テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
奈央子の手は芽生の手とそれほど変わらない大きさだったけれど、包み込んでくれる手指は芽生よりひんやりしているのに、そこから伝わってくる想いは驚くほど温かかった。
「――それで、芽生ちゃん、そちらは?」
ややして、芽生の涙が落ち着くのを見計らって奈央子が一歩引いた場所から二人の様子を見守っていた京介に視線を移した。
「あ、あの……彼は私の……」
芽生がソワソワと落ち着かない様子で京介を見つめてくる。
奈央子はそんな芽生の左手薬指の指輪にちらりと視線を流すと、「芽生ちゃんの婚約者さんでしょう? おばあちゃんにも紹介して?」と微笑んだ。
奈央子の言葉と、芽生の縋るような視線に京介は一瞬視線を伏せると、一歩前へ出て深く頭を下げた。
「……お孫さんとの対面の場に、お邪魔してすみません。わたくし、芽生さんと結婚を前提にお付き合いをさせて頂いております、相良京介と申します」
低く男らしい柔らかな声に、奈央子が京介をじっと見やる。
そんな京介のすぐ横で、芽生が聞いたことのない京介の丁寧な言葉遣いに目をしばたたかせ、「……京ちゃんが〝わたくし〟なんて……」と思わず小さく呟いてしまったのは仕方がない。
途端、当然というべきか。すぐさま京介の鋭い視線に射抜かれて、芽生はハッとして口をつぐんだ。京介に近い側の耳が熱く感じられるのは、そんな公人然とした余所行きの京介もかっこいいと思ってしまったからだ。
奈央子はしばし言葉を選ぶように黙した後、落ち着いた眼差しでまっすぐに京介を見つめてきた。
「……田畑さんから大体のお話は伺っています。――あなたが、芽生が幼い頃からずっと……守って下さっていた方ですね?」
奈央子が、田畑栄蔵を介してどのくらい自分たちの間にあったことを聞いているのか、京介には分からない。分からないけれど、言えることはひとつだと思った。
「はい。もちろんこれからもずっと今まで通り――。いやそれ以上に……彼女のことを守り続けていこうと思っています」
多くを語るつもりはない。何なら〝幸せにします〟とすら告げるつもりはなかった。そんなの当たり前のことだし、わざわざ宣言するほどのこともないだろう。だが、自分の中にある揺るぎない決意だけは、目の前の老女へ響かせたつもりだ。
その証拠に奈央子の目に涙が滲み、やがて小さくうなずいた。
「……孫のことを……どうぞよろしく、お願い、します……」
芽生が、自分のために泣いてくれる祖母の姿を見て、一度は引っ込んでいた涙をまたしても決壊させる。
京介はそんな芽生を腕の中へ包み込むと、
「ホントお前はいつまで経っても泣き虫だな」
芽生にだけ聞える小声で囁いた。
その横で三人のやり取りを黙って見守っていた栄蔵が静かに口を開く。
「奈央子さん。沙奈さんと栄一郎のこと、本当に申し訳なかった」
深々と頭を下げるかつての雇い主の姿に、奈央子は一瞬だけ息を呑み、それからゆっくりと視線を逸らして微笑んだ。
「……田畑さん。全て過ぎたことです。――今、こうして私たちの可愛い孫が笑っていられる。それだけで十分だと思いませんか?」
奈央子の言葉に、栄蔵が無言でうなずいた。
ほどなくして職員が茶器を運んでくる。
盆の上には四人分の茶碗が並んでいたが、京介は奈央子との挨拶が済むなり当然のように一歩離れた位置に立っていて、そのことに気付いていなかった。
この場にいる自分以外の三人は、芽生を介して血の繋がりがあるいわゆる血縁者だ。
だが自分は違う。
そう思って距離を取っていたのだが――。
「京ちゃんはここ!」
芽生が当然のように京介の傍へやってきて、京介の手を引いて自分のすぐ隣を指さした。
「――いや、芽生……。けど俺は」
さっき、奈央子の前では〝わたくし〟なんて慣れない自称を使ったが、つい〝素〟が出てしまう。
「相良さんは普段〝俺〟で話していらっしゃるんですね」
ふふっと奈央子が笑って、「どうかそんなに緊張なさらないで?」と付け加えられる。
別に緊張しているわけではなかった京介だが、反論する余地も与えられないまま、栄蔵からも「そうだ、相良くん。遠慮はいらん」とうなずかれて、諦めた。
結局京介はわずかに逡巡したのち、芽生に言われるまま彼女の隣へ腰を下ろした。
その光景を見ていた奈央子の目が、また少し細められる。
「……本当に芽生ちゃんは相良さんのことが大好きなのね」
穏やかにつぶやかれた声に、芽生が照れたように頬を染め、京介はせめてもの意趣返し。「雛鳥の刷り込みみたいなもんです」と応じて、芽生を拗ねさせた。
***
温かな湯気の立つ茶碗をそれぞれ手に取り、ひとときの静けさが訪れる。
芽生が両手で茶碗を包み込むように持つ仕草を見て、奈央子がふと目を細めた。
「……やっぱり、芽生ちゃんは沙奈にそっくりね。手指の爪の形とか……口元のライン。あと、眉の形とか表情の作り方。元気なころのあの子を見ているみたいだわ」
しみじみと呟かれたその言葉に、芽生は照れくささに思わず肩をすくめる。
