼女が被るべき聖母の仮面に、不要な泥を塗るつもりはない。
「ええ、重々承知しております」
私は首筋に当たる紫苑の熱い呼気を、適当にいなしながら、思考を回す。
「……そういえば先日、とある女官から、ずいぶんと長い小言を頂戴しました」
「小言?」
「はい。私が翠蓮様に対する敬意が足りない、後宮の秩序を乱していると。彼女の熱弁は、実に一刻ほど続きました」
思い出すだけで耳の奥がうっすらと痛む。
あの執拗な説教。あれは単なる嫌がらせではない。
「彼女らは、直接翠蓮様に仕える身分ではありません。ですが、その忠誠心は直属の侍女に劣らないと思います」
翠蓮の扇子の動きが、ぴたりと止まった。
「……何でもいいのです。彼女たちに、紅玉様の看病を手伝ってもらえるように、うまく誘導をお願いできませんか」
後宮の至る所に潜む、名もなき信徒たち。
その盲目的な信仰心を、実務的な労働力に変換しない手はない。
翠蓮はわずかに目を丸くし、やがて扇子の奥でふふっと喉を鳴らした。
「ええ、そういうことなら。私に任せてちょうだい」
パチン、と扇子が小気味良い音を立てて閉じられる。
「半日よ。今日の夜には、看病に必要な物は全て揃えさせるわ」
見事な采配だ。
その言葉を合図にしたように、私の肩で眠っていたはずの紫苑が、弾かれたように顔を上げた。
「……夜だな」
低く、地を這うような声。
紫苑が私の首の皮膚に、軽く歯を立てていた。
「それまで、寝る」
宣言と同時。
抗議の声を上げる隙もなく、私の身体は完全に宙に浮いた。
紫苑は私を抱えたまま戸口へ直行する。背後で翠蓮が「おやすみなさいませ」と鈴を転がすように笑うのが聞こえた。
抗うだけ無駄だ。私は四肢の力を抜いた。
(本日の抱き枕業務、強制開始ですか)
そのまま私は、翠蓮宮から皇帝の寝所へと強制連行されることになった。
〇
その夜。
解放されて紅玉様の宮へ戻った私を待っていたのは、異様な光景だった。
「ゆ、柚葉ぁぁぁっ! どこ行ってたのよ!」
扉を開けた瞬間、小鈴が涙目で飛びついてきた。
「どうしたの。紅玉様の容体は?」
私は肩を軽く回しながら尋ねる。
「そっちは大丈夫なんだけど……なんなの、あの人たち!? 一言も喋らないし、表情一つ変えないし、動きが早すぎて怖いんだけどぉ!」
小鈴が震える指で示した先には、十数人の女官たちがいた。
まるで演舞のような統制の取れた動きで、湯を沸かし、汚れた布を回収し、床を磨き上げている。
その動きは無駄がなく、息も揃い、まるで一つの生き物のようだった。
「……信心深い妖精ですね。助かります」
私が淡々と頷くと、小鈴は即座に首を振った。
「絶対に妖精さんじゃない! どう見てもカタギじゃない動きでしょ!?」
「そう?」
私は次々と補充される清潔な道具を受け取りながら、心の中で翠蓮に深く感謝した。
小鈴がじりじりと距離を詰めてくる。
「……ねぇ柚葉。正直に言って。あんた、翠蓮様に“なんか”した?」
「したわよ。翠蓮様にお願いしたら全部やってくれたわ」
私は事実だけを述べた。
「その“お願い”の内容が問題なのよ! 絶対なんか裏で真っ黒な取引したでしょ!? なんで宮中の女官さんが近衛衆みたいになってんのよ!」
小鈴の叫びが廊下に響き、遠くの女官たちが一瞬だけ動きを揃えてこちらを見た。
その視線の鋭さに、小鈴は「ひっ」と情けない声を漏らし、私の背中に隠れる。
「大丈夫よ。味方だから」
「その“味方”の基準が信用ならないのっ!!」
コメント
1件
うわぁ……第19話、めっちゃ好きです🌙 紫苑の“抱き枕強制業務”とか、翠蓮の扇子パチンで采配完了とか、もうキャラの魅力が爆発しててヤバいです。小鈴の「カタギじゃない動き」に「そう?」って返す柚葉の冷静さ、逆に怖くて面白いです(笑)。 この安心感と危うさが混ざる空気、めちゃくちゃ刺さりました。続き、静かに待ってます🤍🥀