するとすかさず栄蔵が、「いや、どう見ても栄一郎似だろう!」と反論した。
「若干下がり気味の目元の感じ、笑った時のえくぼの出方……まるであの子そのものじゃないか」
「いいえ、沙奈よ」
「いや、栄一郎だ」
孫娘を挟んで、譲らぬ祖父母。
芽生は困ったように茶碗を持ったままオロオロと視線をさまよわせ、「え、えっと……」と声にならない声を漏らした。
そんな三人の様子を見かねた京介が、湯呑を置きながら口を開く。
「どっちに似てても不思議じゃないと思いますよ? 芽生はお二人のご子息ご息女のお子さんなんですから。けど……まぁ、ぶっちゃけ俺はどっち似でもこいつのこと、そこいらにいる誰よりも可愛いと思ってるんで関係ないですけどね」
軽く肩をすくめて告げると、奈央子と栄蔵は一瞬だけ視線を交わし、同時にふっと笑みを漏らした。
「……そうね」
「……そうだな」
二人の年寄りの言い合いを丸く収めるために何の気なしに告げた言葉。京介としてはそれだけのつもりだったのだ。
だが――。
笑い合う栄蔵と奈央子の様子にやれやれ、と安堵の吐息を落とす間も与えられないままに、芽生が「京ちゃん!」としがみ付いてきて驚かされてしまう。
「お、オイ、芽生! お前、じいさんとばあさんの前でっ」
ついいつも通りの調子で芽生を諫めた京介に、芽生が満面の笑みで言うのだ。
「京ちゃん、今、私のこと、誰よりも可愛いって言ってくれた!」
「あ?」
言ったような気もするが、それは不可抗力というやつだ。
そう言い訳しようとした京介に、田畑栄蔵と中村奈央子がニンマリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「私も聞きましたよ? ねぇ、田畑さん」
「ああ、わたしも確かに聞いた」
「だよね!? おばあちゃん、おじいちゃん!」
三人にじっと見詰められた京介は、グッと言葉に詰まった。
そうして半ばやけくそ。
「あー、くそっ! 可愛いと思ってなけりゃ、嫁になんて望まねぇーだろーがよ」
と吐き捨てた。
その言葉に栄蔵がフッと表情を和らげて言うのだ。
「……奈央子さん、実は相良くんをわたしの後継者に、と考えていましてね」
「まぁ!」
「実はもう本人の了承も得ています」
「あ、……おい、じいさん!」
「そうじゃよなぁ? 相良くん」
「あ? ああ……」
そのやり取りに、奈央子が驚いたように口元へ手を当てた。だが次の瞬間、瞳の奥に安らぎの色が広がっていく。
「実は私ね、相良さんのお仕事のこと、以前田畑さんから伺って知っていたの。……ふたりのことを純粋に祝福したくて黙っていたけど……本当はそこだけが気掛かりだった。裏稼業の人と一緒にいて、芽生ちゃんにもしものことがあったらどうしよう? って。……でも、二人が引き裂かれてしまえば、沙奈と栄一郎さんのときと同じ不幸を繰り返すんじゃないかとも思って、ずっとジレンマだったの。――ねぇ、相良さん。田畑さんのあとを継がれるということは……あちらの世界からは足を洗って下さったって思ったんでいいのよね? もう心配はいらないのね?」
「はい……。大丈夫です」
奈央子の真剣なまなざしに、京介も真摯に答えざるを得なかった。
そんな京介の返答を聞いた奈央子は、心底安心したように吐息を落とし、栄蔵へと目を向ける。
「……田畑さんも……子供たちのことがあったから相良さんがその筋の方だったと知っていてもなお、本気で芽生ちゃんと彼を引き離すことが出来なかったのでしょう? 沙奈と栄一郎さんを引き裂いた過去があるからこそ、なおさら……」
その静かな言葉に、栄蔵は目を伏せ、何も言い返さずに茶を一口含んだ。
京介はそんなやり取りを見つめつつ、内心では奥歯を噛みしめていた。
(……やりやがったな、このタヌキじじい)
殊勝な態度を取ってはいるが、わざわざ奈央子の前で〝後継者〟と宣言したのはきっと、『引き返す道はないぞ?』と京介へ自覚させるために違いない。
京介としては、見込みがないと栄蔵が判断したら後継者候補からは外して欲しいと告げていたはずなのに、だ。
栄蔵はそんな京介の退路を断つことで、死ぬ気でやり遂げろと知らしめたかったんだろう。
(くそ、やられた!)
だがそう思ったのと同時――。
(上等だ。意地でも認めさせてやろーじゃねぇか!)
胸の奥に新たな覚悟が刻み込まれるのを、京介はハッキリと自覚した。
大っぴらには照れくさくて言えないが、京介は芽生を幸せにするためならなんだって出来ると思っている――。
水羽凛
311
コメント
2件
京ちゃん、周り固められちゃったね(笑)
うわあ、ようやく祖母・奈央子さんに京介を紹介できる場面ですね。二人がちゃんと家族の輪の中に入っていく感じが本当に温かくて、特に「沙奈似か栄一郎似か」で盛り上がる祖父母のやり取りが微笑ましかったです。それにしても栄蔵じいさんの「後継者」宣言のタイミング、絶妙すぎますね。京介の退路を断つことで逆に覚悟を固めさせるなんて、まさに老練の技。ラストの「芽生を幸せにするためならなんだって出来る」って一文に、これまでの全てが詰まっている気がしました。